ビヨンド・ザ・サンセット

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「これを着てすぐお逃げなさい」

そう言ったレンを、王女は無表情で見返した。
「レン?」
「大丈夫。私たちは双子です。・・・きっと誰にも分かりませんよ」
「囮になると言うの?」
「そうです」
躊躇なく言い切ったレンに、王女は彼の持つ給仕服に視線を落とした。
「大臣も使用人たちも、次々と城から逃げ出しています。この服を着て逃げれば、その中に紛れ込めるでしょう」
「・・・・分かったわ」
王女はゆっくりと、レンの手から給仕服を受け取った。レンは王女が確かに、自分の服を手に取ったのを見てからまたクローゼットへ向かい、最初から決めていたかのように、たくさんあるドレスの中から迷わず一着を取り出した。


お互いに着替え終わって、もう誰も居なくなった廊下を二人で歩いた。いつもなら王女の一歩後ろを歩くレンは、今だけは、彼女の隣に並んだ。ドレスなど着たこともないだろうに、王女のドレスを着込み化粧をしたレンは、いつもと変わらず背筋を伸ばして歩いている。王女は、あまり薄着をしたことがないからか、心許なさそうに背を丸めて自分の腕をさすっていた。

謁見の間に着いて、赤い絨毯を横切り、二人は壁に並んだ肖像画たちの前に立った。そうしてレンは、初代だと言う厳つい表情を浮かべている一枚に手を伸ばし、それを下ろした。その後ろには、ぽっかりと暗い穴があいている。その吸い込まれそうな暗闇に、召使い姿の王女は一歩怯んだようにさがる。レンは傍に掛けてあった燭台を手に取ると、そのまま王女に渡した。怯んでいた王女も、縋るようにそれを手に取った。

「どうぞ、ご無事で」

レンはドレス姿で、いつものように腰を折った。片手で、真っ暗の逃げ口を示す。王女は怯みながらも、レンの促すままその中へ入った。そして穴の中からレンを振り返る。
「今まで、ご苦労様」
まるで労うようでない、いつもの王女らしい言葉で、レンは分からないように小さく笑った。
「いいえ」
レンは笑顔を王女に向ける。
「いいえ、苦労など。・・・・とても、楽しい日々でした」
「・・・・そう。楽しい、なんて言うのレンくらいよ」
「・・・・・・」
彼女のご機嫌取りに必死だった奸臣や貴族たち。王女を誉めそやしはすれ、一緒に居て楽しいなどとは確かに言わなかっただろう。レンは逃げ口を隠すために、また肖像画を持ち上げた。

これがきっと、彼女を瞳に映す最後の時。

目を閉じて、レンは肖像画を掛ける。目を開けると、厳つい表情の男の顔が大きく映った。

「レン」

肖像画越しの、くぐもった声がした。

「さよなら」

簡潔な言葉。レンは黙って頷いた。

「我が親愛なる女王陛下」

レンは、もう王女には見えていないにもかかわらず、精一杯笑った。

「最期の我が侭をお許しください」

どうか。


「・・・リン、生まれ変わったらまた遊んでね」


行ってしまったのか、それとも何も言えないのか、リンからの返事はなかった。レンは踵を返すと、赤い道の先にある壇上を見上げ、そこへ向けて足を踏み出した。




牢の中、虚空を見つめてレンはそれを思い出していた。
「その、0とか1とかって、どういう意味?」
怪訝そうに言うメイコの声が聞こえて、レンは視線をそちらに戻す。その隣に並んだカイトを見て、レンは唐突に思い出した。

「カイト殿に、伝言があります」

メイコの問いを無視して、突然矛先が自分に向いたことに、カイトはわずかに顎を引いた。

「伝、言?」
「と、言うより、遺言が。・・・・ミクさんから」

ガシャン、と牢が鳴った。喰い付く様にカイトが鉄格子を握り締めた。
「どういうことだ」
「彼女を殺したのは、俺です」
二つの、息を飲んだ音がした。赤い鎧の女剣士は、カイトの恋人を知っていたのか、とメイコの反応にレンはぼんやり思った。
「・・・っ、どうして!?」
崩れるようにカイトがずるずると座り込んだ。俯いて、泣いているのかどうかはレンからは見えない。
「・・・・・」
レンの口が開いて、そのまま止まった。謝罪の言葉を言おうとしたのに、何故か音となって発せられることはなかった。しばらくして、レンは口を噤んだ。
「カイト・・・」
座り込んだカイトの肩に、メイコが宥めるように手を置いた。親しげなその動作は、恋人と言うには色がなく、親子と言うには近すぎて、まるで姉弟のような所作だった。

「もし俺が、もう一度カイト殿とお会いすることがあれば、伝えて欲しいと」
「・・・・・・」

膝を着いて俯くカイトは、泣く様子も耳を塞ぐ様子もなかったから、レンは言葉を続ける。


「『誰も、悪くない。私、待っています』と」


カイトがゆっくりと顔を上げた。その目は驚いたように見開かれていた。

「彼女が、本当に、そう、言った・・・?」

震えた唇から、か細い声でカイトが問う。そしてその海のような青い瞳に、波のように涙が揺れた。
「言いました」
レンが静かに答えると、涙がこぼれるギリギリで、カイトは唇を噛んだ。浮かんだ涙が徐々に引いていく。しばらく沈黙が降りてきたかと思うと、カイトは力が抜けたように静かに微笑んだ。

「じゃあ、俺はやっぱり誰も憎めないな、レン」

目を見開いたのは、今度はレンの番だった。
「カイト殿?」
「憎めない。だって、ミクさんは君を許した。『誰も、悪くない』と。死んだ彼女が許したのに、俺が憎む権利はないんだろうな」
「・・・割り切れると?」
カイトは苦笑しながら首を振った。
「そういう問題じゃない。・・・・ミクさんは溺死だったと聞いてる」
「・・・・・」
「溺れてすぐに、誰かに引き揚げられて、綺麗な遺体だったと」
押し黙ったレンに、カイトは笑顔を向ける。

「ミクさんは、自分から飛び込んだんだね。そして君が引き揚げた。・・・だから、誰も悪くない、って」

レンは思わず立ち上がった。木で出来た簡素なベッドが短い悲鳴を上げた。
「俺が、ナイフで脅したんです。だから、海に・・・」
キイ、という金属音に、レンははっとして我に返る。牢の扉が開いて、カイトが静かに入ってきた。後ろで複雑そうな表情を浮かべているメイコの手には、この牢のものなのだろう、鍵が握られている。

「もういい。誰にも言わないから」
しゃがみこんだカイトの目線が、レンと重なる。涙で揺れていたはずの青い瞳が、ひどく静かだった。
「もう、罪を被らなくていいんだよ。そう言いたくて、きっとミクさんは飛び込んだのだから」
自分と違う、大きな手が頭の上に乗った。耳の奥に、優しく強い声が甦る。

『残念だけれど、私は貴方に殺されてはあげない』

引き止める、声も手も届かなかった。まだまだ小さくて短いレンの腕。

カイトだったら届いたのだろうか。

「君は、王女の罪全てを自分が引き受けようと、思ったんだね」

心のどこかで、レンは分かっていた。殺されてあげない、と笑ったミクは、王女の罪全てを被ろうとしているレンの、その罪をほんの少し軽くするために、自分を殺す罪だけは被らせまいと、自ら飛び込んだのだ。

その声と笑顔に違わない、優しい優しい女性だった。

どうしてだろう、とレンは思った。どうして、普通に生きられなかったのか。

自分も、ミクも、―――リンも。

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