ビヨンド・ザ・サンセット

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「いつもいつも、鏡に映った自分を見て、王宮にいるという姉は、これに似た顔をしているのだろうかと、考えていました」

目の前にいる、穏やかな表情をしたカイトを見ながら、レンはポツリポツリと話し出した。

自分も王宮に入りたいと思ったわけでも、親愛の情が湧いていたわけでもなかった。ただおそらく誰だって、生き別れた双子の姉弟がいると聞けば、こんな顔をしているのだろうか、と想像くらいするものだ。レンも本当に、それだけだった。

いや、本人に会うまでは、養父を殺した暴君として、この国の多くの国民と同じように王女を憎んだのだ。自分の顔が映った鏡を叩き割った痛みを、レンは今でも覚えている。

「そもそも、いくら双子だって言われても、俺にとっては12年間一度も会ったことのないただの他人でした。再会してから2年が過ぎた今日までだって、俺は一度だって彼女を姉だと思ったことはないですし、彼女からも双子の弟として扱われたことはなかった」

「0の関係だったんだね」

カイトが何にも動じずに、静かにそう言うので、レンは頷いた。

「ずっとそう思っていました。彼女は、姉でも王女でもない。忠臣であった養父を殺した、ただの暗君だ。俺とは、全くの他人なんだ、と。あんまりにも憎しみだけが先走ってあまり覚えていないけれど、殺したかったのか、忍び込ませていたナイフだけが妙に熱かった。―――けれど2年前、王女に、リンに私室へ連れて行かれて、リンと真正面から向き合った時、」

あの、妙に片付いた部屋か、とメイコは思い出した。

「俺は悟ったんです」
「悟った?」

レンは頷いた。


「これは、俺だ、って」


採光窓から、月光が差した。レンから伸びる影が、深みを増していく。

「似ているとか似ていないとか、姉とか弟とか、双子であるとか他人であるとか、そんなこと全くの問題じゃない。目の前で無邪気に笑うリンを見て、これは俺自身だ、って思ったんです」

二人が生まれた時、大臣だった養父がたまたま抱き上げたのがレンだった。そのまま転がるように、レンは誕生を抹消され、王座からも離れ、継承権とは無縁の少年になった。

「だったらあの瞬間、父さんが抱き上げたのが、・・・リンだったら?」

カイトもメイコも答えない。

「あの部屋で、憎しみとナイフを抱えた相手に向かって、無邪気に『召使いになれ』と笑ったのは、俺だったはずだ、って。」

いつも鏡を見る度に、映った自分に見たことのない双子の姉を重ねていた。その顔が目の前で『召使いになれ』と笑った瞬間、あれほど憎んでいたこの暗君に、自分がなっていたのかもしれないという可能性を見た。
リンは、姉である前に、王女である前に、レンにとっては鏡であり、それ故に自分自身でもあった。
双子なんてものじゃない、けれど0でもない。リンはレン。レンはリン。1人だ。
全くの他人のようでもあり、全くの同じ人間でもある。

レンにとってリンは、0でもあり、1でもあったのだ。

「そう悟った瞬間、憎しみの代わりに湧きあがったのは、罪悪感でした」
「罪悪感?」

カイトに続いて牢の中に入ってきたメイコは、レンからは離れた出入口付近に立って、鉄格子に背中を預けている。

「・・・リンを、哀れだと思いました」

この世界に、簡単に手に入るものなどない。
だからこそ、簡単になくなってしまっていいものも、ない。

想いの深さと、喪失の痛みは比例するのだから。

「父親を殺された息子に向かって『召使いになれ』と無邪気に笑うリンは、きっと、俺の憎しみも痛みも知らなくて、そしてそれは、誰かを愛する喜びも、誰かに愛される幸せも、知らないから」

そんな、高尚な話だけじゃない。
友人と見る夕日だとか、たまに父と過ごす休日だとか。
見上げた空が青い。
育てた花が咲いた。
難しい問題が解けた。
寝転んだ草原。
泥まみれの後の風呂。
自分で釣った魚の味。

くだらないゲームに熱中して笑ったり、誰かの言葉に泣いたり。

「父に取り上げられなかっただけで、リンは知ることが出来なかった。リンだって得られたかもしれない、『幸福』と呼べるものを、俺だけが享受していた」
「君のせいじゃない」
「そうですね。俺のせいじゃない。―――けど、知ってしまった」

知ったからには、知らない時には戻れない。湧いた罪悪感を、消すことも出来ない。

「この哀れな王女は、俺自身で、だから彼女の罪は、俺の罪だ。―――だから俺の得た幸福を、今度は彼女が得るべきだ」
「それで、こんなことを・・・?」

レンはまた、カイトに静かに頷いた。

リンに、何も知らない無邪気な笑顔ではなく、本当に幸せに笑ってほしかった。
そうなったら、きっと自分も幸せだと、思った。

そのためなら、何でもしようと思った。
たとえそれで暗い穴に落ちることになっても、それがレンの、唯一の願いだった。

「―――そのためなら、隣国一つ、いいえ、この国さえも滅んでいいと?罪のない見知った少女さえ、手に掛けられると?」

離れたところから冷たく響くメイコの言葉に、レンは白い手袋に包まれた拳を握り締めた。
「レン?」
カイトが手を伸ばして、しかしレンの表情を見てその手を止めた。


レンは、うっすらと笑っていた。


「それが、俺の罪。唯一の願いであり、大きな罪です」

そんなこと、分かっている。

「俺は明日、リンの罪も自分の罪も連れて、王女として処刑台に立ちます」

この首一つで贖える罪ではないけれど、それでこの国も一応の収束がつく。

「リンは明日、何もかも失う」

王女の座
巨万の富
贅沢な服
豪華な食事
綺麗な部屋
笑顔の臣下

唯一の味方で、半身であった召使い。

―――そして彼女が抱えるはずだった、大きな罪。


「何もかも、・・・己の罪さえ失って、リンの新しい日が始まる」


カイトとメイコは、ただ呆然と言葉を失った。
誰も彼もが、王女を悪の申し子だと恐れ、罵った。メイコも、悪の娘を倒せ、とここまで反乱軍を激励してきた。

けれど。

「リンの願いなら、俺は叶える。どんなことからも、リンを守る。俺は彼女の一番身近な者で、唯一の味方でした。けれどリンは、明日知ることになる。もう、願いは簡単には叶わないということを。―――そして、身近な者を失う痛みを」

知って、すぐには理解できないかもしれない。理解するのは、何年か先かもしれない。
レンは、それを見届けられないことが、少し残念な気がした。

「リンを哀れだと思った。そして、そんなリンを戴いているこの国も国民も、哀れだと思いました」

リンに知ってほしかった。
願いは自分で叶えるものだということ。
大切に想う人、想ってくれる人を失う痛み。
それこそが、幸福なことなのだと。

何より、終わらせてあげたかった。
リンを玉座に据えている、この御代を。
国民に、安寧を与えたかった。
もう、父親を失って憎しみに駆られるようなことがないように。

それが、王子であり、リンの唯一の姉弟であったはずのレンが、してやれる微々たることだった。

「緑の国も、この国も、それまでに消えた命にも、申し訳ないことをしたと思っています。―――けれど、早くこの御代を終わらせ、なおかつリンを新しい出発地点に立たせる方法は、こうする以外に考え付かなかった」

リンの願いを叶え、守り、支えて、その罪さえも引き受けて。
誰よりもリンの傍に居て、そして最期は命を以って、失う痛みを知らしめる。
リンはその何倍もの痛みを、この国に降らせたのだから。

本当にそれを理解した時、リンは後悔するかもしれない。
泣くかもしれない。
絶望するかもしれない。
けれど、それが成長なのだ。

どんなにボロボロでも、また立ち上がれるのだと。
これから立ち直るであろうこの国を見ながら、生きていって欲しい。

リンにそうやって生き直す機会を与えてやれるのなら、何でもやる、―――何でもやった。


それがレンの願い。レンの罪。

悪の娘の後ろにひっそりと控えていた、悪の召使いだった。

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