ビヨンド・ザ・サンセット

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ぽたり、と雫の落ちる音がした。レンが顔を上げると、カイトの青い目から一つの筋が伸びていた。
「・・・何故、貴方が泣くんですか」
この光景にデジャビュを感じて、ああ、ミクの時かと思い出す。
「君は、哀れだね。・・・誰も彼も、哀れだ」
カイトは、一度止めた手をもう一度伸ばして、女物の手袋に包まれたレンの手を取った。
「ミクさんは聡いから、きっと君の言葉の端々から、色々な思いを汲み取ったんだろうね。ミクさんが言った、『誰も、悪くない』っていうのはきっと、リンも含まれていたと思う」
「・・・え・・・」
カイトがレンの両手を握り、レンと視線を合わせた。
ふと、子供の頃転んで泣いていた時に、こうやって養父の大臣が泣き止むまで待っていてくれたことを思い出した。老練な父と違い、レンの手を握るカイトの手はまだまだ細いが。
「きっと俺のことも、メイコのことも」
カイトがちらりと視線を投げれば、首を傾げたメイコがいる。
「リンもレンも悪くない。世界中が悪の娘と罵ろうが、ミクさんだけは、君の想いを汲んで、リンを許したんだと思う。そして自分の死後、彼女を護れなかったと自己嫌悪に陥いるだろう俺のことも、いつか起つ、大儀を掲げた反逆者のことも。きっと、誰も悪くないんだって、ミクさんは伝えたかったんだと思う」
虚を突かれたように目を丸くしたメイコに、カイトが微笑みかける。

「自分も処刑台に立つつもりだったんじゃない?どんな理由、大儀があっても、反逆は大罪だ。真面目な君は、自分がその後政権を執ってやろうなんてこと、考えもしてなかったでしょ?」
「当たり前でしょ!」

メイコが叫べば、驚いたのはレンのほうだった。

「あれだけ烏合の衆を纏め上げたのだから、国営に就いても問題ないと思いますけど」
「私たちの蜂起も、最後に身代わりになることも計算に入れて、ずっと召使いをしてたアンタに言われると、皮肉に聞こえるわ」

メイコが心底不愉快そうに言うので、カイトは思わず吹き出した。そしてそれを目の前で見ていたレンは、戸惑った後、クスリと控えめに笑った。それらにつられるように、最後にはメイコも笑い出した。レンとカイトは、一度お互いの顔を見合わせて、大きな声で笑った。

牢屋の外の副官に聞こえそうなほど、しばらく三人で大笑いした後、笑い声は静かに鎮火していった。
「あーあ」
どこか晴れやかな表情でメイコは溜め息をついた。
「出会った場所がこんな所じゃなかったなら、アンタとは、また違う関係になれたでしょうにね」
「いつかきっと、なれるよ」
青い目を輝かせて、カイトが言った。

「レン」

カイトに名前を呼ばれて、レンは高い位置にあるその穏やかな顔を見上げた。

「どうか最期まで覚えていてほしい。君やリンを許している人間が少なくとも、二人いることを。―――俺と、ミクさん」
「私は立場上、絶対に許さないからね」

そう言うメイコは、しかし笑っていた。
「さっきも聞いたけれど・・・、俺が憎くないのですか?」
カイトは少し考える仕種をしてから、苦笑しながら首を振った。

「俺が許せなかったのは、やっぱり俺自身だったんだ。・・・彼女を護れなかった。どうしてあの日、帰国したのか。何故、青の国に攫ってしまわなかったんだ、って。後悔ばかりして、自分が許せなくて。でもそんな自分に疲れて、仕事をすることで、彼女の死ではなく、自分を許せないことからも逃げてた。自分を許せないから起ちあがったメイコを尊敬する。でももういいんだ。ミクさんは、そんな情けない俺も許してくれた。待っていると言ってくれた。・・・・だから、もういいんだ」
「はい。・・・・はい。・・・・本当に、ごめんなさい」
やっと、素直に謝罪が口をついた。

こんな一言で、償える罪じゃなかった。

けれどもミクの笑顔と、悪くない、という一言で、ほんの少しだけ、肩が軽くなったような気がした。




晴れ渡る青い青い空に、白い鳥が横切った。その下には、兵士も農民もごった返した広場があった。人々が作るその群れの中心は、ぽっかりと穴が空いており、ただ木で出来た処刑台が静かに立っているだけだ。ざわざわと揺れる人波は、その処刑台に鮮やかな衣装の少女が立ったことで、嵐のように湧き上がった。

綺麗に結われた髪。薄い化粧の乗った小さな顔。ここにいる誰よりも豪華な衣装。伸びる細い手足は、けれど健康的な肉付きをしている。
誰から見ても可愛らしいその少女は、一身に国民の罵声を受け止めていた。どんなに汚い言葉にも、恨みの篭った視線にも、涼しい顔で立っている。

やがて少女はゆっくりと断頭台の元へと歩み寄る。畏れも萎縮もない、王者の歩みだった。そしてその小さな頭を断頭台の穴に通し、鍵を掛けられる。

その時、広場中に鐘の音が鳴り響いた。誰もが思わず、処刑台に寄り添うようにそびえるその教会を見上げた。首を固定された少女も目だけで、傍に立っていた赤い鎧の女剣士も、青い髪と目の男も、教会のてっぺんで揺れる鐘を見上げた。

突然、人垣の一番前に立っていた初老の男が、少女を見て泣いた。

14年前は確かに、あの少女の誕生を心から祝福しながら、この鐘の音を聞いていたはずなのに、と
今では人々が、彼女の死を祝福しながらこの鐘を聞いている。
あの日から、苦しいばかりの14年間だった。自分でも、この瞬間が喜ばしいのか切ないのか、分からない。

喜びに沸く人々。しかし少女が口を開いた途端、シンと、水を打ったように静かになった。まるで、寡黙で忠実な僕のように、誰も彼もが彼女の口元に神経を集中させている。

「あら、おやつの時間だわ」

赤い鎧の女剣士の腕が降りる。王女は笑って、地に落ちた。

その笑った瞳に最期、人垣の隙間に自分と同じ顔の少女を映したことを、知っている者は誰もいない。

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