レインボーデイズ


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「ますたー」

涙を拭うこともせず、彼はニッコリと笑いながら言った。俺は再び腰を抜かさないように、足を踏ん張るので精一杯だ。しかし彼がすっと(それはもう死んでると思っていたのが嘘のようにしっかりと)立ち上がったことで、その上背に気圧されるように、俺は後ろに尻餅をついてしまった。

「はじめまして、ますたー?」

まるで小さな子供が初めて会う人と話すかのような、もしくは日本語を覚えたての外国人が初めてそれを使うような、そんなたどたどしい言葉づかいだった。箱の中で立つ、成人男性が言うと非常に奇妙だった。

「おれはボーカロイドのKAITOです。これから、よろしくおねがいします」

男は箱の中に突っ立ったまま、ペコリと頭を下げた。

「・・・KAITO?」
「はい」
「・・・KAITO??」
「はい」

意味が分からなくて何度も呟くたびに、男が嬉しそうに返事をするので、俺はやっと『KAITO』とは名前、彼の名前なのだと理解した。

「・・・あんた、誰?何?」
「おれはボーカロイドのKAITOです。ますたーのなまえはなんというんですか?」

やっと箱から出て来ると、変わらずたどたどしい言葉づかいで言いながら、KAITOは腰を抜かしている俺に手を差し出した。

「ぼーかろいど?マスター?」

俺はどうしてもその手を掴む気になれなくて、手に力を込めて自分で立ち上がった。一方の『KAITO』は、俺が手を取らなかったことを気にした様子もなく、相変わらずニコニコとしている。本当に嬉しくて仕方がない、といった顔。
「ますたーのおなまえをおしえてください」
語尾にハートマークでも飛びそうな、そんな楽しげな声だ。

「マスター・・・って、まさか俺のこと?」

自分で自分を指差しながら俺が問えば、『KAITO』は力強く頷いた。
「ますたーのことはマスターってよびますけど、ちゃんとおなまえもしりたいですよ?」
「いや、っていうか、何でマスター?何のマスター?」
マスターって何だっけ?とか考えながら言った。
マスター・・・。何かバーとか喫茶店とか思い浮かぶんだけど。

「もちろん、おれのますたーですよ!ますたー!」

そう言ってニコニコしながら手のひらを差し出した。どうやら握手を求められているらしい。
「これから、おれをうたわせてくださいね!」
「はあ!?」
俺は握手に応えることも出来ずに、素っ頓狂な声を上げた。さっきから、この男の言うことは要領を得ない。
「ごめん・・・一から説明してください」
俺は自分を落ち着けるためにも、丁寧に言った。伝票もメモも父さんの字に間違いなかったから、コレは手の込んだ詐欺とか悪戯でもないんだろう。だったらとりあえず、話を聞かないとどうしようもない。

「はい、ますたー」

従順に『KAITO』は頷いた。そしてその場に座った。フローリングの上に正座。痛そうだが、几帳面なその動作に誠実さを見た気がした。

「おれはボーカロイドなんです」
「うん・・・、で?そのぼーかろいどって何?」

聞きなれない単語。俺までたどたどしい発音になってしまう。しかし『KAITO』の答えは俺よりもたどたどしく、だからこそ冗談みたいなものだった。

「はい、ボーカロイドはうたをうたうアンドロイドです」
「・・・・は」
「げんみつにいうと、ユイイツノ シュジント サダメタ マスターニヨッテ ウタワセテモラウ アンドロイド、です」
「・・・・はい?」
『KAITO』自身、暗唱するかのような棒読みで言った。うん、確かにロボットっぽい。

「じゃなくて!」

俺は我に返って手を振った。
「アンドロイド!!?」
「はい」
慌てている俺が馬鹿みたいに、『KAITO』はさっきからニコニコニコニコと余裕だ。

「ボーカロイドは、ますたーとうたをうたうアンドロイドです。それがボーカロイドのしあわせ」

本当に幸せそうに言うものだから、俺はギクリとしてしまう。『KAITO』はボーカロイド。『KAITO』のマスターは・・・俺、らしい。

「ていうか、冗談だよな・・・、だってどう見ても人間・・・」

ちょっと変だけど、という言葉は飲み込む。

「ほら・・・、涙!!あんた泣いてたじゃん!アンドロイドが涙を流すわけないし」
「だっておれ、こえがきこえて、めをあけてますたーがいて、ああ、このひとがおれのますたーだ、ってうれしくて」
そして微笑んだ。その顔、いい加減やめてほしい。身に覚えなく目の前で幸せそうにされると居心地が悪い。俺は出そうになった溜め息を咬み殺した。
しかし俺が溜め息をつこうとしたことに気付いたのか、『KAITO』の表情が曇る。
ああ、そういう顔を見るのも、嫌だな。

「ますたーは、おれのますたーになるの、いやですか?」
「う・・・」

そういう聞き方は、ずるいと思う。俺よりもずっと子供みたいな反応。アンドロイドとか何とかはこの際置いておくと、きっとこの『KAITO』は素直な良い性格なんだと感じる。

「嫌とか、嫌じゃないとか、そういう以前に、意味が分かんないんだってば」

曇った表情を何とかさせたくて、俺は取り繕うように言葉を重ねる。一見ずっと年上の男相手に一体何で俺が子供を宥めすかせるようなことしなきゃならないんだ。
「歌を唄わせる、とか・・・」
「あ!それはですね!!」
急に明るい顔になると、『KAITO』は自分が入っていた箱に上体を突っ込んだ。そして何やらゴソゴソと箱の中を探ってから、再び体を起こして顔を出す。
「こーれでーすよー♪」
浮かれた声で、一冊の本とコードらしきモノが入ったビニル袋を取り出した。
「このコードで、おれとますたーのぱそこんをつないで、ますたーがぱそこんにおんがくとうたをうちこんでくれれば、おれがうたいますからね!!」
うきうきと言うと、『KAITO』はおもむろに俺の手に本を押し付ける。

「おれの『とりあつかいせつめいしょ』です!」

「な!パソコン!?しかも俺が音楽と歌を打ち込む!?」
俺は思わず受け取ってしまった説明書と『KAITO』を交互に見る。
「俺はパソコンなんて、インターネットに接続するぐらいしか使ったことないぞ!?しかも、音楽?歌?俺はそんなことやったことない!」

言った後にしまった、と思った。また彼の表情が曇るかもしれない。

しかし、どうやら『KAITO』はマスターの歌を唄うのを楽しみにしている。だとしたら、俺はその期待に応えられそうにないことを、早めに伝えるべきなのだろう。

「・・・・・そうですか」

なんの感情も窺えない声がした。顔を見たくない、と思ったが、俺は恐る恐る彼の顔を見上げた。

すると、俺と目の合った『KAITO』はまた締まりのない顔でニコニコと笑った。
「え?」
「じゃあ、ますたー。これからますたーもいっしょに、がんばっていきましょうね!」
「・・・え?」

全くめげた様子もない、むしろやる気を出した『KAITO』
何故か、なんだか、敵わないと直感した。

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