レインボーデイズ


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ずっと耳の奥に、こびりついて離れない声。女の人の、身を切るような声がする。その声が、ずっとずっと呼んでいる。

『・・・たー・・・』

呼んでいる、俺を。―――俺を、呼んでいたのに・・・・・・

「ごめんなさい」





「・・・すたー、ますたー!」
「!!?」
目の前に広がる青色に、俺は思わず飛び起きた。飛び起きた俺を避けるように、視界から青がひらりと消える。

「おはようございます、ますたー」

ハートマークが付きそうなその声に俺は一瞬混乱しかけて、しかしその青色の髪と目と、幸せそうな顔を見て、『ああ、そういえば』と脱力した。

昨日父親から突然送りつけられた大きな荷物。その中にこの男は入っていた。父さんのメモに書かれてあった『KAITO』と言う名前を名乗る、アンドロイド、らしい。
しかもアンドロイドと言っても、戦えたり家事ができたりと何か特殊な機能がついているのかと思いきや、出来ることは歌を唄うことだけ。その名もボーカロイド。

そしてこの男を送りつけられた俺は、自分の知らないうちに、このボーカロイドとかいう謎の存在の、マスターになっていた。脱力せざるを得ない。

「ますたーますたー、ますたーは学校へかよっているんですよね?はやくおきないと、ちこくしてしまいますよ?」
時計を見ると7時だった。ホント、いい時間に起こしてくれた。
「・・・コレが平日ならなあ」
「へ?」
俺は上背のあるKAITOを、ベッドで上体を起こしたまま睨んだ。俺は自分がどれだけの顔をしていたかは分からないが、とりあえず、めちゃくちゃKAITOが怯んだのは分かった。

「せっかくの日曜なのに、こんな早く起こしてくれてありがとうな・・・・・」
「ますたー、めがわらってません・・・」

ごまかすようにKAITOがヘラリと笑う。それが、日曜の朝にはずいぶんイラっときた。



「お前、料理とかできないの?」
俺は目玉焼きをフライ返しですくいながら、テーブルについて俺に殴られた頭をさすっているKAITOを振り返る。
「ますたー、おれはきかいですよ。みずもひも、おれにはてきです」
「つまり、家事全般において役立たずなワケか」
できるのは部屋の掃除くらいか?だいたい、涙を流すのに水に触れないなんて。
「あの!いちおう、ぼうすいもたいねつもできますけど、あんまりよくないっていうか・・・」
KAITOが必死に言う。ひょっとしなくても、気にしたのだろうか。水にも火にも弱くて、アンドロイドらしいと思ったら、それを気にする感情は人間くさい。
「いいよ、お前は歌を歌うアンドロイドなんだろ?」
レタスを目玉焼きの隣に盛って、俺の朝ごはんは出来上がり。中学生男子が、これだけやれば上出来だろう?あとちゃんと夕飯だって自炊なんだから。俺が皿と茶碗を持ってテーブルにつくと、KAITOがきょとんとした顔で俺を見ていた。
「・・・なんだよ」
はっとしたように、意識が戻った顔つきになる。
「あの、・・・びっくりして」
言葉を探すように、KAITOは目をきょろきょろとさせている。本当に、機械だと思えない仕種。

「おれ、かじ、できなくて・・・。やくたたなくて・・・」

ああ、やっぱり気にしてる。
「いや、ごめん。言葉が悪かったよな」
「おれ・・・」
「うん、だから。お前はボーカロイドで、歌を歌うアンドロイドだから、家事ができなくてもそれは役に立たないわけじゃないよな?」
多分、冷蔵庫に弁当をチンしろ、と言っているようなものなのだろう。本来の機能以外のことを求めて、それが出来ないから役立たずなんて理不尽すぎる。

「ますたーは、それでもいいんですか?」

心配そうに俺を見るKAITO。そういうふうに見られると、朝ごはんが食べにくい。何て繊細なアンドロイドなんだ。精密機械だからか?精密って、そう言う意味じゃないよなあ?

「ボーカロイドが歌を歌えないんじゃ役立たずかもしれないけど、家事できなくったって、お前は歌を歌えるんだろう?」

俺が聞くと、KAITOは目を丸くしてぶんぶんと首を縦に振った。

「・・・だったら、歌を歌ってくれたら、俺は文句ないよ」

そしてやっと俺は朝ごはんの一口目を口に入れた。うん、ちょうど良い半熟具合だ。



「俺、歌を歌います」



俺は咀嚼していた食べ物を、喉に詰めそうになった。今の声は、誰だ?ご飯から視線を上げ、音源を見た。

昨日からヘラヘラフニャフニャしていたKAITOが、真剣な眼差しをしてこちらを見ていた。ああこのKAITOなら、今の言葉を言いそうだ、と思った。たどたどしくもなく、はっきりとした、言葉。

「俺、ずっとずっと、マスターに、マスターのために、歌を歌います」

俺は詰まった食べ物を、慌てて飲み込んだ。それはまるで、KAITOに気圧されて唾を飲み込んだみたいだった。
「う、うん。なんだよ、いきなり」
KAITOがふっと微笑んだ。それは全然ヘラヘラしていなくて、俺には出来そうもない、慈愛がこもったものだった。

「マスター、どんなに月日が流れても、いつか俺が歌えなくなって本当に役立たずになる日がきても、どうかこれだけは覚えておいてください」
「・・・・・」

微笑んでいても、声が本気だった。やっぱり、アンドロイドと思えない。アンドロイドと思えないから、俺にはこの時の、悲愴なまでのKAITOの想いを汲み取ることはできなかったのだ。


「ボーカロイドにとって、歌とマスターが、全てです」


俺は箸を落としそうになって、思わずぎゅっと握り締めた。ふいに悲しくなったのだ。何が悲しいのか自分でも分からないが、ただ一つの感情が胸を衝いた、確かに『悲しい』と思った。
「・・・ごめん」
やっぱり、何が『ごめん』なのか自分で分からない。謝らなければならない気がした。そして『ごめん』と言った瞬間、朝の夢が、夢の中で言った自分の『ごめんなさい』が脳裏をよぎった。

俺の『ごめん』をどう取ったのか、KAITOは何も言わなかった。

俺は胸に沸いた『悲しい』だとか、『ごめん』だとかを何とかして押し込めると、一緒に飲み下すために、ご飯を一口かきこんだ。思い切り咀嚼して、KAITOに聞こえそうなくらい豪快なゴクンという音を立てて飲み込む。そして一旦箸を置いて、KAITOを振り仰いだ。KAITOは微笑んでもいなかったしヘラヘラもしていなかった。ただ真っ直ぐに俺を見て、俺の言葉を待っていた。忠実で優秀な柴犬が、飼い主の言葉を黙って待つのに似ている気がした。

「今日はせっかくの日曜なのに、こんな時間に起こされて・・・」

KAITOがきょとんとする。どうやら、続く言葉が思い当たらないらしい。俺は苦笑したい気持ちを耐えて、続ける。


「せっかくの早起きをしたんだから、歌でも歌おうか、KAITO」


照明のスイッチが入ったように、KAITOの顔がパアっと明るくなる。昨日のような、ヘラヘラした顔になる。俺は今度こそ苦笑した。

「はい、マスター!!」

絶対におかしいと、自分でも思う。
でも俺は、このKAITOに歌ってほしいと思ったんだ。

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