レインボーデイズ


□4
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4.

華麗な曲線を描いて飛んできたチョークは、見事俺の頭に着地した。

「今日やけに眠たそうだな、大丈夫か?」
村田が俺の顔を覗き込みながら言った。大丈夫か、と尋ねながら、心配している様子はあまりない。俺は閉じそうになる瞼をこすった。
「んー、ちょっと寝不足で・・・」
「はー、何してたんだよこのエッチ!アイツが寝かせてくれないんだー、ってか?」
「・・・・・」
うっかりその通り、と言いたくなって、なんとか言葉を飲み込んだ。言ったらこの村田は絶対五月蝿いに決まってる。たとえそれが誤解でも。

昨日、歌おうと言ってみたものの、やり方が全く分からず一晩かけて取扱説明書を読みふけった。その結果今日は大変寝不足だ。だがそれなりの成果はあったはず。
俺にはパソコンの知識も音楽のセンスもないから不安だったが、説明書を読む限りは手も足も出ない、ということにはならなそうだ。

KAITOはある程度自立している機械だと思っていいらしい。つまりパソコンが必ずしもいるわけではないらしい。パソコンは、音痴だったり楽器が出来なかったりするマスターを補佐するためのものだ。マスターが口で直接ボーカロイドに歌って聞かせてもいいし、演奏してみせてもいい。ボーカロイドはきちんとそれを聞き分けて自分の中に記憶できる。ただ音痴で上手く歌えない、演奏できない、というマスターのために、ボーカロイドをパソコンに繋いでパソコンに歌や音楽を打ち込んでボーカロイドに送る、という作業があるのだ。

「だったら最初は、普通のJ-POPとかを一緒に歌うとかでもいいよなあ」

友達とカラオケをしている感覚で、きっと楽しいだろう。
「え?何だって?」
俺の呟きを耳ざとく聞きつけて村田が首をかしげる。俺は何でもないと手を振って、次の授業の準備を始める。村田はふーん、と言って気にした様子でもなかった。村田はすぐ調子に乗るが、口数の多い方ではない俺と付き合うにはちょうどいい、と最近気付いた。静かな奴だと会話が始まらないし、俺が喋る奴だとしたらきっと会話にならない。俺に構いたがるうざったいカンジが、少しKAITOに似ていると思った。

結局俺は、その後の授業の大体を寝て過ごし、今までにないくらいチョークが頭に降ってきた。そして放課後、担任に呼び出しをくらってしまったのだ。
「どうした?お前はいつも、生活態度はそれほど悪くないだろう?」
担任は職員室の自分の席に座ったまま、立つ俺を見上げた。
「すいません」
俺には言い訳の仕様もない。
「・・・生活が大変なのか?」
労うような声で言われて、俺の胸中に罪悪感に似た苦味が広がる。俺のクラスは、俺以外は全員両親が健在している。一軒家に一人置いておかれているなんてのは、俺だけだ。それだけで、担任にもクラスメートにも、言葉には出さないが村田にも、気を使わせてしまう。

今の生活にはもう慣れてしまって、辛いとも思ってない。
家事なんて、手際よく出来てしまって大変なことなんてないのに。

そう気を使われると、ひどく俺が悪いような気がしてしまう。俺が何か、遅刻だとか宿題忘れだとか、そういう小さな違反をしても、『アイツはひとりで大変だから、大目に見よう』という空気がある。もちろん、表面上は怒られもするが、教師たちには覇気がないし、クラスメートがそれを責める気配もない。

「そういうわけじゃ、ありません」

いつものように言ってみるが、おそらく遠慮していると取られる。事実、担任はそれ以上追及しようとしていない。次に何を言うか、予想は出来た。

(もういい。次からは気をつけろよ)
「もういい。次からは気をつけろよ」
(・・・やっぱり)

内心で溜め息をつきながら、俺は『すいませんでした』と言い置いて職員室を後にした。



重い気持ちを引き摺りながら、俺は玄関の扉を開けた。玄関は薄暗いが、何かに躓くこともない。暗い中で靴を脱ごうとしていると、不意に照明が灯った。驚いた俺が顔を上げると、照明スイッチのところに青い髪の青年が立っていた。

「KAITO」

俺がKAITOを認識したと分かると、KAITOはそれはそれは嬉しそうに目を細めた。
「マスター」
そしてたたたっと軽い足音を立てて寄ってくる。
「お帰りなさい、マスター」
そう言うと、そっと俺の手から通学鞄を取る。あまりに自然な動作で、俺が何か言う間もなく鞄はKAITOに渡ってしまった。

「・・・ただいま」

俺はぎこちなく言った。この言葉を、この玄関で言ったのは、いつぶりだろうか。久しぶりすぎて、言い方を忘れてしまったような気がした。そしてまた、俺の帰りを待っていてくれたのも、いつぶりだっただろう、とも思った。俺が靴を脱ぎ始めると、KAITOは先導するように先にリビングに向かい始める。

その背中を見て、ふと父さんを思い出した。KAITOと父さんが似ているなんてことは全くなかったが、本来この家に俺以外で誰かがいるとしたらいつもそれは、たまに帰って来る父親だったからだ。

「なあKAITO」
「はい?」

リビングに入って、俺はKAITOに声をかけた。
「お前、俺の父さんを知ってんの?」
KAITOがきょとんとした。俺がソファに座ると、なぜかKAITOは向かい側の床に正座した。
「マスターのお父さんですか?」
知らなさそうな感触だった。
「お前を俺に送りつけたのは、俺の父さんなんだ」
言ってから、そもそも、と俺は思う。そもそも何だって父さんは『KAITO』を俺に送りつけてきたのか。どこでボーカロイドなど手に入れたのだろうか。昨日インターネットでいろいろ調べてみたら、歌を歌う機械は、前からいくつかあったらしい。しかしそれらは全てパソコンのソフトウェアであって、KAITOのようなボーカロイドを名乗る自我らしきものを持ったアンドロイドなどは、当然のことながら載っていなかった。俺だって、こんなアンドロイドがあればニュースにならないはずがないと思うし、ニュースになっていたら、興味を示していたかは別として少なからず記憶しているはずだ。
「俺は、インプットされた言語や一般常識の情報以外のことは、マスターに起動されるまでメモリーされません」
つまり、俺に名前を呼ばれる以前のことは覚えていないってことか。
「じゃあさ、お前を作ったのって、誰?」
またもKAITOはきょとんとした。
「お前の生みの親だよ。機械なんだから、作った人間がいるだろう?」
「・・・いる、んでしょうけど」
「・・・メモリーにない?」
「・・・はい」
しょぼん、とKAITOは項垂れた。どうやら、また役に立てなかった、とか思っているのだろう。しかしそこで「あ」と呟くとおもむろに顔を上げた。

「生みの親といえば、マスターのお母さんは?」

俺は一瞬、言葉の出し方を忘れた。父親の話題を出したのだから、訊かれてもおかしくないのに、何故だかKAITOは訊ねないような気がしていたのだ。

「・・・離婚したんだ、俺がまだ7歳だったころに」
「え」
「もうこの家にはいない。帰ってこない」

俺は正直に答えた。隠すようなことでもないし、どこかでKAITOの反応を見てみたいと思ったりもした。クラスメートたちや、教師と同じ反応をするのだろうか、と。

そう思いながら顔を上げて、俺はぎょっとした。

今にも泣き出しそうなのを我慢して、プルプルしているKAITOだった。

「KAITO?」

俺と目が合うと、辛抱ならなかったのかKAITOは跳ねるように立ち上がり、ソファに座っている俺にソファごと押し倒さんばかりに抱きついた。

「ちょ・・・KAITO!?」
「マスター!!」

あまりに突然のことに非難めいた声をあげれば、KAITOは更に強く俺を抱きしめた。

「こんな広い家にひとりで、淋しかったですよね!!」

そうじゃない、という言葉は苦しくて言えなかった。さっき話をした担任を思い出して、虚脱感が押し寄せる。やっぱり同情されたのだろうか、アンドロイドにまで。

「俺は淋しかったですよ!!」

KAITOが、俺が声を出せないくらい強く抱きしめていなかったら、俺は今「は?」と言った。
「マスターが学校に行っている間、ひとりこの家で淋しかったですっ!!マスターも淋しかったですよね?」
「・・・・」
KAITOに抱きしめられているせいだけではなく、本当に言葉が出なかった。
「でも、だから、マスターが帰ってきて嬉しかったです!!」
俺が帰ってきた時の、俺の顔を見たときのKAITOを思い出す。嬉しそうに笑って、おかえりって。

「だから俺が傍にいます、マスター!!」

泣きそうだからか強く叫んだ言葉だけれど、俺を抱きしめていてKAITOの顔が見えない。

「ずっと傍にいます、マスター。これからは、俺が一緒にいますから〜!!」

泣きそうな情けない声と共にKAITOの腕に力が更に篭った。けれど、俺にはもうこの息苦しさがそのせいだとは思えなかった。

ああ、と心の中で嘆息する。

同情して欲しいわけじゃなかった。
心配して欲しいわけじゃなかった。

「KAITO、落ち着け」
自分でも驚くくらい、あっさりと声が出た。俺の声に我に返ったのか、KAITOの腕が緩んだ。だが自分から離れる様子がなくて、俺がそっとKAITOを押すと、促されるようにKAITOの体が離れた。
「・・・お前の言うとおりだよ」
「え?」

確かに、俺は寂しかったのだ。この家にひとりきりで。けれども、それを嘆きたいとは思えなかった。嘆いたって、母さんはこの家には戻ってきてくれないのだから。

だから同情して欲しいわけじゃなかった。
心配して欲しいわけでもなかった。

「ただ・・・」

寂しいと思ったのは、本当だから。

「ひとりじゃないんだ、って言って欲しかったのかなあ」

俺がこの家にひとりきりなのは仕方がない。だからせめて、親しい学校の人たちには、ひとりではないんだ、と言って欲しかったのかもしれない。同情されると、心配されると、俺はひとりなのだという事実を押し付けられているような気がするのだ。

「マスターはひとりじゃないですよ」

そう言ってKAITOはまた俺を抱きしめた。今度は優しく包むように。俺が言って欲しいと言ったから、言ったわけではないと俺は思った。

「俺はいつでも、この家でマスターを待っています。・・・いつまでも待っています」

俺は、胸から競り上がってくるものが何なのか良く分からなかった。言葉なのか感情なのか、それは口から出る前に消えてしまった。

「マスターにいらないって言われるまで、傍にいますから」

ソファに座ったまま、俺は初めてKAITOに腕をまわして抱きしめ返した。胸から上ってきたもの、口に出す前になくなったそれの名前を、俺は思い出した。

『罪悪感』

俺は痛みに耐えるために眉間に皺を寄せた。今、俺を抱きしめているせいでKAITOの顔が見えないことが、ラッキーだと思った。

「ごめん、KAITO。・・・ごめん」

押し寄せる罪悪感に耐え切れず謝って、そして脳裏を過ぎるのはやはり、かの夢。そして、

「・・・ありがとう」

その言葉だけは、言わなければならないと思った。

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