レインボーデイズ


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『VOCALOID00−02 KAITO』
それが、俺だ。

マスターに従い、歌を歌うアンドロイド。それがボーカロイドである俺の存在理由。でも実際、そういう小難しいことはよく分からない。つまりは、マスターと一緒にいて、歌を歌っていればボーカロイド、もとい俺は幸せなのだ。




色んな音が聞こえていた。でも俺はそれが何なのか認識していなかったし、何であるか、なども気にならなかった。もとよりAIの思考パートは働いていなかったんだ。ただ、流れ込んでくる音の中から、たった一つのものを探していたように思う。

『KAITO?』

その音が耳に入った瞬間、『ああこれだ』と分かった。次にそれは声だと初めて認識した。その瞬間、俺の中の全てのものが『起きた』のが分かった。

初めて開けた視界は、すぐに滲んだ。頬が濡れていたのも分かっていた。でもそんなこと一切がどうでもよかった。

「ますたー」

目の前にいる、『ヒト』。
この人が、俺のマスター。
俺のAIが痛いくらいに悲鳴を上げている。『嬉しい』『嬉しい』って。
だから、マスターが困惑しているのだって、分からなかった。



「つまり、家事全般において役立たずなワケか」
役立たず、と言われてギクリとした。いらないと言われてしまえば、俺はもうマスターの傍には居られない。それだけは嫌だ。

俺は火も水も強くないはずだけど、実際にやったこともないし、出来ないこともないかもしれない。俺は何とかマスターの印象を変えたくて、すがるように言い訳を言ったけど、マスターはあまり取り合わなくて、俺は一瞬絶望した。
料理を作り終えたらしいマスターは、何でもないという風にふと言った。

「いいよ、お前は歌を歌うアンドロイドなんだろ?」

俺は、いわゆる『虚を衝かれた』気分だった。一瞬AIが停止した。だってマスターにそう認識してもらえていると思っていなかったから。だってマスターは昨日から一言も歌について言及しなかったから。

俺のことなんて、気にしていないと思っていたから。


「だったら、歌を歌ってくれたら、俺は文句ないよ」


そう言われた瞬間の、自分の思いが何だったのか、今でもよく分からない。

けれど、俺はこの瞬間、やっと『ボーカロイド』になれたんだと思った。

マスターに、そう認められてやっと俺は、この人のために歌おうと思ったんだ。





マスターの所に来て、もう二週間が経とうとしている。
マスターの名前はナツオさんと言うらしい。最近になって、思い出したように教えてもらった。『夏に生まれたから夏生らしい、単純だよな』って笑っていた。といっても俺はマスターとしか呼ばないのだけど。
マスターは中学一年生をしている。俺はよく分からないけど、テレビなどで見る限りじゃ、『中学生』はまだまだ小さい子供になる。けれどマスターは、テレビで見るどの『中学一年生』よりも大人びているように思う。だって俺が宥められることも少なくない。

そしてマスターにはご両親がいない。
離婚したと言っているから健在なんだろうけど、それについてはあまり話してはくれない。マスターのお父さんが、俺をマスターの元に届けてくれたみたいだけど、俺のメモリーにマスターのお父さんはいない。
マスターが学校に行っている間、俺はテレビを観たり、教えてもらった曲を歌ったりしているけど、マスターと一緒の時間に比べるとずっとずっと味気なくて、寂しい。

マスターは、こんな生活をもう6年もしているのだと思うと、何だか苦しかった。

優しい優しいマスター。
マスターは、自分のことを『優しい』なんて思っていないみたいだけど、俺にはもったいないくらいマスターは優しいと思う。

テレビを観たり、本や新聞を読んで、他の家にはボーカロイドなんていないんだって最近知った。確かに、俺は自分以外のボーカロイドがいるなんて考えたこともなかった。でもその逆も同じで、いない、とも思っていなかった。

俺が来た日、マスターはきっと困ったはずなんだ。けど、俺を迎え入れてくれた。
俺を歌わせてくれる。
俺が音を外しても、少し笑って『頑張ろうな』って言ってくれる。
そして歌えるまで、ずっとずっと付き合ってくれる。
ドジして転んだら、心配してくれる。
休みの日は外に連れて行ってくれたり、いっしょに昼寝をしたりしてくれる。

たくさんの笑顔をくれる。
俺が『お帰りなさい』って出迎えた時、うまく歌えた時、俺がアイスを食べている時。
呆れたり、溜め息つきながら、でも結局最後は笑いかけてくれる。

俺は幸せです、マスター。

けれど、マスターは?




ある日、夜中に目が覚めた。まだ4時だった。外も家の中も暗い。俺は機械だから、設定した時間前に起きることなんて、ほとんどない。何故自分が起きてしまったのか疑問に思いながらも、俺は繋がれた充電のためのコードを抜いて立ち上がった。本当は充電しなくてももう2日くらい動けるのだ、充電は十分だった。

何故睡眠モードが途切れたのだろう、と思いながらも、勝手に動いているかのように足が歩き始めた。マスターに使えと言われた客間から廊下に出た。足は止まらない。不思議に思う自分がいる一方で、その理由を知っていそうな自分もいた。

やっと足が止まる頃には、俺はマスターの部屋の前にいた。

「マスター?」
呼びかけて、当然寝ているだろうということに思い至った。
「俺、何してんだろう?」
迷惑だろう、と思って、帰ろうとした時だった。

マスターの部屋から、声が聞こえた気がした。足を止めて振り返る。俺の耳は、人間より何倍か良い。というより、五感と身体能力だけは人間より割合良く出来ている。
だからその小さな声が、まだ俺よりも幾分高いその声が、うめき声だということもすぐに分かった。

それはテレビドラマで観た、強盗に襲われた時の人間の声に似ていて、俺は思わず蹴破るようにマスターの部屋に転がり込んだ。

「マスター!!」

しかし部屋は俺が想像したものと違って、マスターが一人ベッドで寝ているだけだった。

「あれ?」

俺は首をかしげた。けれど、やっぱり変わった様子はない。俺はマスターが起きなくて良かったと思いつつ、うーんと唸りながら部屋を出ようとした。そうしたら、


「ごめんなさい」


泣きそうな声が背中に刺さった。聞いたことない声色に、思わず振り返ると、マスターの目から一筋涙が流れた。

俺はこれ以上ないくらいに、衝撃を受けた。AIを直接叩かれたような気さえした。もし俺に心臓があったら、きっと痛かったに違いない。

マスターの涙を初めて見た。

言葉が出ない俺に構わず、マスターの声は続く。

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」

寝言だからか、普段のきっぱりした声とは違う、まさにうわ言だった。

「・・・マスター・・・、苦しいんですか・・・」

呟いた俺の声は情けないくらい小さい。一歩踏み出すと、平衡感覚が分からなくなったように、視界がぐらついた。
マスターが泣いている、という事実が、ひどく恐ろしい。

「マスター、悲しいんですか・・・」

もう一歩踏み出すと、俺まで涙が出た。おかしい。たしかに涙を流す機能はあるけど、何で今流れるのだろう。

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」

尚もマスターは謝る。なんで謝るのか、誰に謝っているのか、俺には分からないけど。

「マスター?」

もう一歩、二歩、踏み出した。

「ごめんなさい・・・・・・ごめん、・・・ごめん、・・・・・KAITO」

思わず足を止めた。一瞬、マスターが起きたのかと思ったけど、やっぱり目は閉じている。そして再び歩いて、マスターのベッドの脇にたどり着いた。膝をついて、マスターの寝顔を覗き込む。

「ごめん・・・KAITO、ごめん・・・」
「なんで、俺に謝るんですか・・・、マスター」
俺はマスターのはみ出た手を握った。すると小さな手は弱々しくも俺の手を握り返した。

謝るのは俺の方なのに。

役立たずでごめんなさい。
甘えてばかりでごめんなさい。
いつでも、貴方の考えを理解できなくてごめんなさい。


マスター、俺は幸せです。

「だから謝らないでください」

けれど、マスターは?

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