レインボーデイズ


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焼肉の次の日、俺は痛い頭を押さえながら早朝の帰路を歩いていた。

焼肉は本当においしかった、と思う。正直KAITOのことが気になって、焼肉をしている間半分上の空だった。失礼にならないよう、村田家の人たちの言葉には耳を傾けていたけれど、箸の方は結構さ迷っていた。
だから俺は、自分のジュースと村田父の焼酎オレンジ割を取り間違えたことに気付かなかった。初めて飲んだ酒、しかも焼酎で、俺は卒倒するように眠りこけてしまった。

そして気が付けば、翌朝。

食べたらすぐ帰るつもりだったのに。村田家に迷惑をかけた(当人たちは喜んでいたけど)上に、KAITOを丸一日放っておいてしまった。この頭痛は決して、酒のせいだけではない気がする。

帰って泣いていたらどうしよう。


KAITOが俺を「マスター」と呼ぶ割に、なんだか俺の方がKAITOに気を使っている気がする。
そう思っていると、やっと自分の家が見えた。俺の家は坂の途中に建っている。だから門を出ると坂の傾斜分、3段ばかり階段がある。それは、趣向などが違えど両隣、お向かいの家も同じ造りだった。歩道から丸見えの、我が家の白いだけのシンプルな段差を見て、俺は息を飲んだ。

その階段に、座り込んで膝に顔を埋めている人影がある。

それが誰であるかなんて、俺はいちいち考えなかった。頭が痛いのも忘れて、俺は走り出す。

「KAITO!!」

早朝で、周辺に誰も歩いていないのをいいことに俺は叫んだ。その、階段と同じ色をしたコートに包まれた肩が、ぴくりと揺れた。そしてうずめていた頭をゆっくり上げ、音源である俺の方を見た。その動作は、初めて動き出した時の緩慢な動きに似ていた。
髪の毛が黒い。KAITOは髪の色を青から黒にできる。恐らく青が本来の色だが、外出する際には、最初に箱に入っていた時のような黒にすることも出来たらしい。
俺が傍まで駆け寄っても、KAITOは夢でも見ているかのようにぼーっとしている。俺の想像に反して、KAITOが泣いていた様子はなかった。しかし、そのガラスのような蒼い目に俺が映ると、途端に涙が浮いた。

「ま、ますた〜〜〜〜〜っ」

情けない声が早朝の住宅街に木霊した。

「ごめん!」

言い訳のしようもなく、俺は謝った。そんな俺の肩を、大きな手が掴んだ。

「無事だったんですね〜〜〜〜」

そうして俺にしがみつく。KAITOが段差に座ったままではなかったら、俺は確実に尻餅をついていた。

「俺っ!マスターが誘拐されたのかと・・・っ!!」

「お前はテレビの観すぎだ」

だが実際連絡もなく、夜になっても帰らないんじゃあ、そう思っても仕方ない。しかもKAITOは俺以外に、助けを求める相手も手段も持ち合わせていないのだ。

「・・・ごめんな、KAITO」

しがみつくKAITOの肩を軽く叩くと、ぴくりとその肩が揺れた。

「謝らないで下さい、マスター」

意外なほどに強い口調で、KAITOが言った。俺からゆっくりと離れ、顔を上げたKAITOはもう情けなく泣くKAITOではなかった。何故か強い決意のようなものがこもった目をしている。

「貴方が、俺に謝ることなど一つもありません」

射るほどに強い目に、俺は怯んだ。KAITOがこんな顔も出来るなんて知らなかった。KAITOに何故か罪悪感を抱くたびに、なんとなく謝ってしまっていたのを気にしていたのだろうか。

俺でさえ、どうしてあんなに申し訳なく思うのか、分からないのに。


「でも、何で昨日帰ってきてくれなかったんですか〜、ますた〜〜」

またいつものKAITOに戻る。俺はなんだか、呆れたような感心したような気分になって、息を大きく吐いた。
顔を上げると、陽が昇り始めていた。

「あ」

俺は空を見て、一声上げた。
「見ろ、KAITO!」
俺が指さす方を、不思議そうな面持ちでKAITOも追った。
「おおー」
KAITOが気の抜けた歓声をあげる。


その先に、綺麗なアーチを描いた虹が掛かっていた。


「マスター、あの綺麗なものは何ですか!?」
はしゃぎながら訊ねてくるKAITOに俺は驚く。
「虹を知らないのか?」
「虹?ああ、あれが虹なんですね。初めて見ました」
感動しているのか、溜め息混じりに言う。そうか、単語としては知っていても、実際見るのは初めてか。当然だよな。つい最近起動して、昨晩が初めての雨だった。

「初めての雨で、初めての虹が見れるなんてラッキーだな。虹は、雨が降った後太陽に照らされることによって出来るんだ」

KAITOが俺を見上げて頷いた。
「こんなに綺麗なものだとは、思いませんでした」
「そうか」
「たくさん、いろんな色がありますね」
「7色あるぞ」
俺が教えると、『7色!』とKAITOは悲鳴のように言った。

「7色もあるなんて、感心してしまいますね」
「そうか?」
俺はKAITOを見下ろした。いつの間にか、その黒髪に違和感を覚えるようになってしまった。

「俺は、お前の声は虹みたいだな、って思うよ」

KAITOは目を瞬かせる。

「綺麗で、いろんな色を持ってる」

初めて歌を教えた時、俺は音楽の教科書から適当な曲を選んでKAITOに歌ってみせた。歌詞はマスターの声でのみ、音声入力が可能だったから。これならパソコンで歌詞を打ち込むより簡単、と思ったのも束の間、俺が音を外せばKAITOも外す。俺が平坦に歌えばKAITOの声もたちまちロボロボしくなった。しょうがないので説明書片手に、音声入力したものをパソコンでなんとか修正したりリズムを合わせたり、手を加えたりして、きちんと調整し直したものを改めてKAITOに歌わせてみた。


まるで、流れるような歌だった。


波のように静かで、風のように澄み渡る声。それでいて優しく、力強く、心地よい。
時に明るく高く、時に暗く低い。

まさに七色の声。


KAITOは照れたように笑うと、『だったら』ともう一度視線を空に戻した。

「マスターは俺の太陽ですね」

こっちが、虚を衝かれてしまった。
「・・・うまいこと言うな」
気恥ずかしいのとか、悔しいのとかが交じって、それしか言えなかった。しかしふいに、虹を見上げていて一つの曲が頭に浮かんだ。それは昨日の昼休み、村田が好きだと言った、放送で流れた懐かしい曲。あの時は何とも思わなかった曲なのに、なぜかその歌は俺の口をついた。


「―――虹を見ると、貴方を思い出す」


KAITOがリズムに乗った俺の声に、振り返ったのが視界の端に見えた。


「貴方とは、喧嘩して泣いて笑って」
「最後は貴方を傷つけて、傷つけられて」

「どうしてずっと、一緒にいられなかったの、私たち」
「どうして今、こんなに離れてしまったの、私たち」

「それでも貴方と見た虹だけが、貴方との日々を七色に染める」

「ああ、きっと私は貴方を忘れない」


村田が子供心に『良い』と言った歌だ。子供が思うにはどうかと思う。俺だって、まだまだ子供だ。けれど今、横にKAITOがいて、この曲を聴いてくれて、良かったと思った。

KAITOが俺を見上げているのが分かる。けど俺は正面の坂道の先を見つめることしかできない。
泣きたいのを、拳を握り、唇を噛み締めて耐えた。
脳裏に浮かんだのは母さんの顔。


俺はやっと、何故KAITOに対して罪悪感を抱くのか、分かった。

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