レインボーデイズ


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ああ、どうして俺は、人間じゃないのだろう。



もしも人間だったら、まだこんな小さい人に自分の死んだ後のことなんて心配させないで済むのに。

もしも人間だったら、いつかこの人と同じ場所へ行けるかもしれないのに。

マスターを失ったら、きっと確かに悲しい。
マスターを失った後、俺が普通に動き続けるのかは知らないけれど、もしそうなら、マスターの言うとおり死なない俺は、マスターがいないまま半永久的に動き続けるんだろう。

その時間は、確かに恐ろしく、寂しく、哀しい。

俺はボーカロイドだからわからないけれど、人間だったら、死んでしまいたいと思うのだろうか。

けれど


「でもマスター、俺、マスターと会わなければ良かったなんて、絶対思いませんよ」


マスターの目が丸くなる。涙が、止まった。
「きっと、マスターのお母さんも、マスターっていう息子さんを産んで良かったって思ってますよ」
それは想像だけれども、そうだと言う確信がなぜか自分の中にある。

「俺、マスターが俺のことを心配してくれているって知って、悲しいけれど、・・・嬉しかったです」

それは、思ってはいけないことなのかもしれない。けれど、うまく言えないけれど、マスターが苦しい思いをしたのは、それだけ俺のことを想ってくれたから。

「マスターは優しいです。俺、マスターが俺のマスターで、良かった」

マスターの涙が止まったのに、今度は俺の目から涙が溢れた。・・・やっぱり不思議だ。泣く機能はあるって分かってるけど、いつ出るのかイマイチ分からない。

ああ、でもこれだけは分かる。
やっぱり俺は嬉しいんだ。マスターが、俺のことを想ってくれているって分かって、嬉しい。

こんなの、アンドロイド失格だ。

「KAITO・・・」
俺の名前を呟いて、マスターは笑った。
それは、どこか不安から解放されたような、子供っぽい笑顔だった。

「俺も、お前が俺のボーカロイドで、良かった。あの日、うちに来てくれて・・・嬉しいよ」

頭が、痛い。
まるで壊れてしまったかのように、AIから『嬉しい』という言葉があふれ出ている。どんなに吐き出しても吐き出しても足りないくらい、溢れ出た先から想いが湧いてくる。

「ふ・・・っ、」

喉がなんだか引っかかった。

「ひ・・・く、ふ・・・」

涙が、今までにないくらい流れていて、声が出ない。喉が引きつる。苦しいような気がして、俺はぶらんこの鎖を握りしめた。

マスターの顔が見れない。

隣から、マスターのくすくす笑う声がした。
「嗚咽が出るなんて、器用なアンドロイドだな」
俯くと、涙がぼたぼたと落ちて膝を濡らした。AIから溢れる『嬉しい』が、全部涙になってしまったみたいだ。
ああでも、だとしたらもったいない。

この一粒でも、マスターに伝えたいのに。

「分かってるんだ、KAITO」

ふいにマスターが言った。

「もうどんなに謝っても、あの日の間違いは取り返しなんかつかないって。どんなに謝っても、俺がお前を置いていってしまうのは仕方がないことだって、分かってる」

『だから』とマスターは苦笑した。いや自嘲だったのかもしれない。

「・・・母さんに会ってきたんだ。もうずいぶん元気だった。退院してて、今は月一くらいで通院する程度なんだって。知らなかったから、今日たまたま会えて、ラッキーだったよ。・・・・俺を見てさ、一番に謝ってきた。俺と同じように、ごめんなさい、ごめんなさい、って」

マスターのぶらんこから、ジャランという鎖の音がした。思わず振り向けば、マスターはぶらんこから立ち上がっていた。

「本当は、大分昔に良くなってたんだって。それで一度、家まで俺のこと見に来たことあるみたい」
「・・・お母さんがですか?」
「そう、2,3年前くらいに。俺の様子を一目見て、出来たら謝ろうと思ってたらしい。けど、ちょうど俺が帰宅して、俺の・・・・・」
マスターはそこで言葉を切った。どこか遠くを見ているようで、俺からは表情が見えない。
「・・・俺がずいぶん変わってたのを見て、『会えない』と思ったらしい。それ以来、ずっと心の中で俺に謝り続けてたんだって。・・・・やっぱ親子なんだな。さっさと会って謝っちゃえば早かったのに、お互い怖くて会えなくて、6年間も謝り続けてたんだ」
「・・・・お母さんに会って、良かったですか?」
俺が恐る恐る聞けば、振り向いたマスターは、また子供っぽく笑った。

「うん!」

そしてマスターは、ぶらんこに座ったままの俺の正面までやってきた。

「お互い、謝り合って許し合ってきた。もういいよ、って。幸せになってね、って」

俺は、笑うマスターに笑顔を返した。笑った拍子に、また涙が落ちた。
「ったく、いい年した男が泣くなよな。ってKAITOはまだ子供か」
笑いながら、マスターは自分の服の裾で俺の顔を拭く。
「マスターに、言われたく、ありません」
「・・・・お前、言うようになったな」
引っかかりながら言えば、マスターは苦笑する。
「でも、否定できないな。弱くて、怖がりで、卑怯な子供だ」
「っ!そんなことないですよ!」
俺はつい、自分の言葉を撤回することを言った。マスターは、俺の顔を拭きながら言う。

「そんなことある。俺はね、お前に言って欲しかったんだ」
「え?」
「俺のボーカロイドで良かった、って」

顔を拭き終わったのか、マスターが一歩さがる。顔を見上げれば、困ったような表情。

「そんなこと、いつでも思ってます」
「うん。ただ怖かったんだ。俺が死んで、その後に一人残ったお前が『こんなに寂しいのなら、マスターなんかいらなかった』って言うんじゃないかって。だから、罪悪感が湧いて、謝ってしまう」
俺は驚いてしまって、口をぽかんと開けた。
「そんなこと、システムエラーが起きても言いませんよ」
「そっか」
マスターが目を細めた。
「でも、怖かったんだよ。俺を慕ってくれるほど、寂しさが募るのはお前だから。お前がそう思う日が、いつか来るんじゃないか、って。いつかお前を置いて行ってしまう日を思うと、申し訳なくて仕方がなかった。・・・・だから、お前にあの歌を聞かせたのかも知れない」

何の歌かを聞く前に、俺のAIが一つの歌をはじき出した。

「虹?」

マスターは頷いた。
「いつか、お前に歌って欲しかったんだと思う」
タイトルも、伴奏もどんなものだか、俺はまだ知らない。俺が知っているのは、マスターが歌って聞かせてくれたパートだけ。

俺はゆっくりと口を開いた。


虹を見ると、貴方を思い出す

貴方とは、喧嘩して泣いて笑って
最後は貴方を傷つけて、傷つけられて

どうしてずっと一緒にいられなかったの、私たち
どうして今、こんなに離れてしまったの、私たち

それでも貴方と見た虹だけが、貴方との日々を七色に染める

ああきっと、私は貴方を忘れない


ああ、そのとおりだと俺は思った。
歌い終わって、口を閉じたと同時にまた涙が出た。せっかく、マスターが拭いてくれたのに。

「マスター」
「・・・うん」
「俺は幸せですよ。―――マスターは?」

たとえ一人残される日が来ても。たとえ一人の日が何年続いたとしても。


貴方と見た虹は、永遠に七色です。


マスターは、ブランコに座ったままの俺の頭を抱えるように抱きこんだ。

「俺も、幸せだよ。・・・・ありがとう、KAITO」

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