レインボーデイズ


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「そんな・・・」
うめくようにスーツの一人が言った。
「で、では謝礼金をもう一つ出します!」
もう一つとは、このスーツケースもう一つ、ということだろう。一体いくらになるんだか、俺にはもう想像できない。

「いくら出されても、KAITOはあなた達のもとには行かせません」
「マスター・・・」

憔悴した声でKAITOが呟いた。写真がよほどショックだったのだろう。俺だって、そうだ。

「だって、あなた達の元に帰したら、KAITOもこんなことになるんでしょう?・・・・そんなの、絶対に嫌です」

そんなの、耐えられない。

「KAITOに、『死ね』って言っているようなものじゃないですか」

KAITOが、ボーカロイドが、マスターに寄せる信頼を、親愛を、敬慕を、俺は充分すぎるほど受けた。どれだけ『マスター』という存在がボーカロイドにとって大きいのか、俺は身に染みて知っている。そして彼らにとって歌が、存在意義であることも。

そのマスターに『いらない』と言われ、もう動くことも歌うことも出来ずに『終わって』しまった『彼ら』の絶望はどれくらいだったのだろうか。
コードだらけで、もともとどんな容姿だったのか分からなくなった『彼ら』が写る写真を見て、そう考えた。

「―――KAITOは、アンドロイドです。機械の塊ですよ」

押し殺した声で、スーツの一人が言った。それにもう一人も頷く。

「メモリーを消去すれば二度と貴方のことを思い出さないし、機能停止を押せばそれだけで止まって動かなくなってしまう。複雑なようでいて、心を寄せるにはあまりにも単純で脆い存在ではないですか」

KAITOの表情が、傷付いたように歪んだ。

「・・・だったら、今すぐ台所へ行って包丁で俺の胸を刺してください。それかそこの花瓶で俺を殴ってください。・・・それだけで、俺だって死ぬし、記憶はなくなるかもしれませんよ?」
「そういう理屈の話ではありません!!」
「じゃあ、どういう話なんですか!!?」
わめいたスーツに、俺は怒鳴り返す。

「KAITOが簡単に消えてしまうように、人だって簡単にいなくなるんですよ!!だから、お互いが大切で、大事にしたいと思うんじゃないですか!!」

人間じゃない。
『心』がない。

それが、大事にしない理由になるのか。

「KAITOが貴方を好きだと思うのは、そういうプログラムだからです。私たちがそう設定したからです。ボーカロイドは例えマスターから酷い仕打ちを受けても、決してマスターを嫌いにはならないんですよ」
「最初に貴方を見て、KAITOは涙を流したでしょう?あれは、KAITO自身が嬉しいと思ったわけではなく、AIに最初から『マスターを見ると嬉しくて涙を流す』という設定がされているんです」

「だったら、何だって言うんですか」

スーツの男たちは、言い渋るように互いの顔を見合わせると、どちらともなく言った。

「KAITOが好きなのは『貴方』ではなく、『マスター』なんです」
「貴方がどれほどKAITOを大事に思っても、貴方がマスターではなかったらKAITOは貴方に見向きもしない」

俺は、呆れたように溜め息をついた。

「そんなの、俺だって同じですよ」

軽く言えば、男たちは目を丸くした。
「KAITOが俺の『ボーカロイド』じゃなかったら、俺だってKAITOに見向きもしません」

誰だって、そうじゃないのか。
ボーカロイドがマスターを慕うのは、分かっている。
『マスター』だから好きだと言われたから、マスターとしてKAITOのことを大切にしたいと思うのは、おかしいのだろうか。

「たとえプログラムだったとしても、KAITOが俺を『マスター』と慕うから、俺はそれに応えたいと思ったんです」

スーツの二人は最早呆然としていた。
何故、この二人は分からないのだろうか。
何故、この一ヶ月を簡単に手放せるものだと思うのだろうか。

「プログラムだろうが設定だろうが、KAITOが俺にくれた言葉や思いは嘘じゃなく、確かに俺の中に積もっています。・・・・・俺にはそれを、なかったことにすることは出来ません」

俺はテーブルの上に置かれたスーツケースを、ぐいっと男たちの方へ押しやった。

「開発費用とか、どれくらいかかったのかは俺には想像もつきませんが、馬鹿にならなかったのは分かります。大人になるまで待ってもらうことになるけど、何年かかっても払ってみせます。だから、KAITOは諦めて下さい」

今度は俺が、頭を下げた。それを見て、KAITOも頭を下げた。その拍子にKAITOの目からぱたぱたと涙が落ちたのが、横目で見えた。

「俺・・・」

顔を上げたKAITOが、真っ直ぐに正面の男三人を見据えていた。さっきまで憔悴しきった声をしていたのが嘘のように、力のこもった声だった。

「うまく言えませんけど、確かに、マスターがたとえ酷い人だったとしても俺はきっとマスターのことが好きだったと思います」

『けれど』と言って、KAITOは膝の上で拳を強く握り締めた。

「この一ヶ月、俺は本当に、幸せだったんです」

流れるままの涙が、KAITOの顔にいくつも筋を作っていく。あんなに泣いて、話しにくくないのだろうか、と思う。

「楽しいと思うことも、悲しいと思うこともたくさんあって、マスターのことが本当に好きで・・・・、たとえこう思うことが貴方たちのプログラムだとしても、嘘じゃなかった」

そうしてKAITOは微笑んだ。馬鹿っぽくもなく、子供っぽくもない。優しい優しい、KAITOらしい笑顔。

「俺を作ってくれてありがとうございました。そして、マスターと出逢わせてくれて、本当にありがとうございます」

そして今度は自分から頭を下げる。

「お願いです。マスターと一緒に居させてください。俺はもっと、マスターに俺の歌をたくさん聞いてほしいんです」

それは、ボーカロイドの使命であり、プライドでもあるのだろう。KAITOの顔は涙で濡れていても、迷いや不安は一切なかった。
一方のスーツ二人は困惑したように視線をそらしたり顔を見合わせている。『だが、』や『しかし・・・』と口の中で喋るようにもごもごと意味のない言葉を出すだけだ。


「もういい」


ふいに、空気を切り捨てるような声がした。全員の視線がそちらへ向いた。その先には、栗山博士。

「だから私は、何も知らない一般人をモニターに使うのは反対だったんだ」

何の感情も浮かばない顔で、この家に来て初めて話し始めた。

「全て伏せてモニターにしたせいで契約書も証明書もないから、力ずくで連れ帰ることも出来ない。一般人には話せないことも多く、納得もしてもらえない」

淡々と言うので、栗山博士が何を思って言っているのか分からない。

「人間は、そこに自分の強い想いさえあれば、ただの石ころにだって愛着を持つ。ボーカロイドと生活させれば、マスターが回収を断るのだって目に見えていた」
「ですが、一般人とのコミュニケーションがボーカロイドには必要だった。こうする以外にありませんでした。博士も最後は納得してくださっていたじゃないですか」

責める、というよりは言い聞かせるようにスーツが博士に言った。その言葉を受けて、栗山博士は少し黙った。

「―――だが結局、モニターに出したボーカロイド5体の内、我々の元には1体も返ってこなかった」

俺は目を瞠って博士を見た。KAITOも青い目を丸くさせている。

「この写真はハッタリ、マネキンとCGの合成だ。一ヶ月を共にしたボーカロイドを金と引き換えにする罪悪感を、他のマスターもしていると思わせることで軽減させようとしたが、逆効果だったみたいだな」

おそらく他のマスターたちも、この写真を見て自分のボーカロイドがこんな目に遭うのは嫌だ、と感じたのだろう。それを知って、俺は何だかほっとした。
しかしそれよりも、相変わらず博士は淡々と言うので、彼が回収できないことを悔しがっているのかそうじゃないのか、よく分からない。

「それにしても、」

気付くと、博士はこちらを見ていた。俺を、というより、俺たちを。

「学校で初めてKAITOが動いているのを見た時から、驚かされっぱなしだ」

全く驚いたように言わないので説得力はないが、確かに学校で会った時は困惑したような顔をしていた気がする。

「マスターのためとは言え、ボーカロイドが人間に対して怒鳴ったり敵意を表したりするとは想定外だった」
そして、『それに、』と栗山博士は続ける。

「確かにボーカロイドには泣く機能をつけていたが、設定上では最初の起動の時以外に泣く必要はないということになっている。別に『泣いてはいけない』とはなっていないのだから、・・・・・・・KAITOのその涙は紛れもなくKAITO自身の涙か」

栗山博士は一度目を伏せて、そしてゆっくりと開いた。そして、うっすらと分かる程度に、しかし確かに、微笑んだ。


「お前は、本当に良い一ヶ月を過ごしたんだな、KAITO」


そう呟いた時の栗山博士は、俺も知っている、『親』の顔だった。
俺はやっと、この人がKAITOを生み出したのだ、と納得した。

「帰ろう」

また元の無表情に戻った栗山博士が一言言うと、スーツの二人は名残惜しそうにしつつも立ち上がった。手ぶらだった博士は、お尻のポケットから小さい財布を取り出すと、中から一枚名刺を抜いてテーブルの上に置いた。

「私の連絡先だ。困ったことがあれば言うと良い」

俺は名刺を手に取った。栗山博士のフルネームと共にそこに書かれていた会社は、父さんが働いている会社だった。ただ、父さんとは部署がまったく違ったが。

(こういう縁で、俺のところに来たのか・・・)

そう思っていると、立ち上がった栗山博士の声がまた上から降って来た。

「親は、いつでも子供が幸せであれと、願っている」

そう一言残すと、黙って彼らはリビングを、そして我が家を後にした。
博士が淡々と言ったその言葉。
『親』が、俺の父さんを指すのか、それともボーカロイドを生み出した自分のことを指すのか、俺にはやっぱり分からなかった。

両方であって欲しい、と思った。


「マスター」


ふいに呼ばれて、俺はKAITOを振り返る。KAITOの表情は疲れていたが、やはり安心した顔をしている。

「これからも、よろしくお願いしますね」

笑った顔を見て、ああ良かったと泣きたくなる。それと同時に、幾筋も残った涙の筋を見て、今度泣いたら自分で涙を拭うということを教えなければ、とも思った。

『今度』


そう思えたことが、馬鹿みたいに嬉しかった。

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