レインボーデイズ


□オーディナリー・デイズ
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ぼろぼろとこぼれ落ちる涙を見ていて、俺は頭痛がひどくなるのを感じていた。

「おいKAITO・・・」

ガラガラの声で名前を呼べば、KAITOはさらに絶望したような顔でぼろぼろと涙を落した。
「うう・・・、マスターすいません・・・」
「いや・・・」
「俺がぁ、俺が〜、家を空けたばっかりに・・・」
「ちが・・・」
「うう〜、マスター!死なないでください〜!」



「うるさい!死ぬか!!ただの風邪だ!!」



俺は思わずベッドから飛び起きて、いつまでも俺の部屋で辛気臭い空気を放つその青い頭をバシッとはたいた。
「痛い!」
「俺の頭の方が痛いわ!ああ・・・もう・・・」
クラリと眩暈を感じて、俺はベッドに再び崩れ落ちる。
「ああ!マスター!」
KAITOの悲痛な声が、また頭に響く。
「・・・あのな、風邪なんて寝てれば治るから・・・、頼むから静かに寝させてくれ」
というか、頼むから俺の横でそんな葬式みたいにしくしく泣かないでくれ。ゆっくり眠れやしない。

「だってマスター、俺が帰ってきたらマスターが死んだように眠ってるから・・・」
「だから、風邪ひいて寝てただけだ・・・」
「こんなことなら!一週間も家を空けなければ良かったです!」
「いや、お前がいても風邪ひく時はひくと思うが・・・」

暑かったり寒かったりする季節の変わり目は、油断すると風邪をひいてしまう。
頭がぼんやりするな、と思った時には遅かった。普段は健康そのものな俺だが、一度病気になると結構しつこいものに罹ったりするんだ。
正直、風邪ひいた時はKAITOがいなくて良かったと思った。こういう反応が、目に見えていたからだ。
だが、例にも漏れず久々にひいた風邪はしつこく、KAITOの帰宅まで長引いてしまった。
その結果がこれだ。

「マスター、風邪をひいて・・・、一週間も俺がいなくて寂しくありませんでしたか?」
「え・・・?いや、」

別に、と続けようとして俺はうっと言葉を詰まらせる。先ほどまでこの世の終わりみたいな声で泣いていたはずなのに、こころなしかキラキラとした、期待のこもった目でKAITOがこちらを見ていた。

「・・・あー、うん、少し・・・な。ハハ・・・」
「ですよね!俺も寂しかったですよ!」

多分、KAITOは『うん』のところしか聞いてないんだろうな。寂しかった、という言葉に似つかわしくない、ニコニコとした笑顔で苦笑いをするしかない俺を見返してくる。

「お会いできなかった一週間で生まれ変わった俺を、マスターに見せてあげますよ!」
「は?」
「おかゆを作ってきます!」
「え、おい!」

言うが早いか、KAITOは今までしがみついていた俺のベッドから離れて踵を返し、ばたばたと部屋を出て行った。




ことの始まりは一週間前だった。
「・・・KAITO」
「はい?」
俺が呼べば、KAITOは相変わらず嬉しそうに返事をした。その笑顔に対してこれから言おうとしていることを考えるとものすごく良心が痛むが、俺は腹をくくって息を吸った。


「お前、くさい」


ピシリ、という音が聞こえそうなほど、目に見えてKAITOの笑顔が凍りついた。

「・・・え」

震えるKAITOの声に、俺は慌てて言葉を続ける。
「いや、お前水ダメだからずっと風呂に入ってないだろ?だからさ、この間の豚キムチの匂いとか、この間転んだ時の泥臭い匂いとか、ホコリとか、生活臭が染み付いてるんだよな」
人間のように汗をかかないから今まで割と平気だったが、最近になってさすがにちょっと汚れてきたかなぁと思った。思えば、部屋に置いているだけのぬいぐるみだって時間が経てば汚れてくる。KAITOは俺と生活しているんだから、生活臭がしてくるのは自然なことだ。
「・・・・・・マスターは、くさいの・・・嫌ですか?」
ものすごく恐る恐る尋ねてくるKAITOの目を見れない。目をそらしたまま、俺は思い切って言い放った。


「ぶっちゃけ、近寄ってほしくない!」

「うわあああん!栗山博士ー!!」




と、いうことでKAITOは防水・耐熱加工を完備するために一週間かけて栗山博士の研究所へと出かけていたのだ。
料理をしようということは、ちゃんと栗山博士は防水・耐熱加工をきちんと完備してくれたのだろうけど・・・。

「料理できるかどうかは・・・、別の話じゃないか・・・?」

俺は不安をぬぐい去れないままだったが、KAITOに安眠を妨害されて疲れ切っていたので、ひとまず大人しく眠ることにした。




人の気配に、まどろみから覚醒する。熱と相まって更にぼんやりする頭を傾けると、俺の部屋に入ってくるKAITOが見えた。
「あ、起きてましたか?」
手に持ったお盆を見て、そう言えばおかゆを作ると言って出て行ったことを思い出した。
時計を見れば、さき程のやりとりから2時間ほど経っていた。しっかりした足取りで近寄ってくるKAITOは、どことなくくたびれて見える。
・・・・・・おかゆ作りにかけた2時間を、俺は考えないことにした。

「今、起きた」

そうですか、とKAITOはサイドテーブルにお盆を乗せる。横になったままでも、立ちのぼる湯気はよく見えた。
「起き上がれますか?」
「ああ」
応えて俺は起き上がろうと身体に力を入れる。そのとたん頭ががんがんと痛むが、歯を食いしばって起き上がった。
お盆にはおかゆの他に、飲み物と薬と体温計も乗っていた。本当にこういうところは、妙に気がきくのだ。
「上手くできたじゃないか」
見た目に問題がないことに安心した俺が思ったままに言うと、KAITOは締まりのない顔でえへへと笑った。
れんげを手に取り、おかゆをすくって一口食べてみる。ほどよい塩加減で、じんわりと胃が温かくなる。
「うん、うまい」
「本当ですか!?」
「ああ、・・・ありがとう」
俺は手を伸ばし、その青い頭を今度は撫でた。一週間前まではほこりなどが絡んでゴワゴワしていたが、研究所でついでに綺麗にしてもらったのだろう、KAITOの髪は以前のようなサラサラとした柔らかい手触りに戻っていた。心底幸せそうに、KAITOは大人しく撫でられている。ああ、帰って来たんだなと今更ながらに実感した。

「研究所は、どうだった?」

思えば、KAITOにとっては実家のようなものだ。何か思うところがあったのではないだろうか。そう尋ねてみれば、KAITOは非常に微妙な顔つきになった。

「そう、ですね。思っていたよりも、とても親切にしていただきました」
「・・・・・・」

元はと言えば、KAITOはデータ収集用の試作品で、廃棄することを前提で作られたボーカロイドだ。自分を廃棄しようとしていた研究員たちと会うのは、実はすごく気まずかったのかもしれない。
「・・・俺、あの研究所で稼動していた時期があったみたいです」
「え?」
意外な言葉に俺は目を丸くする。
だが、当然と言えば当然かもしれない。全く試運転もなしに俺たちにボーカロイドを送りつけて、それで暴走でもしたら目も当てられない。きちんと機能するのか、研究所で試しに起動させてみる、っていうのは当たり前だろう。
「でも、マスターのところに送られる前に、メモリーは全部消去されたらしくて・・・。俺は何も覚えてなくて・・・」
「・・・・・・」
ふいに、KAITOを回収しに栗山博士たちが来た時のことを思い出す。KAITOを大事にしたいと思う俺に対して、KAITOを連れ帰ろうとするスーツの男たちはこう言った。


『メモリーを消去すれば二度と貴方のことを思い出さないし、機能停止を押せばそれだけで止まって動かなくなってしまう。複雑なようでいて、心を寄せるにはあまりにも単純で脆い存在ではないですか』


あれは、実際にKAITOたちに忘れられた自分たちの経験から出た言葉だったのだろうか。

「俺は、自分が機械なんだ、って実感しました」
「KAITO・・・」

そしておかゆを抱える俺を見た。

「そして、風邪をひいたマスターを見て、マスターは人間なんだって改めて思いました」
「!」

ボーカロイドは機械だ。暑かろうが寒かろうが、それで風邪をひくことはない。

「人間は、簡単に病気になってしまうんですね」

寂しげに眼を伏せた。
「人間は、季節が移ろい年月を重ねるごとに影響されて、変わっていく。・・・俺だけが、俺たちだけが何も変わらない」
暑くても寒くても、そうやって季節が変わり年月が積み重なっていっても。


「自分がアンドロイドだって実感して、置いていかれる気がしたのか?」


KAITOが顔を上げた。そしてわずかに苦笑する。こういう笑い方を、以前も見たことがある。KAITOが自分の無力さを自嘲する時にする笑い方だ。


「マスターが、俺を置いていってしまうことをあれほど恐れていた気持ちを、少しだけ理解しました」


KAITOがメモリーを消去するだけで簡単に忘れてしまうように、人間もまた、時折あっけないほど簡単に居なくなってしまうことがある。
今回はただの風邪だった。けれどKAITOにとっては初めて目の当たりにした、人間の脆さだ。
けれど、俺はそんなKAITOが嬉しかった。



「・・・・・・成長したじゃないか!」



俺が努めて明るい声で言えば、KAITOはきょとんとする。
「こうやって、防水加工を完備して料理して、人間の心情を察せられるようになって」
俺はおかゆをまた口に運ぶ。うん、うまい。
「俺からすれば、お前も最初の頃に比べて、すごく変ったよ」

確かにKAITOはアンドロイドだ。そして俺は人間だ。けれど、

「大丈夫だ、KAITO。変わらずにいられるものなんて、ないんだ」

季節も年月も、無情なほどに流れていく。残酷だとも優しさだとも思えるほど目まぐるしく色を変えていく世界に、果たして変わらずにいられるものなんてあるのだろうか。

「確かに俺は、これからも成長していくし、変わっていく」

いつか身長だってKAITOを越す日がくるかもしれないし、ものの考え方だって変わるかもしれない。

「けど、アンドロイドだって成長できるさ。お前が言ったんだ、生まれ変わったって」
「けど、あれは栗山博士に改造してもらっただけで・・・」
「自分ひとりの力だけで成長していける奴なんていないぞ。・・・俺は、お前のおかげで変われたと思っている」

KAITOが言葉を詰まらせた。目の揺らぎがそのまま心の揺らぎのように思えた。

「だから、お前もこれから一緒に成長していこう」

移ろう季節を、色を変えていく世界を、一緒に見ていこう。そうやって年月を重ねて、変わっていくのだ、人も機械も。

それを脆いと思うか、強いと思うかは、その時にならないと分からないから。



「だから、ずっと一緒だ」



おかゆをまた口に運ぶ。胃が温まるごとに、身体のだるさが和らいでいく気がする。

KAITOが黙って目元を拭っているのを、俺は見ない振りをした。
ただ、KAITOが小さく『はい、ずっと一緒です』と零した言葉に、俺も小さく微笑んだ。





「KAITO・・・」
「はい!」
相変わらず嬉しそうに返事をするKAITO。俺の風邪はやっと完治してくれて、俺は今リビングでソファに座りテレビを見るという、いたって普通の日常を送っている。
「暑いんだけど・・・」
3人掛けのソファなのに、端に座った俺にKAITOがべったりとひっついてくる。狭いし、暑いというか、正直ウザい。
「また風邪ひいてはいけませんからね!」
と、ニコニコしながら言ってくる。どう見てもそれを口実に、俺にひっつきたいだけとしか思えない。でもここで無理やり追い払うと、また泣きそうで出来ない。
いつも思うが、なんでマスターの俺がこれほどKAITOに気を遣わないといけないんだ。

だがニコニコと楽しそうなKAITOを見れば、まあいいか、と思ってしまう。
そしてまた『甘やかすなー』と念仏のように心の中で唱えることになるのだ。


けれど、どれだけ年月を重ねても、いつまで経っても変わらない、こういう日常があってもいいかな、と俺は思った。


fin

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キリ番3000ヒットのリクエスト『レインボー・デイズの夏生君とKAITOのその後』でした。ありがとうございます!

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