月歌

□その瞳に縛られる
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「やぁナマエ、元気かな?」

「…霜月隼」


廊下を歩いていたら、憎たらしい程に爽やかな笑顔を纏った彼が手を振っていた。

霜月隼。
この界隈では名の知れた霜月家のお坊っちゃま。
その爽やかなルックスと全国模試で上位を争う頭の良さ。性格が少し、いやかなり変だという話をミーハーな友達から聞いたことがある。

私には関係のない話だが。

そう、私には関係ないのだ。なのに、何故。
いつからだろうか。何故私はこんな男に関わることになっているのだろうか。


「邪魔、帰れないんだけど」

「そんなつれないこと言わないで〜」

「あなたを探してる女子なんてわんさかいるでしょうに」

「僕は別に、そんなものに興味はないんだよねぇ」


彼に心酔する女の子達が見たら発狂ものの笑顔を張り付けて、霜月隼はあっさりと言ってのけた。
放課後の、人気のない階の廊下で、本当によかったと思う。誰にも目をつけられることなく、平穏な日々を送ることを目標としている私にとって、霜月隼という存在はやっかいなものに他ならなかった。

まさか、たかが一度。
全国模試で霜月隼を抜いてしまったばかりに。


「僕はね、あんなに興奮したの久しぶりなんだよ」

「私には関係ない」

「だろうね。でも僕には関係ある」


睦月始以外に、張り合える子がいるなんて嬉しくてね。それもこんな近くに。

そう言って霜月隼は少しずつ私との距離を縮めてくるのだ。あぁ、精神的な意味ではなくて、物理的な意味で。
そうして向き合う程に縮まった距離で、霜月隼は言うのだ。

「僕と付き合ってみない?」

と。


「断る」

「そう言わずに、悪い話じゃないでしょ?」

「私は平穏に過ごしたいの」

「僕と点数を張り合った時点で、それは無理な話だと思わなかったのかな?」

「別に張り合おうだなんて思ってない」


やれやれ、と首を振る彼から逃げようかと思った。
このまま踵を返してしまえば、彼だって無理には追ってこないだろう。

だけど、

「ナマエ、」

こうして、

「ほら、いい加減諦めなよ」


彼との距離が縮まる。
迫る彼に相反して後ずされば、私の背中はあっという間に壁に到達してしまう。

それでも逃げられない。

平穏な日々を送りたいと言いつつも、心のどこかでは平穏で、それでいて退屈な日々を変えてほしいと願っているから。そんな私の見栄すいた虚勢を、霜月隼は一瞬にして見透かすのだ。

「相変わらず、いい瞳をしてる」

「っ………!どいて、帰る」

「うん、わかった」

先程まであれだけしつこかったのに、霜月隼はあっさりとその身を離した。

何事もなかったかのように平静を保って。

「ナマエ、」

彼の言葉に、瞳に、捕らわれる前に。

「また明日、ね」

「……明日なんて」

彼に会う"明日"なんて、認めない。




その瞳に縛られる
平穏だけど退屈な日々の中から自分で脱け出すのは怖いから。
早く、私を連れ出して。


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