クロノクニ

□狂針 3
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「っ!ひっでぇ雨」

カチ、カチ、カチ、カチ、カチ、カチ、カチ、カチ

「あれ?アンタもきてたのか」

カチ、カチ、カチ、カチ、カチ、カチ、カチ、カチ

「工房はもうダメだ。沈んじまったよ。
じいさんには、悪いがまた建て直すしかねぇ」

カチ、カチ、カチ、カチ、カチ、カチ、カチ、カチ

「この橋も長くはもたねぇな。早く渡るぞ!」

カチ、カチ、カチ、カチ、カチ、カチ、カチ、カチ

「おい!聞いてんのか!」

カチ、カチ、カチ、カチ、カチ、カチ、カチ、カチ

「お姉ちゃん」

カチ、カチ、カチ、


…パチン…










「じゃあね」



















過ぎた針は戻らない。
過ぎた罪は薄れてく。


「ユキちゃん」

カチ、カチ、カチ、カチ、カチ、カチ、カチ、カチ

「ユキちゃん」

カチ、カチ、カチ、カチ、カチ、カチ、カチ、カチ








「お帰り」









人の生は、縛られる。

羅針盤を巡る、時計の針のように。

歩いた道は、いつしか薄れていくだろう。


けれど。


カチ、カチ、カチ、カチ、


巣くった、罪は。


カチ、カチ、カチ、カチ、


けして、消えない。










あの日の、橋に立っていた。
降りしきる雨と、荒れ狂う風が、牙を剥いた。

古びた小さな工房は、既に濁流にのまれて消えている。
橋の上には、叔母と少女がいた。

赤沢ユキは、消えたあの日のままで、叔母を見ている。

「…ユキちゃん?」

今までで、こんなに穏やかに笑えた時があったろうか。
あふれる涙を止める事も出来ずに、叔母はユキへと駆け寄った。

荒れ狂う川さえ、そんな女を怯ませる事が出来ない。
伸ばした手の先に、柔らかな頬が触れる瞬間、赤沢ユキが口を開いた。



「…

人殺し…」



カチ、カチ、カチ、カチ、カチ、カチ、カチ、カチ、



「人殺し!」




ガリィッ!

「ギャアァァッ!」

叔母の病的な白亜の纎手に真っ赤な桜が、咲いた。

赤沢ユキは、叔母の手に噛み付いたのだ。
咬ちぎったと言っても間違いではない。

「人殺し!!」

緋色に飾られた唇から、憎悪が言葉となって吐き出された。

「…っ!ユキちゃん!?」

「人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し!」

狂った玩具のように、赤沢ユキは叫びつづけた。
瞳は理性の光を見せず、煌々とした不気味な闇を宿している。

「ユキちゃん!
どうしたのよ!?
お母さんよ!?」

「違う!」

赤沢ユキは、ようやく別の言葉を叫んだ。
それでも、狂気に見せられた少女は、憎悪の呪詛を止めようとしない。

「お前は母さんを殺した人殺しだ!!」


叔母が、凍り付いた。
ユキは、声枯れるまで叫びつづける。

「ユキちゃん!!?」

女がいくら叫んでも、その名を唱えようと、少女は狂気の呪詛を止めない。
なお激しく、言葉を続けるばかりで。

「違う!ユキちゃんのお母さんは事故で死んだのよ!目を覚ましてユキちゃん!」









『目を覚ますのは、貴様の方ではないか?』


不気味な声が、ユキの背後より現れた。
荒れ狂う川も、
殺しにかかるかのような雨風も、
その青年の異様な雰囲気を引き立てるようだった。

上品な漆黒のコートを着た、二十代後半の男。
左目は、同じく黒の帽子で隠され見えることは無く。ただひたすら恐怖心を駆り立てた。

『時計の針は巡るだけ』

歌めいた言葉を男はつむぎだす。

『それを、人の生と同化させる事で、赤沢ユキは母の死を乗り越えた』

低く、笑う青年に、叔母は寒気を感じた。

『うわべはな』

「貴方…誰?」

ようやく零れた一言。

『私は私だ。ごく、ありふれた一つの存在』

薄い唇に描かれた笑みは、人形めいて、美しかった。
『愚かな女よ、赤沢ユキを縛る鎖。繋がれていた子羊は狂気の怪物』

「ユキちゃんに何をしたの!?」

『何をした…?愚問だな、教えただけだ。


…真実を』

少女が、緋色に染まった顔で男の背後に回る。

『赤沢ユキの母親は、此処で死んだ』

荒れ狂う川を、不気味な瞳が一別した。

『赤沢ユキの母親は、歪んだ嫉妬で殺された』

ユキの肩が震えた。
恐怖でもないその深い暗闇色の感情は、少女の体より放たれんと暴れていたのだ。

『殺した輩がいる

今、此処に』

「違う!!」

叔母は、醜い怪物は、愚かな女は。
「違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違うぅぅぅ!」

『違うならば何故怯える?何故叫ぶのだ。記憶無き罪科に嘆く貴様は誰だ?』

「だったら何よ!証拠も無いのに警察に突き出す気?!」

男の隠された左目が、不気味な光が宿したように錯覚した。
例えようもない不安が、消し去った罪悪感が、止まらない。

『ふざけた女だ。私が、人間の、法に、頼ると言いたいのか?

此処は、貴様の立つ大地は、私のクニだ。

このクニに居るかぎり、私のみが、罪の計りであり、死の天秤なのだよ』

頭に、雑音が走って、走って、走って。

『さぁ、瞳を。
貴様の刑罰が待っている。
狂った針の、壊れた時計の行き先は…』













―昨夜未明、〇〇県〇〇市のマンション前に、女性の死体が発見されました。確認の結果、この女性は12階にすむ赤沢さんと判断されました。死体の損傷が激しく、飛び下り自殺の可能性が高いようです。
たった今入った情報によりますと、行方不明になった天才時計職人の実の叔母で、精神的に衰弱していたと、警察が発表しました。
専門家の話によりますと…―

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