クロノクニ

□重紙 1
1ページ/1ページ

大丈夫。大丈夫。大丈夫。
私がいるよ。一人になんてしないから。だから、死んじゃ駄目だよ。約束だからね…











でも俺は、君を知らない。


君は、誰?







「お前本当に女みてーな顔してるよな」

「うるせぇ」

放課後の教室で、とりあえず横の友人を殴った。もちろん、握力の無い拳はダメージも無い。
でもまぁ、コンプレックスを堂々といわれて黙ってもいられないだろう。
正統な判断だと断言出来る。

「中島愁夜いるか?」

不毛なやり取りのなか、歳をとった猿みたいな顔がドアから現れた。つい最近、二人目のお子さんが生まれた担任の先生に違いない。

「お前に会いたいって言う人がお見えになったぞ」

「…は?誰ですか?」

「なんて言ったか…








父親だって言ってたぞ」













俺、中島愁夜には、八歳以前の記憶がない。
出て行った母親の顔も、ろくに覚えてもいなかった。
覚えているものといえば、横暴な父親の罵倒くらい。
残っていたのは、消えない生傷のみ。
あの時、何もわかんねぇガキだった俺は、何故自分は、こんなに痛めつけられるのだろうと、泣くことしか出来なかった。
九歳で自殺さえ実行しようとした位だ。
でも、父親は予想外にもあっさりと逮捕された
。学校で先生に全てを打ち明けたからだと、内心思っていたが。苦しかったのだ。
衰弱した自分は、父親の黙秘の約束なんて律儀に守れるほど、まともな精神なんて無かった。
黙って警察に連れていかれた父親に、じいさんが大声で怒鳴り散らした時以来、顔なんて見ても居ない。
それから、俺は転校し、祖父の元でこの穏やかな山沿いの高校に通っていた。友達も出来て、あの頃の地獄から、ようやく解放されたのに。
何で、……今更…。

「…」

入口で、古臭いコートを着た中年の男を軽蔑した目で見つめた。
何処かやつれた顔も、死んだ魚のような目も、枯れ葉のように生気のない髪も。
あぁ、吐き気がする。

「愁夜…」

その口から、己の名が出るなんて気味が悪い。人形が口をきいた感覚に近いのかもしれない。

「大きく、なったな」

「何しに来たんだよ」

自然に出た、拒絶。
嫌いでは、表せきれないこの感情に、俺は握り締めた拳が震えるのを感じた。

「…愁夜、俺は「帰れよ。俺とあんたはもう他人だ」

関わるなんて、まっぴらゴメンだ。同じ空間にすら居たくもない。

「愁夜……ぁぁぁぁぁあ!!」

力任せの手の平が、壁へと向かった。
うるさい音が壁を伝って耳を攻撃してくる感覚を覚えた。

「お前は病気なんだ!それを治そうとしてるのに!!俺は治そうとしていたのに!
何故解らないんだ!?」

「病気なのはアンタの方だ!頭のわりぃ事言うんじゃねえ!」

父親面した悪鬼が錯乱した。いつも、こうだった。あぁそうだ。
どうしてこんな仕打ちをするのか、と喚くと必ず返した言葉。
お前は


病気だと。

痛みで、苦しさで、哀しみで、解消出来る病気があるか。
じいちゃんはそう叫んで父親を殴り飛ばした。

「何故解らない愁夜!!
愁夜ぁぁぁぁぁあ!」

俺の首へと、枯木みたいなてが伸びてくる。

「どうしました!?」

男が取り乱したのを、先生が耳にしたらしい。俺は先生へ気を取られた男を突き飛ばして、教室へと向かって逃げた。
父親面した男が叫んだ気がしても、先生が慌てて取り押さえる音も耳に入らない。振り向くな。声をあげるな。立ち止まるな!
耳を塞いで教室を探せ!地獄に戻りたいのか!?
走馬灯のように、自問自答が溢れて、花火のようにきえていく。
約束したのだ。彼には、もう屈しないと。自ら命を絶たないと。

だから、中島愁夜は、

生きて、


此処に居るのだから。


中島愁夜は、約束した。

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ