クロノクニ

□迷雪 2
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「何故って…私は、私は…」

『子を置き去りにしたのだろう』



当たり前にそう呟いた少年の目は、相変わらず死んだようにぼんやりとしていた。
責めるようでもなく、ただ興味がないように見えるのは、あながち間違いではないらしい。

『私には関係も興味も無い話だ』

「…それでも人なの!?」

『変わらず無粋な問いだな。私はありきたりな存在であり、…ソレ以上でもソレ以下でもない』

少年は、微動すらしない。
マネキンとでも話してるような不気味な感覚だ。古びたこの場所で、ただ私を相対するのが、この心理を過ぎらせているせいだろうか。

「信じられない」

『ならば疑うといい』

「私を脅す気でしょ!」

『ならば脅えるといい』

「貴方、何がしたいの…!」

少年の瞳が、自分に向けられた。暗闇に似た黒い目に、息が詰まるような錯覚が生まれる。
なんなのだろう、この感覚は。
あの子を純白の世界にそっと置いた、あの感覚にとても近い。

あの非道な事をしても、素知らぬ顔であの子を見つめた自分に。

罪悪感

嫌悪感

とも違う、まるで腐った果実を放り投げるような、自然な行為。

私はあの時、何を考えていたのだろうか。













『…私が興味を抱いたのはお前だ、柊真莉奈』

低い、ケモノみたいな吐息と一緒に漏れた言葉。まるで生きているものとは思えない底無しの闇。
牙や鋭い爪でもあれば、悲鳴でもあげて逃げただろう。
しかし、少年は限りなくヒトに近い姿をしていた。その為なのか、恐怖は形を成せず、ただただ薄気味悪い何かを見せた。

「…興味?」

『子を捨てた者は多い。例え望まれた赤子でもそれが何時まで続くのか…図り知れないヒトの連鎖は死肉の中であり、生まれた赤子は緋色の産湯で産声を上げる…。姿形を変えても罪は罪であり逃れる術はない』

機械的に動く唇から紡ぎ出されたのは、私の望んだ答えではなかった。
計算されたような、ただの戯れ言葉。
しかし、何処か悲しげであり、その瞬間だけは、怪物から慈悲深い賢者を見た気がした。

『しかし、貴様はまだ迷っている。まだ赤子を見捨てられずに、このような雪の道をさ迷う、不透明な亡霊に近い』

「そんな人はいくらでも居るじゃない」

『居ると思うか?







…答えは“否”だ。

子を捨てられぬ親が居るとしよう、何故子供を捨てないと思う?
収入もない、生活力もないただの穀潰しを手元に置く理由は何だと思う?』

「親だから、じゃないの?」

『それでは、貴様の行動と矛盾する。貴様は親でありながら我が子を捨てたではないか。
答えは無数の砂粒の一つに過ぎながら、皆は似たような結論を出した…。





我が子という名の、













同じく苦しむ人柱が必要なのだ。





子を側に置けば、苦しいのは己だけではないと錯覚する。周りからも比較的慈悲を受けられる。分かるか?柊真莉奈。だれもが道徳心等と馬鹿げた物で人を守るなど有り得ないのだよ。世が平等に廻る訳はない。知恵を巡らせ、弱き人を食い荒らしてこそ人の本来の姿形なのだ。本能なのだよ。
嘆く事でも無い。
それ故に、今の貴様等が存在しえるのだ。
しかし、今。
お前は迷っている。
過去も子供も捨てて、未練と共に天国を歩むか。
過去も子供も捨てられずに、悔いなき地獄を歩むのか。
さぁ、どうでる柊真莉奈。貴様に握らされたものは人の天秤よ。恐れた所で答えはでぬ。道は歩を止めれば只の無限なる荒野に過ぎない』

少年が、微笑んだ気がした。それは、けして子供や真莉奈に向けられた穏やかな笑みではない。悪意とも好意とも違う、只、盲目的にも真実を探りつづける薄気味悪いものの笑みで。
あぁ、まるで蜘蛛の巣の中だ。
彼にとって、己は只の研究対象に過ぎないらしい。
何を求め、何を真実とするのか、それすら答えぬ少年に、私はすっかり気落ちをしてしまった。

「…山、降りるまでなら乗るといいよ」

何故、そのような事を言ったのすら解らぬまでに。














私は、東北のとある田舎で生まれた平凡な人間だった。
父は祖父の代から続く酪農家。母はその手伝いをして、なんとか家計を繋いでいた。
しかしながら、平和で穏やかな生活をしてきた家族だ。
一つ上の優しい兄は、家を継ぐ予定だったし、父と母は仲がいい。小さな田舎では子供が少数な為、幼稚園から中学まで皆知り合いで、イジメすらない。先生すら御近所さんだった。

まさに、絵に描いた平和な村。
でも、その絵の片隅に描かれた私だけは、誰より酷い顔をしてるに違いなかった。




常に、私の足元には誰かの残した足跡が雪の中に続いていた。
この村で育った友達。
かつて育てられた大人達。
皆の足元にも、その足跡が続いていた。迷い無く歩む皆の後ろを、私いつもは仏頂面で着いていった。
その足跡は、生まれた時よりずっと前から存在していた。
路上で迷う事も無く、贅沢でも無いけれど、平凡な物語の蟻のような生き方の道標。
そんな皆に、何時も不信感を覚えていた。
私は、キリギリスに憧れた蟻だ。遊んでばかりで、働きもせずに身を滅ぼしたけれど、違う生き方を知っているキリギリスに恋した蟻だ。





月日は流れ、高校に通う事になった。
けれど、その時の私には、もう足跡なんてなかった。
皆とは違う、遠い高校で母方の祖母と暮らすことになるのだから。足跡の羅列に怯え、苦しむ事なんてもはや無いんだ。
私はこの時から、皆との、村との人生の道筋から逃れた離脱者になっていた。
何も、知らない他人の海。冷たくて、理不尽で、苦しい時も何度かあったけれど、幸せな高校生活。何時しか友達が出来て、何時しか恋人がいた。

幸せと不幸の連鎖の道を、迷わず歩いて。
私は纏めてそれを幸福と名付けた。

何でこんな恥ずかしい話を、私は少年にしているのだろう。
しかし少年は嘲笑する訳も無く、同意する事もなかった。
只、少年は私の話に耳を傾けていた。

顔すら向けず、相槌も無い一方的な話。
何故だか、それが丁度良く思えたのは、気のせいでは無いのだろう。私自身がそれを望んだからだ。彼には、隠す事が出来ない気がしたし、見破られた時の悔しさが言いようの無い恥ずかしさ。それが嫌でしょうがなかった。
だからと言って、顔を見られれば生きた人形のようなその不気味な目に恐怖を覚える。
だから、今の状況に不満はなかった。

私が、話を続ける。

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