クロノクニ

□狂針 1
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カチ、カチ、カチ、カチ、カチ、カチ、カチ、カチ

時計の針は、回ります。

回り、回り、回り、回り、けして、前の位置には戻らないのです。






「ユキちゃん、今日も早いのね」

「おはようございます。
叔母さま」

わたくしは、赤沢ユキと申します。
ずっと前に、叔母様に引き取られました、今年で八つの小娘でございます。

「ユキちゃんは本当にいい子ねぇ、何も言わなくても家事を手伝ってくれて、
叔母さん助かるわ」

「いえいえ、わたくしは、これしか出来ませんから」

わたくしのお母様は、古くから続いた時計職人のお家にうまれ、24の時にわたくしをお産みになられました。
お父様のお顔は存じません。わたくしが生まれた時に、お逃げになったそうです。
しかし、御祖父様も御祖母様も、こんなわたくしを愛してくださいました。
お母様も、いつもわたくしを可愛がり、八つの時まで片時も離れずにおられましたのです。

「あら、もうこんな時間じゃない!ユキちゃん!
早くご飯食べましょうね」

「ハイ」

思い出したように、叔母様はキッチンへと向かっていきました。
わたくしは、最後の洗濯物をハンガーにかけますと、空っぽのカゴを抱えてその後を追うのです。
その日は、切り裂かれたような雲が飾る、晴れ渡った青空でした。






世間にとって、わたくしはとても奇妙な子供なのだそうです。

皆が、お絵かきをしていた時、わたくしは時計の設計図を書いておりました。

皆が、粘土で生き物を作っていらした時に、わたくしは大きな振り子のついた時計を作っていました。

周りの皆様方は、そんなわたくしを天才、神童と讃えましたのです。

皆が、遊園地や水族館に向かっている中、わたくしはテレビや美術展へ向かっておりました。

御祖父様と御祖母様とお母様がお亡くなりになってから、わたくしは御祖母様に引き取られて生きて居るのです。

わたくしは、その恩に、背くことなど出来ません。

美術展の休憩室で、わたくしはぼんやりと、そんなことを考えておりました。

「ユキちゃんは本当に素晴らしい逸材ですな!」

聞こえた声は、美術展の館長様です。
やることもなく、壁に寄り掛かっていましたわたくしは、真に失礼な事と存じましたが、壁の向こうのその声に耳を傾けました。

「ユキちゃんの時計は一台数万の価値があります。


カチ、カチ、カチ、カチ、カチ、カチ、カチ、カチ

「そのうえあの歳であの性格、頭もいい」

カチ、カチ、カチ、カチ、カチ、カチ、カチ、カチ

「まさに神童ですか…赤沢さんも鼻が高いでしょうね」

カチ、カチ、カチ、カチ、カチ、カチ、カチ、カチ

…頭が、

…痛い

「歳の満たない姪が稼ぎ手なんてな」

カチ、カチ、カチ、カチ、カチ、カチ、カチ、カチ

「後世にも名の残る良い話じゃないか」

…気持ち、悪い…。

いつも側にいた、時計達の音が、褒めてくださる大人達の声が。
頭の中を掻き回して、肺を押し潰して。

どうして…ですか?

叔母様は、今、別の美術家様方とのお話で、わたくしを構う余裕がございませんでした。

カチ、カチ、カチ、カチ、カチ、カチ、カチ、カチ

止め…て

カチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチ
誰か……
止めて!

カチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチ
止めて止めてとめてとめてトメテ…!


止めて…ぇぇぇぇぇ!!






ぱち…ん

小さな音が、致しました。
「…?」

世話しなく、回転をし続けていた時計達は、一斉に凍り付いたかのようにその動きを止めてしまいました。驚いて、目を白黒させていますと、誰も居なかったはずの休憩室に声が致しましたのです。

『落ち着いたか』

壁に寄り掛かるようにたっていらしたのは、緋色の蝶が舞う闇色の着物を纏った女性のかたでした。

「…どちら様ですか?」

関係者の方でしょうか。
入り口には、常に礼儀正しく挨拶をしてくださる、警備の方々がおられるのです。
つまり、此処にくる方は有名な美術家様方の他にありません。
でも…


こんなに不可思議な空気を纏う女性には、会った記憶がございません。

『…時計とは、人の一生とよく似ている。得に、生まれながらに、人自身に縛られる人間はな』

女性のかたは、時計を手に取り意味深げに微笑んでおりました。

『…過ぎた針は、前には戻らぬ。だがな、それが無くなる訳でも無いぞ』

「どういう意味ですか?」
流石のわたくしも、怪訝な瞳を向けずにはいられませんでした。
女性が綺麗な微笑をしつつ、わたくしの方を振り向きました。
闇に染められた、不気味な黒い左目に、目を奪われてしまいます。

『いずれ、その意味を知るだろう赤沢ユキ…。
お前はまだ幼子ながら、その魂は、生を不快の後に生き抜いた老人のようだ』

女性はわたくしにそう言い残すと、自然な動きで去って行きました。

カチ…カチ、カチ、カチ、カチ、カチ、カチ、カチ

息を吹き返すかのように、時計達は動き出します。
でもわたくしは、その奇怪な様子に反応は出来ませんでした。

カチ、カチ、カチ、カチ、カチ、カチ、カチ、カチ

針は、前の位置には戻りません。
針は、過ぎた数字を振り返る事は致しません。
そのように、設定されているからです。

人の生もまたしかり。

時が経てば、忘れていくように、人自らが設定しているから。
そう感じるようになってから、わたくしはこの才能と人格を手にしました。

…何故、そう感じたのでしょうか。

わたくしは、

わたしは、

ユキは、

なんで…こうなっちゃったんだろう。

「ユキちゃん?」

突然に響いた叔母様の声に、わたくしはハッと我にかえりました。
白昼夢に踊らされたかのように。

「そろそろ帰りましょうね。今、新しいお仕事の話しが入ったのよ!」

叔母様が、わたくしを抱き上げて、微笑んでおりました。
わたくしは、ぎこちない様子でそれに答えます。

車に乗っても、
家についても、
好きな洋菓子をたしなんでも、
わたくしの胸にかかったような深い霧は、晴れることなく渦巻いておりました。
わたくしは、何を求めているのでしょうか。

針は、永遠に回り続け、前の数字を忘れ去ります。
…だけど

人は、

何年経とうとも、

忘れる事の出来ない闇が、あるのかも知れません。

わたくしは、それを絶つ事で、今を手にしたのです。
けれど…

「叔母様」

「ん?なぁに?ユキちゃん」

丁寧に、深紅のマニキュアを塗っていた叔母様は、声をかけたわたくしに振り向かれました。

「…聞きたい…事が
…ございます」

きっと、わたくしが求めた過ぎた数字…過去は。

「いいわよ、今度のお仕事かしら。海外の有名な美術展に「…違います」

わたくしが、切り捨て、忘れかけた過去は。

「わたくしの」

声が、 震えた。

呼吸一つさえも、
頬を撫でるで風さえも、

わたくしを追い詰め、
恐怖心を駆り立てる。

わたくしは、
もしかしたら、
その真実を知ることを、

誰よりも…

「わたくしの」



怖かったのかもしれない。


「わたくしの、


…お母様は何故、死んでしまわれたのですか?」

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