番外編
□時雨に響け慟哭
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初めからうちの視界は常に雨で濡れていてまともに前なんか見え無かったんだ。だって、先程から大泣きとか人前で恥ずかしい母親の顔も、押し殺した声のまま震える情けない父親の顔が見えないんだもん。空も、花も、親友も、両親も。きっと、初めから何も見えちゃいなかったんだ。眼球が無くなった、空っぽの空洞に塩辛い雨が降っていた。まだまだ、雨は止むことを知らない。
「両目は既に機能を失って、もはや私たちの手にはどうする事も出来ませんでした」
「そんな、娘はまだこんなに若いんですよ!?」
使い切れた眼球の映した最後のあの日、冷たい雨が降っていた。放課後の浮かれた帰り道。道路を挟んだ向かい側に部活に疲れた友人の姿を見つけ、笑って手を挙げる。点滅していた青信号。笑って駆け寄る私が一人。
一瞬の出来事だ。
身体に走った衝撃と、空もコンクリートの無機質な大地も、全て引っくるめて粉々に砕けたように思えた。耳鳴りが激しい。身体がピクリとも動かない。いくら見開いても、何一つ存在を確かめられなかった。
そうして、うちには雨が降った。二度と止まない、どす黒くて塩辛い雨が降った。
「ねぇ、元気?」
雨が降る前、最後に映った、友人がうちに声をかけた。変わらない声。変わらないだろう顔。1番の親友だった。だけど、今日だけは違う。あの日あの時、光を失ったうちには、ギトギトとした真っ黒な汚らしい感情しか残されて無かったのだ。
何の用?
いいね、アンタは何事も無くて。車にはねられたのはうちだけ。
皆の顔がみえるじゃない。
空も建物も見える。
親の顔だって、情けないうちの顔だって見れるじゃん。
なんでうちがこんなに苦しいの?なんでアンタじゃ無かったの!?うちに構わないでよ!!
うちに同情しないでよ!!
アンタの都合で可哀相な人にしないで!!
自業自得だったのに。うちは側にいるだろう友人に、そんな言葉を吐き捨ててしまった。うちは、自分に起こった事故を、笑って凌げるような我慢強い人間なんかじゃ無かった。沢山、暴言を吐いた。心から心配をしてくれた優しい友人に有りったけの罵倒をたたき付けた。
もうくんな!!
もううちの前にくんなよ!!
痛い思いをしたのはうちだけだって笑ってんだろ!!
その思いのままに暴れたせいなのか、それまでかけていたメガネが指先に当たり、床に叩き落ちた音が耳に届いた。
「…」
友人は無言のままだった。
そんなうちに反してか、友人は訪れるのを止めない日々が続いた。最初は、気まずさからの無言の対話。次は余りの不信感からの罵倒。そんな事が、日常的に続く。普通ならば、呆れて足が遠退くこの見舞いは、毎回。両親が来ない日に必ず行われた。友人はうちから距離を置くこともなければ、必要以上に関わらない。見舞いなんてすら言え無かったのかも知れない。両目を失ったうちには、友人の表情一つ見れない。だから、彼女がどんな顔でうちを見ているのかすら解らない毎日が、ぼんやりと続くだけだった。ただ、気配がある。側に、友人がいる。止まない豪雨の中で、確かに彼女はうちの側に居た。
「ねぇ、起きてる?」
不意に声がかかった。友人の声を聞くのは久しぶりの気がする。
「心配しないで。雨は止むんだよ」
そうして彼女はうちの前から姿を消した。次の日も、また次も、彼女は訪れる事は無かった。
「風邪をめされますよ」
不意に、体に浴びていた雫の嵐がピタリと止んだ。物腰の柔らかい男性だと気付いたのは、しばらくしてからだろうか。傘が雨を弾いて音を立てている。
「風邪を引いても良いんです、構わないんですよ。私は」
「なら、これは僕の勝手でです。気にしないで下さい」
雨の音が、更に近くなる。
「…御友人に会いに?」
「はい。私が事故にあったとき、常に側に居てくれました」
「その事故で、両目を」
雨は今だ止まずにある。
「私は、彼女に悪い事をしてしまったんです。心配をしてくれたのに、汚い言葉を吐いて、罵倒したんです。だから謝りたい。謝って済むことじゃ無いってわかってますが」
暗い雨が、私の視界を染めている。
「…。知っていたんです。なにもかも。だけど信じたくなかった。だから私は彼女を拒絶してしまった。その手をはらってしまったんです。だけども彼女は私を見放さなかった!!彼女は私を慈しめたんです!
私は馬鹿です。うちは馬鹿だったんだ!!だってあの人は、うちなんかよりずっと先に…!!」
私を置いて、皆を置いて。
一人、二度と日の当たらぬ暗闇に。
私は、生かされたのだと。
知っていた。
「雨は止みません。彼女が笑っていた最後の雨は、ずっと私とあるんです。私が死ぬまであるんです。…傘をありがとうございました。もう少し、浴びていたいんです」
「その必要はありませんよ。雨は止むものだと、貴女の友人は申されたのでしょう?何時しか雨は止むものだと。
ならば止まぬ雨を見つめる貴女を見て、彼女は何を思うのでしょうね。
予言ではなかったのですよ。
それは彼女の願いでした」
「願い…?」
「人は残酷です。
人は本当に勝手な生き物だ。
けれど、願わずにはいられない。手を伸ばさずにはいられない。
そういう生き物なんです。
雨は貴女の両目の光だけでなく、生きる光までも覆い隠してしまいました。
それを受け入れて、生きる貴女こそが」
雨が降っていた。
大粒の、雨が。
永遠に降り注ぐ雨、雨、雨。
だけど、その雨は温かく、塩辛い。
溢れて、溢れて止まらない雨。
頬を濡らして、大地に還っていくのだろうか。
ならばせめて、私を生かした、優しいあの子の元へと届け。
ごめんなさい。
そして。
「あぁ、見て下さい御婦人。
…見事な青空だ…』
時雨に響け慟哭
ありがとう