novel

□桜恋唄
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電車を国際空港から何本も乗り継いで、獄寺がようやく並盛町に帰ってきたのは、午後8時をとうに回った時間だった。
混みあう電車にぐったりしながら自宅のあるマンションに戻ってきた獄寺に、玄関前にうずくまっていた黒い物体が更に疲れに追い討ちを掛ける。
「よう、お疲れ!待ってたぜ」
「…誰かが黒いビニールゴミでも捨ててったのかと思った」
「うわひっでぇなぁ。ここは感動の再会シーンとかじゃねぇの?」
「こんな暖かい日に真冬のロングコート着込んで顔真っ赤にしているようなバカに知り合いはいねぇよ」
「えー、だってこれ必要だったんだもん」
黒い物体―――玄関前に座り込んでいた山本は、答えているようで答えになっていない言葉を残しつつ、笑いながら寄りかかっていた壁から立ち上がった。
何が必要なのかわからないが、足首近くまで長さのあるベンチコートは裏地にボアまで付いているほど防寒対策がしっかりしているもので、気温が今でも15度近くある今日みたいな日に着るようなものではなかった。
それを着込んだ上で暑さに顔を上気させてへらへら笑っているのだから、もうバカとしか言いようがない。
相手のそんな姿に、思わず八つ当たりをする気も萎えてしまう。
「…で、お前なにやってんだよこんなとこで人を待ち伏せして」
「んー、だって獄寺の電話通じなくなっちまったからさ、連絡付けらんなくて」
「あれはそもそもお前が――――!!」
「へ?」
「………いや、…なんでもねぇ…」
気が萎えて少し冷静になったところで、電話に関しては山本に全く非がないことに気が付く。
あれは充電に失敗した自分のせいであって、タイミング悪く着信してしまった山本のせいでは決してない。
もともと八つ当たりであることは充分理解して山本に文句を言う気ではあったが、一度気を逸らされてしまうと子供じみた感情の動きであったことが冷静に判断できて、獄寺は言葉を淀ませた。
「…で、何なんだよ見せたいものって」
電池残量が切れる直前の言葉を思い出して、獄寺は玄関の鍵を開けながら問い掛ける。
「それなんだけどさ、荷物置いたらすぐに出られる?」
「は?」
「外なんだよそれ。今から出掛けっから」
「出掛けるってお前、こんな時間からかよ!」
「んー、でも今日じゃなきゃヤバくてさ」
な?頼むよー、と困ったように手を合わされてしまえば、無下に断るのも気が引けてしまう。
「すぐに帰って来られるんだろうな?」
「ああ。電車乗るわけじゃねぇし、すぐそこの裏山だから」
「…ちっ、しょうがねぇ。その代わり行く途中でコンビニ寄ってジュース奢れよ?機内乾燥しきってて喉カラカラなんだよ」
「オッケ!まかしとけ!!」
交換条件が思っていたよりも緩かったのか、小首をかしげて獄寺の顔色を窺っていた山本の表情が一気に明るくなる。
お菓子をもらった子供のような笑顔を向けられて、思わず顔が上気してしまう。
ここ最近はいつものことではあったが、こんな表情の変化一つで簡単に惹き込まれてしまう自分の甘さを嫌でも自覚して、獄寺は自嘲の色を帯びたため息を一つ零した。

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