novel

□桜恋唄
4ページ/5ページ

桜の花には麻薬に似た成分が含まれている、なんて話を昔聞いたことがある。
だから日本人は桜の花の下で好んで宴を開くのだ、と。
その成分が何なのか調べたような気もするが、名前をちっとも思い出せないところをみると、自分にとっても半信半疑でどうでもいい情報だったのだろう。
四分の一ほどではあるが、日本人の血を受け継ぎながらもその話に特に興味を抱かなかったのは、獄寺自身が日本に来るまで桜の木というものを実際に見たことがなかったからに他ならない。
だが、限りなくガセネタに近い桜の麻薬成分の話も、今なら素直に信じることが出来る。
「…っ…ん、やぁ…も…」
信じなければ、こんなにまで高ぶってしまっている体の熱も、屋外でのセックスを許容してしまっている自分の感情も、何もかもが説明できなくなってしまうのだ。
自分は花の香に酔ってしまったのだ、と獄寺は何度も心に言い聞かせる。
山本の熱を素直に受け止めてやるのも桜に酔ったせいだということにしておけば、背徳への不安も少しは軽くなるような気がしていた。
「獄寺…」
横たえられた獄寺の首筋へと顔を埋め、耳たぶを甘噛みする山本の囁き声に体が大きく震える。
外気に触れている皮膚の温度が低いせいか、かかる吐息や舐めあげてくる舌がいつも以上に熱く感じた。
この熱を、この甘さを欲していたのは山本だけではない。
それは獄寺自身が一番解っていることだった。
空港に降り立って携帯電話の電池を使い切られた時にはあれほど苛立っていたのに、今はもうそんなことなどどうでも良くなってしまっている。
締め上げる気満々だった首も、今となっては抱き締めてしまっているのだから世話ないな、と自分でも呆れてしまった。
「ごくでら…」
それでも、何度もこんな風に名前を呼ばれて“欲しい”と示されてしまうと、やはり意地を張り続けられなくなってしまう。
こんな関係になる前…お互いにまだ張り合っていた最初の頃は、自分の背後に立たれただけでも神経を尖らせて怒鳴り散らしていたものだった。
それが今では自分から腕を伸ばし、その熱を抱き寄せようとしている。
まるで泣きながら手を差し延べる赤ん坊のようだ、と自嘲せずにはいられなかった。
「…っく…、あ…あっ…あつ…ィ…い…っ」
肌を愛おしむ掌の温かさに甘い声を零すと、山本は嬉しそうに微笑む。
作業棟の横にあった外灯の光が思いの外はっきりとお互いの表情を見せてくれていることが、不意に恥ずかしく思えた。
「―――綺麗だな…」
「…?」
獄寺から少し体を離し、目を逸らす彼を見下ろす体勢になった山本は、その手で獄寺の髪を額から2度3度ゆっくりと梳く。
「花びらが降り積もってく…もう少し明るけりゃ、もっと綺麗にはっきり見えるんだろうけどな…残念」
銀の髪を一房するりと落とした指の先から、花びらがゆっくり舞い落ちる。
獄寺の髪の毛についていたのだろう。山本はもう一度指で髪を梳くと、獄寺の上に再び花びらを落とした。
風に遊ぶ花の姿を、獄寺は不思議な気持ちで見つめていた。
(あ…)
くるりくるりと変則的に回転しながら落ちてくる花びらの向こう側に、ふと、目を留める。
「獄寺?」
視線の先へ手を伸ばすと、山本の怪訝そうな声が返ってきた。
問い掛けには答えず、獄寺は見つけたもの――自分と同じく、山本の髪にも降り留まっていた花びらを、指先でそっと摘む。
実際に触れてみて、その薄さと儚さに少し驚いた。
こんな小さなものが無数に咲き乱れて、人を、自分を酔わせているのだ。
この小さな欠片のどこに、それだけの魔力が詰まっているのだろう。
獄寺は指に乗せた花びらを自分の唇へとそっと押し当ててみた。
ひんやりとした触感が心地よくて、思わず目を細める。
その先端を歯で噛むと、しゃり…と花びらの繊維質が擦れて潰れる音がした。
甘いとか酸っぱいといった感覚はない。強いて言うなら、若干の苦味があるような気がする。
「――ん…っ…?!」
突然、何の前触れもなしに山本が獄寺の唇を舌で舐めあげてきた。
いつもの、気遣うような優しいキスとは違って少々乱暴とも思えたキスの仕方に、獄寺は思わず面食らってしまう。
「な、んだよいきなり」
「いやな、お前があんまり綺麗な表情してっからさ。つい、な」
「はぁ?!」
何を意味不明なこと言ってんだ、と悪戯っぽく笑うその顔を殴りたくなる。
「それと…」
だが山本はその後の言葉を、今度は真面目な表情で続けた。
「――悪ぃ、馬鹿みてぇなのは解ってんだけどさ…その、…ちょっと嫉妬した」
言葉を最後まで言い切る前に、山本は獄寺から目を逸らすと、自分の口元に手を当て、指で何かを弾き飛ばした。
花びらが一枚、土の上に力なく落ちる。
獄寺の唇に触れていた、あのひとひらだった。
「…ホント、すげえ馬鹿」
あんなものにまで嫉妬するなんて、と獄寺はつい笑ってしまった。
それでも山本の気は治まらないのか、今度は深く口づけてくる。
滑らかな舌を差し込まれ、その熱と動きとで上顎をねっとり撫で上げられてしまうと、目眩を起こしたのかと錯覚しそうになる。
体中が甘く痺れて、意識が白く霞み…山本とのキスは、獄寺にとってそれ自体が麻薬のようなものだった。

次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ