【 おそ松さん -2- 】

□松1枚
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『いらっしゃいませー』


 ──あ、また来た。


 挨拶は流れ作業。気の抜けた声を発しながら出入り口に目を向けたリュウジは、心の中でそう呟いた。


 このレンタル屋で働き初めて二ヶ月。

 都内ということもあり、十人十色の客がやってくるが、ただ一人ほぼ毎日来店する男がいた。

 毎日かどうかは別として、リュウジが出ているシフトはほぼ確定して来ている。


 ──今日は赤の日か。じゃあ真っ先にカーテン潜るな。


 その男はいつも同じパーカーを着ている。それも色違いだ。
 リュウジの知る限りだと彼は赤、緑、紫の色を持ち合わせているらしい。

 初めは暇つぶし程度に観察していたのだ。

 赤の時は他のジャンルに目もくれず成年向けコーナーへ行く。そして1、2枚ほど借りて帰って行く。

 緑の時は大方見回りしてから、気になったものを借りていく程度なのだろう。たまにドキマギしながら成年向けDVDを借りるのだが、服によってそれほど威勢は変わるものなのか。

 紫の時は借りることは少ない。この時は機嫌が悪いのか目つきが悪く猫背で店を徘徊している。


 その日の気分によって服を着分けているのか、多重人格なのかよく分からないが見ていて丁度いい暇つぶしなのだ。


 ──そして今日も、予想通り成年向けDVDを二枚持ってレジへやって来た。


『いらっしゃいませー』


 特に会話をしたことは無い。

 むしろレンタル屋で会話するほど客も店員も仲睦まじくならないだろう。


『本日はDVDレンタルが半額なので、旧作2枚で108円でございまーす』


 ──あ、そういえば赤の時って半額デーで見ること多いな。たまに普通の日に大量に借りていく日もあるけど…基準は何だ?


 そんな事を考えていると、予想だにしない出来事が起こった。


「ねぇ、お兄さんはこういうDVD見る人?」

『えっ…………?』


 業務上の会話しかしてこなかったため、突然話しかけられてリュウジは驚いた。初めての会話である。


『え、えーっと………たまに?』

「あれ、そうなの? いやー、AVの新作が結構入荷してたからさ。てっきり好きで入れたのかと思ったよ」

『俺は店長じゃないんで…』

「え、マジ? 貫禄あるねー、いくつ?」

『……23です』

「おー、若い若い! もっとお盛んでもいいんじゃなーい?」

『はぁ…………こちら商品になります』

「ん、ありがとー」

『ありがとうございましたー』


 笑顔で店を出て行く背中を見送りながら、リュウジは無意識に呟いていた。


『……………あんな風に笑うんだ』



───



 翌日。今日はコンビニのアルバイトだ。

 フリーターのリュウジは、現在二つのアルバイトを両立している。

 高校を卒業してから進学はせず、対して就職もせずにアルバイト三昧の日々を過ごしていた。


『いらっしゃませー』


 ──あ、来た。


 来店した客を見た途端、思わずリュウジは口元を緩ませた。


 ──今日も随分派手だな…。いわゆるデート…とかなんだろうか。


 普段のパーカーとは違って黒革のジャケットを羽織っている姿は、初めて見るわけではない。

 似合う似合わないは置いておき、パーカー姿でないのはリュウジの中で出現率は低いと認識している。
 そもそも私服がパーカーだけなのかと考えているほどだ。


 彼のこの姿をレンタル屋でまず見ることは無い。コンビニに来るのもまずまず…と行ったところだ。

 ちなみに購入するものは飲料水のみ。


 ──そんな派手な格好なのに緑茶か…。そういえば炭酸とか買ったことないな。


『いらっしゃいませー』


 今日も同じくペットボトルを一本持ってレジにやって来た。


『130円ですねー』


 また、この時も会話は特にない。
 レンタル屋同様、客と店員の仲が良くなることが稀なのだ。

 会話なしにやり取りを終えた直後、リュウジは即座に気が付いた。


 ──あれ、いつもはすぐにペットボトル持つのに今日は持ってないな…。ん? もしかして…。


『袋はご利用ですか?』

「いや、結構です」

『……………………』


 そう言ってペットボトルを手に持った男は、軽く一礼して店を出て行った。


『ありがとうございまーす…………』


 リュウジは挨拶もおぼろに彼を見送った。


 ──えっ? めっちゃ声低くないか? 何のギャップだ……?


 昨日レンタル屋で会話した声とは違い、実に男らしい低い声が彼の口から発せられたため、驚きを隠せなかったのである。


 ──マジで多重人格者? 怖いって……。



 その三時間後、午後4時を回った頃にリュウジは再び衝撃に襲われた。


『いらっしゃま……せ………』


 出入り口へ目を向けると、昼に来店した筈の男が赤のパーカーを来て再びやって来たのだ。

 思わず挨拶の語尾が消えていく。


 ──き、着替えたのか…? わざわざ? 何考えてんのかよく分からんなぁ…。


 観察対象としては十分面白いのだが、最近では踏み込みすぎて素性が気になってきていた。


 ──いやいや、考えすぎは良くない…。あくまで客。静かに観察しといた方がいい……ような気がする。


 心中で苦笑いを浮かべていると、男が商品を持ってレジにやって来た。


『いらっしゃいませー』


 赤のパーカーを来てコンビニに来たとき購入するものはビールとつまみ、そしてたまに成年向け雑誌だ。今日はどうやら三点セット。


 ──それにしてもこの人は本当にエロいの好きだな……。


 確か昨日もアダルトビデオを借りていた気がするが、お盛んなのはそっちではないかと考えていた。


『お会計が850円ですねー』


 商品の袋詰めをしながら支払いを待っていると、何やら凝視されていることに気が付き手を止めた。


『…………………あの、何か?』

「お兄さんって…もしかしてレンタル屋の?」

『……………………』


 ──今まで一切気付きもしなかったのに突然? 別に困ることはないけど…。


『はい、一応……』

「おぉー! やっぱり! 何か見たことある顔だなーって思ったよ。かけもち? 偉いねぇーいっぱい働いて」

『い、いや、アルバイトなんで…』

「全然全然! 偉いよぉー、お兄ちゃん尊敬しちゃう!」

『お、お兄ちゃん?』


 ──本当に声が違うな……。それにやたらにテンション高いなこの人。何だろう…赤色はパッション的な意味なのか?


 笑顔を振りまく顔に何故か照れ臭いように感じるリュウジだった。



───


 アルバイト三昧といっても、基本夜は働かないようしている。
 早番で終わるのが日課になっているだけで、特に理由はないのだが。


『うんま〜〜っ』


 湯気を立てて熱さを象徴するダシがよく染みた大根を頬張り、リュウジは感嘆の声を上げた。


『本当に美味しいですよね、大将のおでん…』

「バーロー、褒めても何も出ねぇぞ」


 大将と呼ばれた男はそう言いつつもリュウジの前におでんを差し出していた。

 リュウジは時々、アルバイトが終わったあとにこうして屋台に食べに来ている。

 のどかな川沿いに佇むおでん屋だ。

 通うようになったのもここ最近だが、あまりの美味しさに常連になり、互いに顔見知りになっていた。


『あ、そうだ大将。聞いてくださいよ』

「ん、どうしたんでぇ」

『俺バイトかけもちしてるんですけど、おかしな客がいるんですよねー』

「何でぇ、おかしな客って」

『たぶん……多重人格者?』

「何だそりゃ…」

『いやいや、俺も半分疑ってるんですけど…本当に別人みたいなんですよ。同じ顔だけど服装も声も違うし。俺が知ってる限り、1、2、3…4人はいますって! 俺怖くて怖くて…』

「……お前ぇ、それ勘違いだと思うぞ」

『え、どうしてですか?』

「そうだなぁ…双子って分かるか?」

『…それくらい分かりますよ』

「世の中には顔の似た兄弟が意外といるんだぜ。それって何人まで想像つくよ?」

『うーん…三つ子ならテレビとかで見たことありますけど』

「まぁ普通はそうだろうな」

『それ以上同じ顔の人がいたら怖くないですか…? 母親はどんな気持ちで生んだのか気になりますよねぇ…ていうか物理的に可能なんすか?』

「そうか………」

『? 何なんですか結局?』

「いや、何も聞くな。知らぬが仏って言うからよ…」

『何ですかそれ………?』


 腕組をしながら頷く大将を不思議に思いながら、リュウジはおでんを口に頬張った。


『うんまぁ……………』



───


 翌日。本日の出勤はレンタル屋だ。
 平日は大して客も来ない。
 夕方になれば客足も増えるだろう。

 もともとそこまで大きな店舗ではないため、こうした日は大抵一人でシフトを回している。


『いらっしゃいませー』


 有難い気持ちも何もない挨拶を零すリュウジの目は、いつもながらに虚ろであった。


お「やっほ!」


 呆然としていたところに突然声をかけられ拍子抜けする。


『あ、こ、こんちには』

「今日も出勤? 働き盛りだね〜」

『いえ、そんな事は……』


 レジカウンターに肘を付いて話をする男が、人懐っこいのか親しみやすいのか…はたまた馴れ馴れしいのか、どの言葉が似合うのか分からない。

 確認してみると、今日は赤いパーカーである。


「ねぇ、ちょっと聞いてくれない? 今客いないし良いでしょ?」

『え? あ、はい』

「あのさぁ、俺って兄弟いるんだけど、今日めちゃくちゃ冷たい扱いされたんだよ〜」

『兄弟……』


 そこでリュウジはピンときた。
 もしかしたら今まで会っていたのは一人ではないのかもしれない。

 昨夜の大将の言葉が引っかかっていたのもあるが、きっと顔の似た兄弟がいるのだろう。

 しかし再び疑問に思った。


 ──あれ? だとしたら俺、何人会ってたっけ? ………何か多くね? えっと、1…2………3…………?


「さっきもさーぁ、弟に知らない人扱いされちゃって。それにちょっとばかし驚かしただけなのに殴られたんだよ? 酷くない?」

『そうなんですか…』

「あ! あとさ、何かアイドル好きみたいで。別に俺はその趣味に対して何も否定しないし、むしろ協力してあげたのに殴り飛ばされたの! マジで意味分かんない…」

『へぇ……』


 既に頭はさまざまな情報で溢れていた。


 ──弟さん……すごく多趣味なのかな。いや、今の時点で何人かに分けられてるのか?


「何よりビックリしたのがさ……猫と合体して猫人間になったんだよ! マジで怖くない!? いやぁ…俺全然知らなかったよ」

『はっ?』


 至って大真面目な顔で話す男は冗談を言っているわけではなさそうだ。
 むしろリュウジはドン引いていた。


 ──えっ? 兄弟って人間じゃないの!? こっちが意味分かんないんですけど!!?


「それに元気よく川を泳いでるのなんか見ちゃったら、ビックリするに決まってるよな。なぁ、怖いだろ?」


 ──か、川泳ぐって小学生かよ!? 今どき小学生でも泳がねぇぞ!!?


 肩を落としてガックリと項垂れている姿を見ながら、どう返したものかと悩む。

 この際人数は置いておくとしても、話が素っ頓狂すぎてどんな兄弟なのかも理解できない。


「はぁっ…もっとお兄ちゃんに構ってほしいよ。俺なんにも知らないって今日初めて分かったし。話さないと分かんないこともあるって…」


 苦笑いしか出なかったリュウジの表情は、そこでようやく変わる。
 しょんぼりしてそう零した男の言葉を聞いて、思わず頬が緩んだのだ。


『何ですかそれッ……ただの寂しがり屋の兄さんじゃないですか』

「………………………」

『? どうしたんですか…?』

「…………いや、なーんだっ! ちゃんと笑えるんじゃん!」

『…………………はい?』

「キミいっつも無愛想だったから、笑ったことないのかと思ってたよ俺。何だよ、そうやって笑ってればいいのに」

『へ…………………』


 白い歯を見せて笑う男の顔がやけに眩しく見えた。


『な、何言ってるんですか……』


 照れくさく感じたリュウジは、無意識に顔を伏せて応える。


「え、マジ? 照れっちゃった?」

『はっ……!? て、照れてないです!!』

「うわぁ………ウケる」

『…………ッ………き、今日は何も借りていかないんですか?』

「ん? あぁーっ……そうだなぁ。ちょっと落ち込みモードだからな。可愛い彼女に慰められるのもいいけど…」


 若干熱く感じる頬は気のせいだと思いきかせていると、男が考え込んで口を噤んだので様子を伺った。


「あ、キミさ」

『……………何です?』

「今日はいつまで?」

『え? えっと……5時までなんで、あと少しですね』

「ナイス!」


 時計を見て答えたリュウジの頭に、男の手が乗せられた。


『えっ?』

「この後一緒に飲まない?」

『…………………えっ?』

「独りで飲むのは寂しいからさ〜。ほら、俺って寂しがり屋のお兄ちゃんだし? だったらキミが慰めてくれるよな!」


 先程からグイグイくる男が、かなり自己中心的な性格ではないかと予想する。

 実際予定は何もない。そもそもアルバイトしかしない毎日を送っているのだ。

 リュウジ自身は特に不愉快にも思っていないが、男の性格やこれまでの言動を見ると、兄弟が反抗した様子が何となく予想つくのだった。



『…………俺あんまり飲めないですよ。お酒弱いんで』

「そんなの大丈夫大丈夫! 俺が飲みたいだけだから!」

『そうですか…』

「あと俺金ないから! 奢りでよろしくーっ!」

『奢られる前提で飯誘う人初めて見たんですけど』

「そんじゃ、終わるまで外で待ってるよー。あ、そういやキミ名前なんていうの?」

『……………リュウジです』

「リュウジか! 俺おそ松! よろしくな!」


 おそ松と名乗った男は優雅な笑顔で店を出ていくのだった。

 その背中を見送ることしかできず、リュウジは本日何度目かの苦笑いとともに口を零した。



『何か小学生みたいだな』





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