薄桜鬼(短編)

□藤袴(原田)
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文久三年 十月

日差しが傾くと、急に肌寒いくらいに冷えてくる。
木々もうっすらと色を変えつつあり、京は秋本番と言った所。

江戸を発って、もう半年…。
京へ上った始めのひと月は、それこそ暇を持て余していたけれど、会津のお抱えになってからと言うもの、目まぐるしく忙しい日々を送っていた。

八月十八日の政変での活躍が功を奏し、容保候より「新選組」という名を賜れた事で、隊士達の士気が今迄以上に上がっている。
勿論、それは私も…なのだけれど。


「…えいっ!…やぁっ!!」


夕暮れの時刻ともなると、壬生寺の境内はとても静かになる。参拝する人も稽古をする隊士もほとんどおらず、誰にも知られたくないと思っている私にとっては都合がいい場所だ。
聞こえるのは、自分の息と空を切る心地よい槍の音色だけ。

一人で稽古に励むのには、理由がある。

新選組では、新しく「組」という制度を発足させた。
土方さんと山南さんの提案で、町の巡察などを円滑に進めるために、個人ではなく組単位で行動をすることに決めたのだ。

当然私もいずれかの組に属すると思っていたのに、言い渡されたのは山南さんの小姓で…。
正直、私は納得出来ないでいた。

山南さんは尊敬できる方で、その小姓を任されること嬉しい事ではある。
けれど私は、皆と共に第一線で働きたかった。
そのために、今迄剣技に磨きをかけてきたって言うのに…。

何だか、独りだけ蚊帳の外にされたような気分がして、すごく悔しかった。
その気持ちを落ち着かせたいのと、機会があれば何れかの組への編入を狙って、ここで一人槍を振っていたのだ。


「くそっ……このっ!」


力任せに振りすぎ所為だろうか。
半刻ほど休まずに稽古を続けていると、自然と息が上がる。
けれど、稽古を止めたいとは思えない。

もっと、もっと力を付けて、近藤さんのお役にたちたい!
総司君や試衛館の仲間と共に、闘いたい!!!

気持ちは、焦るばかりだった。


「痛った…」


力任せに思い切り素振りをした瞬間、右の掌に痛みを覚え、危うく槍を落としそうになってしまった。
見てみると、掌に巻いた晒に血が滲んでいる。

槍の扱いにも慣れて、そろそろ大丈夫だって思っていたのに、余計な力が入ってしまったのかな…。
晒を外してみると、見事にまめを潰している。全く情けない。


「…畜生」


誰に言うでもなく、ひとりごちた。
でも、そんな私を見ていた人がいたのだ。


「荒れてんなぁ…」

「!?」

「女が『畜生』なんて、言うもんじゃねぇよ」


左之さんだ。

情けない姿を見られて、私はぶっきら棒に返答してしまう。


「…煩いな」

「ほら、手ぇ、見せてみろよ」

「え?」

「まめを潰しちまったんだろ?」

「大したことないから」

「バーカ、適当に誤魔化しちまってると、いざって時に握れなくなるぜ?」

「……」

「嫌なら見せる事はねぇけどよ。けど、手当てはしておけって」

「分かったよ。手、洗ってくるから」


左之さんに根負けした私は、手水で手を洗う事にした。
このまま無視し続けたら、左之さんのことだ…余計にちょっかいを出してくるに違いない。

恐る恐る水をかけてみたが、手水の水は程よく冷たくて、返って心地よい。


「…お前さ」


手拭いで手を拭っていると、追ってきた左之さんが再び声を掛けてくる。


「そんなにムキなって稽古しなくてもいいんじゃねぇか?」

「……」

「小姓ってのは、基本的に前線に出る訳じゃねぇ。人を殺める剣を磨く必要は無ぇだろ?」

「…新選組は、まだ隊士の人数が少ない。それは、俺にだって出動する機会があるって事だ。怠けていたら、腕が落ちるだろ?」

「そうかもしれねぇけど…」

「……」


左之さんは、まだ納得いかない様子だ。

けれど私は、左之さんに構う事無く稽古を再開した。
無駄話に付き合う程、今の私に余裕なんてなかったから。


「…はっ!……とぉっ!」


…やりにくい。

豆を潰した掌がズキズキ痛むし、集中しようとしても、どうにも気が散ってしまう。
横目でちらりと左之さんに視線を向けると、じっとこちらを見ているのが分かった。

ったく、まじまじと見るなっての…。

自分でも何故そんなに気になるのかは分からなかったけど、とにかく放っておいて欲しかった。
それなのに、左之さんはまた私に声を掛ける。


「…ちょっといいか?」

「何?」

「構えてみろよ」


言いながら左之さんが、こちらに近づいてくる。
訳が分からなかったけど、言われるまま槍を構えてみた。


「ここだ、この左手だけどよ」

「…え?」


左之さんは、ごく当たり前のように私の背後に回り、そのまま槍を持つ手の矯正を始めた。
それは勿論、有り難い事なんだけれど…。
背中に左之さんの体温を感じて、私は身を固くする。


「お前は右利きなんだから。左手はこんなに力むもんんじゃねぇって…。そうそう、添える感じだよ」

「ああ…うん。分かってる…んだけど」

「それから、利き手な…。こっちは、こんな具合いに…」

「!!」


左之さんに他意は無い。

分かっているのに、いきなり手を重ねられた私は、小娘のように狼狽えてしまう。
だから、それを誤魔化すように、大きな声で反抗してしまった。


「わ、分かったから!そんなにくっつかなくても出来るよ!!!」

「あ?ああ悪い。つい夢中になっちまって…」

「……」

「けど…お前って…」

「な、何?」

「背丈は平助とそう変わんねぇのに、腕っぷしとか、体格とか全然違うんだよな…」

「そう?」

「ああ。…お前は怒るかもしれねぇけど」

「…?」

「華奢だよな。やっぱり、女だ」

「な…」


左之さんは、少し困ったように眉根を寄せ、苦笑いしていた。

日頃から私を女扱いしていたくせに、何を今さら…。

自分でもよく分からない感情が、私を襲う。
堪らず、私は目線を外した。

でも左之さんは、そんな私の気持ちを逆なでするかのような言葉を投げかけてくる。


「なあ、蓮。お前、本当にこのままでいいのか?」

「…どういう事?」

「お前が荒れてんのは、組み分けの事だろ?けどそれは、近藤さんや土方さんの親心ってもんだ。お前を守ってやりてぇって言う、親心みないなもんが…二人にはあるんじゃねぇのかな?」

「……」

「俺が察するに、二人は、もう潮時だって思ってんのかもしれねぇな」

「…潮時?」

「これ以上お前が深入りしちまったら、もう後戻りは出来ねぇ…。江戸に戻れなくなるって考えてるんじゃねぇのかな?」

「……」


言葉に詰まる。

自分でも薄々感じていた事を指摘され、私の心は大きく揺らいでしまった。

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