薄桜鬼(短編)
□桜彩(土方×千鶴)
1ページ/3ページ
元治二年、春。
早いもので、私が新選組のお世話になって一年が過ぎていた。
初めは、まさに軟禁状態であった私の待遇もすっかり変化して、かなり自由に過ごさせて頂いている。
流石に頓所外へは、誰かと行動を共にすることになっているけれど、頓所内での移動や雑用に関しては何の制限もされていない。
気を使う事と言えば、事情を知らない隊士の方々との会話くらいだ。
けれど“土方さんの小姓”という肩書程、威力のあるものはない。
詮索された時にも“土方さん”のお名前を出せば、大抵引き下がって下さるのだから。
「土方さん、お茶をお持ちしました」
「…入れ」
「失礼します」
朝食後、いつものようにお茶をお持ちした。
特にご用事が無い限り、お昼までは自室で細々とした書類を纏めるのが、土方さんの日課となっている。
部屋に入ると、既に土方さんは机に向かい、もくもくと仕事に勤しんでいた。
傍らには書類が山積みになっていて、私の目で見てもかなりの量に見える。
「今日は、特に量が多くありませんか?」
「ん?ああ、重要な会議が控えているからな…」
質問には答えてくれたけれど、余裕がないのかそれ以上は何も仰ってくれない。
もともと多くの仕事を抱えてきた土方さんだけれど、頓所を西本願寺に移した頃から、更に忙しさに拍車が掛かったと、私は感じていた。
夜は、早くても丑の刻(深夜二時前後)まで行燈の明かりが点いているし、朝だって明け六つ(午前6時ごろ)には既に目覚めていらっしゃる。
つまりは、日々眠る時間を削ってお仕事をされている訳で…。
こと、最近は、顔色の優れない日も度々あるようだし、お食事もろくに召し上がってらっしゃらない。
鬼なんて仇名を付けられているけれど、土方さんだって人。こんな生活を続けていては、いつか倒れてしまう事くらい、私にだってわかる。
私は、まがりなりにも“土方さんの小姓”という仕事を賜っている。
だったら、やるべきことはただ一つ。
土方さんのご負担を、軽くして差し上げる事だ。
分不相応だと分かってはいるけれど、どうしてもお力になりたくて、土方さんにお願いを申し出た。
「あの…土方さん。お手伝いをさせて頂けませんか?」
「あぁ?」
眉間にしわを寄せたまま、土方さんは私の方を見る。
かなり…恐いかも。
流石『鬼の副長』…すごい迫力だわ。
けれど、私はそれに怯む事無く言葉を続けた。
ここで引き下がったら、いつまでたっても土方さんのお力になれないもの。
「私、読み書きは父に習いましたので、書類の整理とか簡単な書簡なら書けます」
「……」
「お疑いになる前に、一度手伝わせて下さい。それでお役にたてなければ、以後こんなお願いは申しません」
「……」
「駄目でしょうか?」
土方さんは少しの間、私をじっと見つめていたけれど、突然ぷいっと背を向けて、再び書類に目を通し始めた。
…む、無視?
ううん、怯んじゃ駄目よ。負けちゃ駄目!!
「土方さん、あの…」
「…硯と筆、持って来い」
「え?」
「手伝うんじゃねぇのか?」
「は、はい!」
飛び上ってしまいたい位、私は喜びを感じていた。
だって、今まで何度お願いをしても、『余計な事はしなくていい』と仰って、一度も手伝わせて貰えなかったのに…。
大急ぎで私室へ戻り、押入れの中にある行李を引っ張り出した。
確かここにしまっておいたはず…。
「あった」
手にしたのは、美しい細工のしてある矢立(携帯用筆入れ)。父さまが、京土産だと言って送って下さったものだ。
想いでの矢立を手に、私は大急ぎで土方さんの部屋を訪れた。
「土方さん、失礼します」
「入れ…」
「お待たせしました。何をお手伝いしましょうか?」
「お前…」
「はい?」
「何か楽しい事でもあったか?」
「…いえ、別に」
「けど、顔が緩んでるぜ」
「へ!?」
思わず両手で押さえる。
私、そんなにニヤニヤしてたかな?
土方さんが、私にお仕事を振って下さること自体が初めてだったから、確かに嬉しかったけれど…。
「まあいい。けどお前、下手くそな文字を書いてみろ、容赦しねぇからな?」
「は、はい!」
「じゃあ手始めに、これをまるっきり同じように写してみろ」
突きつけられたのは一枚の紙。
新選組から、近隣の藩邸へ向けた手紙のようだ。
それ程難しい漢字は無いみたいだから、私でも何とかなるかもしれない。
「承知しました」
「……ん」
よし。
俄然やる気が出てくる。
こんな機会は、滅多にあるわけ無いんだから、しっかり務めなくちゃ…。
土方さんから少し離れた畳の上で、丁寧に文書を清書していく。
決して早くは無いと思うけれど、文字の美しさには少しだけ自信があったりする。
一枚書き終えてお見せしたら、ちらりと私を一瞥したのと同時に、土方さんは…微笑んでくれた…気のせいかしら…。
「……」
「…想像以上の出来栄えだ。そのままあと五十枚、頼んだぜ?」
「はい!」
久しぶりの感覚に、私は高揚していた。
池田屋で伝令を務めた時にも、同じような気持ちを覚えた気がする。
私、お役に立てたんだよね?
ああ、嬉しすぎて口元がにやけてしまいそう。
それに、土方さんのあの笑顔。
本当に素敵で………
って、そんな浮かれている場合じゃない!
お仕事のご負担を減らすためにも、出来る事をしっかりやらなくちゃ。
そんな事があって、土方さんは以後、時々私に仕事を振って下さるようになった。
今迄、何度か手伝いを申し出ても、無下に断られてばかりだっただけに、私にとって大きな一歩。
本当に、“土方さんの小姓”になれた様に思えて、すごく嬉しかった。
.