小説

□つきのふね
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※1502文字




 あれが、いつも、僕の妄想を砕く――。




 彼女の名前はガラムマサラと言うらしい。肌はチョコレート色で、目はきらきらした金色、チリチリの黒髪は腰まである。僕は勝手に、彼女をインドかタイかそこらへんの人だと思っている。偏見だけど。

 彼女は月からふうわりと舞い降りてくるかのように、毎晩僕のそばにやってくる。
 つやつやしたくちびるで、何の脈絡もなく自分の過ごした一日を語り始める。

 象の背中に乗ったとか、王宮で働くのも楽じゃないのよね、とか、とってもどうでもいい内容だ。
 それでも、じゅうぶん楽しい。窓辺で身体を横たえ、時間を持て余す僕には、良い退屈しのぎだ。

 まさら(ガラムマサラって言いにくいよね)はお喋り好きなのか、僕が気の無い返事をしても平気みたいだし、ちょっとでも興味有りげな反応をすると、とても喜ぶ。
 ああ、今日も、彼女の話が聞けて良――。



 ――また、だ。



 あれが、僕の妄想を砕く。



 月の舟、三日月のかたち――顎のあたりが尖って、光って、そのうち、ぼやける。

 小鳥が鳴いて、朝になると、すっかり消えてしまうのだけれど。


 あれは、僕の夢を黒く染めて、意識を裂く――。




 彼女の家族は三十人いるらしい。珍しいことじゃないらしいが、母親が、生みの親と別にもう一人いて、いわゆる一夫多妻制なのだそうだ。
 兄弟がいっぱいでいいね、僕は一人っ子だから、うらやましい。そう言うと、彼女はくちびるを尖らせた。
 
 いっぱいいるから、働かなきゃいけなくなっちゃったのよぅ!
 まさらが大きな声を上げるのはいつものことで、もう慣れた僕は気にしない。でも耳元で、となると、ちょっとうるさい。

 僕のことはおかまいなしに、彼女は続ける。
 そうよ、先に生まれたからって働かされてさっ、召使いなんて柄じゃないっていうのに!

 不倫でもなんでもいいからお金持ちを捕まえてどこか遠くに行くんだという彼女の言葉にさすがに吹き出してしまったが、彼女は楽しげに笑ってくれた――。



 ――彼女の笑顔が遠くなる。



 三日月だ。
 死んだ目をして僕を見てる。

 でも、震えて見えるのは、どうしてだろう。
 僕が、無意識に怯えてるのかな。


 朝になると、それはまた消えた。






 彼女は今夜は忙しいらしい。ふうわりと、窓辺に降り立ついつもの姿を待っていたけれど、来る様子はない。
 お金持ちと逃げたのかもな、本当に。

 僕は生来受身な人間で、聞き役としては天下一品らしい。僕はあんなに気のない素振りをしていたのに、そう褒めるまさらは、やっぱりちょっと変なんだと思った。

 あいにく、興味がないことには徹底的に興味がない。面白くないものには笑えない。よくある不幸は悲しめないし、当然の宿命には抗えない。

 彼女がいないと、こうなってしまう。
考え出すと止まらないタイプらしい。
いつの間にか眠っていないかな、しんじゃうみたいに――。





「――刺しなよ」





 三日月に向かっていった。
 月明かりに黄色く光るそれに映る、死んだ瞳――僕の、渇いた、瞳。




「――早く」




 震える、三日月――短いナイフは、僕に向かって突き出されている。



「ころしな、って言ってるの」



 ナイフがますます震える。
 母さんが、僕を恐ろしいものに出会ったかのように、荒く息をしている。
 ――馬鹿な人。自分からナイフを向けているくせに――。


「こわいんだ」


 母さんの肩が、びくりと跳ね上がった。

「毎晩、僕の夢を邪魔して……一気にやっちゃってくれたら楽なのに」

 僕も、あなたも。

 彼女の手首を掴んだ。
 悲鳴が上がる。
 ナイフが、冷たいナイフが僕の喉に当たった。冷たい、の次は、温かい、だった。その次に、少し痛いような、むず痒いような感覚が迫って、僕は目を閉じた。



 まさらが、遅れてごめんねって言った気がした。




 だれかの涙が頬を伝った。












End
※お題:つきのふね/NoaNoa.さま
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