小説

□cry down
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※P.3―4800文字




「――行ったか」

 一昨日塗り替えたばかりの、赤い戦闘機。

 太陽の光を反射し、こちらに挨拶するかのように一回転すると、白く尾を引いて、晴天の空へ消えていった。

「すげーな」

 ホセの言葉に答えることなく、アンリはその場を離れる。それに気づいて、ホセは双眼鏡から目を離すと、アンリの後を追った。

「酔わねーのかな」
「何の話?」
「いや、あっち」

 親指で後ろ――というよりは、空、か――を指差し、彼の青い瞳は笑う。その瞳が空なら、きらめく金の髪は太陽の光か。

「目、悪くて良かったわー。絶対無理だもん、飛行機乗りとか」
「ホセ」

 建物の中へ戻ろうと扉に手をかけたままアンリは静止した。ふいに振り返った彼の顔に浮かんでいた笑みは意地悪そのもので、黒い髪の奥に空いた赤い空洞が、いつもより輝いて見えた。

「あそこ。あそこにいる美人、お前のこと見てるけど、知り合い?」
「えっ?! マジ?! どこどこ?!」

 アンリが指さした遥か先、ちょうど整備中の戦闘機が並んでいるあたり。そこでは、厳つい顔の総帥がこちらを睨んでいた。

 さすが、この国の英傑、サボリの兵士を目ざとく見つけたようだ。立派な髭が生き物のようにうねり、数々の勲章で輝いておられるご自身と、深緑の軍服が心無しかぴくぴく震えていた。

「何だよ、ファブルのオッサンじゃねぇか。目汚しもいいとこだ。おい、責任取れ! ホンモノの女紹介しろ!」

 ホセがそう言いながら追いかけてきたが、その後ろから総帥が迫っている。どうやら今日は夕飯を一緒に食べられなさそうだ。
 響いた悲鳴にふたをするように扉を閉め、ため息をつく。


 空を引き裂くように、風を巻き上げて飛び立つ赤い身体。プロペラから放たれる轟音。残り香はオイルと砂埃を混ぜたもので、口説かれるのをわざと拒んでいるよう。

 赤い空洞に影が差し、彼の肌の白さが一層際立った。








「そっちが女だったらなあ。ほんと、もったいねー」

 あ、そういう意味じゃなくて、そうだったらいいなってぐらい綺麗な顔してるってことだからな!

 反対側のベッドに身を横たえ、同室の男、ホセは出会ってから何度目か分からない台詞を吐いた。
 この男は、相手のことを“そっち”と呼び、自分のことを“こっち”という、少々変わった男だ。

 少々、というのは間違いか、とアンリが細い指を口に当てた時、二つの青と、視線が、交じる。
 ホセは腫れ上がった左頬に手を当て、笑った。夏の夕暮れが迫った部屋に浮かぶ双眼は真っ直ぐにこちらを捉え、翳ることは無かった。あぁ、こいつは本当に自分とは違う。なんて――

「――綺麗な瞳だな」

 思わず息を飲んだ。
 まさか、心の中を見透かされた? 一瞬疑ってしまったのは、自分がよぎらせた言葉が、目の前の人物の口から飛び出て来たからだった。

「なんていうか、宝石みたいだな。夕日なんかよりもっと真っ赤で……何に例えたらいいんだろうな? こっち、バカだからわかんねーけど、」

 上体を起こして身を乗り出すように語りかけてきた彼の興奮した様子に、自然と体が後ろに下がる。

 ほんと、綺麗だよな。

 ベッドの上で後退したアンリの背中が壁に付いた。
 きらきら輝いたホセの瞳に、アンリは目を伏せた。嘲笑しか漏らせない自分が嫌になった。

「つくりもの、みたいだろ」
「ああ! うまく言えねーけど、この世のものとは思えないよな! そっちの目が宝石だったら、みんな欲しがるって! もちろん、こっちも積めるだけ金積む!」

 顔を上げた。
 彼の頬は蒸気し始めていて、瞳の煌めきも増している。
 アンリは唇を噛んで、ベッドから跳ねるようにして立ち上がった。

「……アン、」
「……寝てろ。氷くらいもらってきてやる」


 扉を閉めた。
 できる限り静かに。



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