小説

□寂しがりラジカリスト
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※P.2―4238文字




 鼻の穴にケーキが詰まった。

 顔面にケーキをぶちまけたまま玄関に立ち尽くす、会社の奴隷である私。駅近郊、2LDK、お家賃そこそこのマンション――その一室である我が家に戻ってきた瞬間出迎えた、ケーキ。
 キャハハ、と小鳥がさえずるような声が聞こえ、右手をワイパーに、ピッと目を拭く。

「おかえりぃ」
「……まりあ」

 ピンクのパーカー、短いデニムのスカート。ニーハイなんぞ履きおって、十歳のくせに。ふわふわした、腰まである栗色の髪の隙間から、小悪魔の触角が見えた――気がした。

「……食べ物をムダにしないの」

 静かにそう言うと、私は洗面所に入ってケーキを洗い落とす。鼻の穴も念入りに。

「はぁい。ね、ゴハン、なーにー?」
「……カレー」
「えー。またぁ?」
「前作ったのは一週間も前だったはずだけど」
「まだ一週間しかたってないよ」

 水を止める。
 コイツ……。

「子どもはカレーとかハンバーグ作っときゃ喜ぶっていうのは、発想がヒンコンだと思うよ」
 
 まりあが、口角を上げて私に言う。
 彼女が差し出したタオルを奪い取って、一瞬出そうになった修羅を抑えた。

「文句あるなら食べなくていいよ」
「えー! アタシが餓死してもいいの?!」
「勝手にしなさい」
 
 訴えるよ? 児童相談所でもどこでも行っちゃうよ? そうキャンキャン言いながら台所に立つ私の周りをくるくるする。

 



「私が帰る前に連絡くれたら、夕飯、好きな物にしてあげられるのにって言ってるじゃない」

 食卓に並んだカレー。
 野菜は少し小さめに、玉ねぎは飴色になるまで炒めたみじん切りと、こっくり煮込んだくし切りの二種類、鶏肉はちょっと大きめにたっぷり――時間が無いながら丁寧に作ったつもりだ。
 
 十歳の姪は、私と同じ量、あるいはそれ以上食べる。さっきリビングで開けっ放しになったお菓子の袋を見つけたので、間食もしているはずなのだが……二杯目のカレーが、細くて小さい体に吸い込まれていく。

 誰よりも生意気だが、誰よりも美味しそうに私の料理を食べてくれる彼女を見て、思わず笑みが零れる。

「やだよ。自分から頼むのって」
「めんどくさいから?」
「だーかーら!!」

 スプーンを置いて、口の中の物をしっかり飲み下した後、彼女は不機嫌な様子で言った。

「自分から頼んだゴハンって楽しみでもなんでもなくなるじゃん。今日何かな、アレだったらいいな、とか考えるのが良いんじゃん」
「だから食べたい物があるなら頼めばいいでしょ。むしろそうしてくれた方がいいな、献立考えるの大変だし。今日はそういう気分じゃない〜って言われなくてすむし」
「分かんないかなぁ。キリちゃんも子どもの頃思わなかったの? 普通そうじゃないの?」

 彼女はよく口にする。
 これが普通じゃないの? 普通なんだよね?

 一緒に暮らし始めて一ヶ月ほどしか経っていないし、耳に残るだけで、実際そんなに口に出していないのかもしれない。

「さぁ。私はめったに文句も言わなかったし、大人しい、いい子だったから」

 まりあが、なにそれ、とこちらを睨んだ。
そういいながらも完食してくれる彼女を、少しは可愛いと思う。





 責任の一端は私にあると思う。
 まりあを置いて出ていく姉を止められなかったのは、大人しくていい子の私だ。
 輸入雑貨を扱う店を営む私の姉とその旦那は、「仕入れ」のために海外へ行くと言って、まりあを私に預けてさっさと飛行機で飛んでいってしまった。

 まりあは特に何も言わなかったようだ。
 姉曰く、大人しくていい子だから、らしい。数年会わない間に成長したのかなと彼女を迎えた日から、私と暴君の戦いの日々は始まったのである。

「今日、ちょっと早退していいですか」

 部長に申し訳なさそうにそういうと、あっさり許可が降りた。現在独り身で仕事以外にすることがない私には、有休も腐るほどあり、仕事の成績も上々。

 クソ真面目に生きてきて、少々味気ないとも思うが、こういう時に自分に救われて、まあこんな生活でもいいかと思うのである。

「彼氏っすかー?」

 いないのを分かっていてそう聞いてくる後輩の言葉に、帰る準備をしていた手が止まる。お前は男子高生か。

「うん。ちょっと、防弾チョッキ買いに行かなくちゃ」
「へ?」
「マカロンの弾丸が飛んでくるのよ」

 びっくりしたヤツの顔が、ラクダみたいでちょっと笑った。






 買い物を終えて、自宅に帰る。
 部屋に入る前に何だかいつもと違う空気を感じていたが、それは今日という日が彼女に魔法をかけているのだろうと、地雷原に飛び込んだ。
 今日は何が飛んでくるのだろう。
 パンプスを脱ぐ前にいつも通り立ち止まって彼女を待つが、一向に出迎えてくれる様子はない。

「……まりあ?」

 彼女の空間になっている、お菓子だらけのリビングに踏み入る。
 ついたままのテレビ。ソファからは甘い香りがして、近づくと、まりあが跳ね起きた。

「キリちゃん……」

 寝起きなのか、目の端に涙が浮かんでいる。
 手には携帯があって、ぎゅうっと小さな手に締め付けられて苦しそうだ。

「ただいま」
「……ん。おかえり」
「待ってて、ご馳走準備するから。……今日は、宿題して待ってなくてもいいよ」

 今日だけだからね。
 笑った私に、まりあは驚いて、何のことか分からない、といった様子で大きな目を真っ直ぐ向けた。



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