小説

□フェンス越しのアヴェマリア
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※3476文字








フェンス越しのアヴェマリア












 国の南端にあるとはいえ、やはり季節が巡れば肌寒さが軍服越しに襲う。高く澄み渡った青い空を見上げ、アンリは溜息にも似た声を漏らす。口から吐き出されたのは憂鬱か、感嘆か。

 エニグマ南軍基地でも『降誕の祈り(クライストース・ミサ)』は行われる。国教であるため、アンリたちエニグマの兵士もミサに参加するべきなのだが……。

 アンリは一人、冷たい冬の大地に身を横たえる飛行船を眺めていた。触れるとひやりとして、こちらの熱を奪う金属の体。今日は誰を乗せることもなく静かに眠っている。


「やっぱここだった!」


 飛行場に響いた声に、アンリは舌打ちした。振り返ると、青い双眼とかち合う。アンリの視線はものともせず、ホセは満面の笑顔で駆け寄ってきた。

 その両手にはどこから持ってきたのか、ご馳走がのせられた皿があった。よく落とさずにもって来れたなという純粋な感心を、頭を振って脳内から追い出す。違う、そうじゃなくて、そうだ、そもそも、なんでこいつがここに――。


「そっちも一緒に食おうぜー」


 ホセは嬉しそうに焼いた鳥肉にかぶりつく。馬鹿丸出しの顔して、本当に呆れたやつだ。冷たい風が吹く中、アンリは基地内を隔てる金網にもたれかかり、目を閉じた。

 基地内の一隅に佇む礼拝堂は、エニグマを作り指揮する人物――我らが国王陛下によって設けられたものである。国教である故か、神に祈らせることで精神的な安寧を図っているのか。こんな侮蔑ともとれることを考えるのも自分くらいだろうな、とアンリは自嘲した。

 エニグマの兵士はそのほとんどが孤児であり、慈悲を向け拾って下さった国王陛下を敬愛している。
 アンリ自身も別に国王が気に入らないとかそういう反逆的なことを考えてはいないし、むしろ彼を尊敬している方に入るのだとは思うが……いやいや、自分は何を考えているのか。


 アンリの思考を遮ったのは、礼拝堂から流れる音楽だった。ふと、軍服の上から胸のあたりに手をやる。首にからむ細い鎖を辿り、それを取り出した。

 金色の輪に、小さな赤い石が一つ。この国で、神への祈りの儀式に用いられる装身具。信徒は常に持ち歩いていなければならないが、アンリは今日のような祭事があるときしか携帯していない。


 全く、こんな輪っかに何の意味があるのやら。

 神様に祈るなんて、ただの自己満足だろう?


 腕輪のようなそれを玩ぶ。
 隣にいるホセにそう問いかけようとしたが、ご馳走に夢中な彼には意味が無さそうだと、空を仰いだ。


「宗教というのは、時代が進むにつれあまり意味をなさなくなってしまうだろうな。きっと、今以上に無味乾燥なものに思えるだろう、君には」


 低い声、緩慢とした口調。

 アンリは、ホセではない声だと判断すると同時に、自身の左側へ目を向けた。

 所々赤く染まった房が混じる薄い金の髪。すらりとした体躯にぴったりとあつらえられたかのような軍服。眠たげな視線はアンリの頭上から、様々な事柄を問いかけてくるように降ってきた。


「一部の人間が慣習的に祭事をこなしているだけという一派も中にはあるだろう。別段、敬虔な信仰もなく、ただ見えない『運命』に『神』という名をあてているだけに過ぎないの、かも……」


 次第に小さくなる声量。最後に首を傾げる様は、アンリに同意を求めているようでもあった。鼻先まで伸びた前髪が一房垂れ、赤い線を描いた。


「……ヴィルヘルム」


 同じような経緯でエニグマにやってきた彼は、アンリより少し先輩になる。ここで『先輩』というと、より早く入隊した者を指す。ここでは正確な年齢を知る者は少ないので、それによる序列を組むことは難しそうであるからだ。

 ヴィルヘルムの場合は単に忘れているだけ、とも皆で囁き合っている。考え事をするあまり、自分の部屋を忘れるというのも彼の日常である。

 あまりに考えを巡らせすぎて、脳みそが凝り固まってしまっているのではないかとアンリはふと口に出しそうになったが、ヴィルが口を開いたことで阻止された。


「こんなことを言うと、『信徒』に断罪されてしまうな。やめよう。自分の意見を一般の総意としてはならない」
「……相変わらず固いな」


 色んな意味で。


「性格だ。許してくれ」


 無表情のままヴィルは言った。


「ヴィルは礼拝堂に行かないのか」


 腰を下ろし、金網に背中を預けると、ヴィルも同じように隣に座った。彼の視線は空へ向かっているのか、大地に向かっているのか、分からない。


「考え事がまとまらなくてな」


 マイペースな彼の言葉に、へぇ、としか言えなかった。たじろぐアンリなどお構いなしにヴィルは続ける。


「アンリ、君たちも――」


 ヴィルが一瞬ホセを見た。

 アンリの背中越しにホセのものらしき咀嚼音が響く。
 ヴィルはその生き物の姿を捉えた後、その存在否定に入り、アンリの目を見据えた。


「――君も、そうだと思ったんだが」
「何のことだ?」
「君も、行動に意味を求める人種だと思ったんだが」


 ヴィルの言葉を黙って聞いた。

 決して頷きはしなかったが、特に否定もしなかった。
 ヴィルの言葉は固い。口調は緩やかで速度も遅く感じるのに、どこか難しく響くのは自分の教養が足りないせいか?


「『降誕の祈り(クライストース・ミサ)』の儀式に、何の意味があるのか……そう思っていたんだろう」
「……まるで尋問だな。妙に詮索してくるのは、ヒマだからか?」
「それを眺める君を見て思った。俺の思い違いで気分を害したならすまない」


 それ、とアンリの手にある金色の輪を指さして言った。
 傾きかけた太陽の光に鈍く光るそれを見つめ直し、アンリは、別に、と呟いた。


「神様などいないと、君も知っている、というより、思っているんだろう。そして、何事も素直に甘受できない」
「……性格だ。放っておいてくれ」


 ヴィルヘルムが僅かに笑ったような気がした。
 アンリは不服な心情になったが、それを見透かしているかのようにヴィルはすまない、と言った後続けた。


「何も考えないで生きられる方が幸せなのかもしれない。自分に与えられた試練の意味を、存在する理由を、人生の結末を……考えても切りがないからな」
「俺は……そんな高尚なことを考えちゃいない」


 時折ホセを見る様子が気になったが、あえて触れない。

 “あんなふうに生きられたら”なんて、誰もが思うことだろう。しかし理想は理想であって、それは実体を持った己の肉体ではない。思いめぐらせたことを、アンリは口にしなかった。

 ヴィルは一言、そうか、と言った。ゆっくりとした、やわらかで低い声は全てを分かっていると言いたげだった。
彼は立ち上がると、アンリに目を向けたまま口を開いた。


「考えても仕方のないことだってある、かも……。答えは出ないが――何も考えられない無機物には生まれなくて良かったと思うよ」
「……ホセの方を見るのはやめてやってくれ」


 ついに口を出してしまった。
 失礼、と言ったヴィルの言葉には何もこもっていないように思えたが、ホセがかわいそうなので言葉そのままに受け取っておこう。


「彼を軽視する意図はない。勘違いをさせてしまった、すまない。ただ、」


 フェンス越しに礼拝堂を眺め、ヴィルは目を伏せた。


「俺は、より納得し得る考えに思い至るのが好きなだけで……思い至ったそれに、特に意味は無い、かも……」


 首を傾げると、赤い前髪が一房垂れた。
 アンリは少し時間を置いて彼の言葉の意味を飲み込んだ。

 そうかもな、と呟いた時にはヴィルは礼拝堂から響く歌声に自身の声を重ねていた。

 ホセの方を見ると、手を振ってきた。彼の目の前にあるご馳走の山は半分ほど開拓だれていたが、まだ十分にあるようだ。三人分、ほどは――。


「『食』は人間に許された欲望の一つだという」


 ヴィルはそう言いながらケーキの上に乗った果物に手を伸ばした。
 アンリはホセの隣に座り、しばらくじっとしていた。


「食わねーの?」
「……もらう。いいのか」
「当たり前だろー! こっち、もうけっこう食ったからな、後は好きに食っていいぜー」
「……ん」


 礼も言えない口が憎らしかったが、ホセには伝わったようで安心した。相変わらずキラキラした瞳をこちらに向けてくる。


「……こっち見るな」



 神を讃える歌も、彼らの耳には遠い。



 世界の全てなど、ましてやこの国の全てなど知ることも叶わない自分には、神の存在など、到底想像できない。

 神がいるとしたら、自分に慈悲をくれたのか。だから自分はここにいて、生きているのか――何のために。


 その意義を、意味を、少しでも教えてくれるなら、神様を信じてやってもいい。
 アンリは皿に盛られた果実の一つに手を伸ばし、赤く熟れたそれを口に運んだ。



 楽園の果実も、こんな風に甘かったのだろうか。












End.
※お題:フェンス越しのアヴェマリア/Bicky’sさま

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