小説

□死床の射手
1ページ/3ページ




死床の射手
―ししょう の しゃしゅ―






 暑い日だった。


 真白い光に目を焼かれ、アンリは目を覚ました。
 陽光が白いシーツに反射して、ベッドに身を預けるアンリの顔に照りつける。

 開かれたカーテン、窓際には見知らぬ鳥が降り立ち、高い声で鳴いた。乾いた熱風が彼の白い肌に吹きつけ、雪のように白い髪を揺らして通り過ぎた。

 ふと、窓の外に目をやると、太陽の方へ向かって真っ直ぐに道が伸びていた。軍服を纏った青年たちが何人か行き交い、何事か話しているのが見えた。

 目を細めるが視界はますます歪み、焦点は合わない。そのせいか、人々の顔がひどく歪んで見えた。


 と、部屋の扉が軽くノックされた。

 三回。

 それに答えないでいると、勝手に扉が開いた。


「具合はどう?」


 静かにそう言ったのは、黒いワンピースに白いエプロンをつけた女性だった。
 無表情な顔とは裏腹に、穏やかな灰色の瞳と目が合った。橙色に近い明るい髪は清潔な白い看護帽できっちりと覆われ、前髪と、耳ほどの高さで切られた後ろ髪が覗くだけだった。


「……」
「食事、摂れそう?」


 事務的な響きを持っていたが、彼女はじっとアンリの目を見据えて言った。アンリがまた何も言わずに伏し目がちになると、灰色の瞳がわずかに揺らいで見えた。

 ベッドの向こうに回り込み、彼女が窓の外へ顔を出す。窓に手をかけようとした彼女に、


「閉めないでくれ」


 彼女が振り向く。一文字に結ばれた唇と不似合いな、驚きに染まった瞳とかち合った。またアンリは目をそらした。自分でも、予想外に冷たい声音だった。

 風が頬を撫でる。
 照りつける太陽が、肌を焼く。走る痛みに顔をしかめた。

 その様子を見て、看護婦がさっとアンリの横に立ち、陽光を遮った。顔を上げると、無表情の彼女の瞳は哀れむような労わるような、複雑な色をしているのが見て取れた。


「フローラ」


 部屋に響いた声に、彼女が反応した。

 彼女の目線を追うようにアンリも扉の方へ目を向ける。そこには厳格そうな男がいた。口ひげを生やし、眼光は鋭い。刻まれた皺は風化してゆく人間の年月ではなく、死地をくぐり抜けた人間の歴史を物語っていた。

 看護婦――フローラは、アンリに陽光が差さないように、かつ景色を遮らないように、少しだけカーテンを閉めると男の方へ歩み寄った。


「もうすぐ陛下がいらっしゃる」
「はい。私も同席してよろしいのでしょうか」
「構わん。……何かあったときのためにな」


 何かあったとき、というのは、自分のことを言っているのだろうとアンリは会話を盗み聞きしながら自嘲した。


 彼らに目を向けていると、男の目が不意に自分に向けられていることに気付いた。その目は先程と打って変わって、ひどく優しいものだった。そう、哀れむような、労わるような……そんな色だ。

 アンリが目を伏せると、男はベッドの近くまで来て声をかけた。力強い声だった。


「私はファブル。このエニグマ南軍基地の総帥だ」
「……」
「今から国王陛下がいらっしゃる。まだ体が辛いとは思うが、君がこれからどうするか、決めて欲しい」


 どうする、か?

 問いかけようとした時には、男は扉に向かって敬礼していた。フローラが扉を開いてその隣に佇んでいる。


 黒に近い深緑のローブ。それにすっぽりと包まれた何かが部屋の扉の前に立っていた。隙間から唇や首筋が見えたためにそれが人であることを認識できた。

 それに続いて壮年の男性が入ってきた。彼もまた黒いローブを身に纏っている。


 この国の王族は吸血鬼の血を引くために、強い光に弱いと聞いたことがある。そのために真夏でもローブを身に纏っているのだと。ただ、頭から被っているというのは少し異常な気もした。現に、傍らの男は首から下だけ、ローブに身を包んでいる。

 何かしら理由があるのかもしれない。そう、考えられるとしたら、そうそう頻繁に顔を見られたくないから。ならば――この人物が、国王、なのだろう。



 様々な思いを巡らせていたアンリの瞳は、大きく見開かれることになった。

 国王、と思しき人物は、ベッドの傍らまで来ると跪いたのである。アンリに、目線を合わせるように。
 後ろに控えていた男の顔がこわばったように見えたが、止める気配はない。

 アンリが戸惑っていると、ローブの中から低く甘やかな声がした。


「君が、アンリ、だったか」
「……はい」
「此度の戦乱では一般市民である君たちに被害が及んで、非常に申し訳なく思う。……君の心には響かない言葉だと思うが、受け取って欲しい。君にも、君の大切なものにも、いくら謝罪したところで無意味だろう……」
「……別に。俺には、失うものなど無かった。家族もいない、最初から体は欠陥品……俺には、何も、ない」


 アンリの放った言葉に部屋中が凍りつくのが分かった。

 それでも、アンリはこう言わずにはいられなかった。国王が一般市民に謝罪? 馬鹿だと思った。何がしたいのかと聞きたかった。
 ローブの男に目を向ける。驚いて固まっているようだった。


「あんた、馬鹿だろ。勿体ないお言葉です、とか言って欲しいのか? 王様ならもっと堂々としていたらどうなんだ? ……安い言葉で、俺から言葉を引き出そうとするな!」


 気付いたら叫んでいた。


 もう、うんざりだった。
 哀れむようなその目も、慰めの言葉も、もう、うんざりだった。



 雪のように白い肌と髪、血のように赤い瞳――『カレット』と呼ばれる先天異常を持つ者の特徴。
 知能の遅れがあったり、急激に老化したり、症状は様々であるが、彼らは皆共通して光に弱く、視力が悪かった。

 『カレット』とは、この国の古い言葉で、『欠けている』ということ――自分の病気について調べるうちに、アンリはそれを知った。自分で。教えてくれるものなど、誰もいなかったから。


 孤児院ではいじめられていたし、大人はみんな役たたずのクズだった。

 きっとこの男も、同じなのだ。
 ここにいる大人も皆、きっと――。


「……君の言う通りだな」


 低い声だった。暗く沈むその声に昂っていたアンリの心も落ち着き始めた。


「君は賢いのだろうな。……君の言うとおり、堂々と話し合いをしよう」


 そう言うと男は頭を覆っていたローブに手をかけた。皆それをただ見ていた。王の後ろに立っていた大人たちはそれを制すことも出来ずに。
 アンリだけが何も知らずに、ローブに隠された闇に目を向けていた。

 それが露になったとき、自らの愚行を後悔した。


「私がリフェリスの王、グランメイ・リフェリス。……父王の亡き後玉座についた、力無き王だ」


 そう言って、自嘲するように笑った。

 眩しいほどの白銀の髪、輪郭は細く、中性的な面立ちからは年齢を推し量ることが困難だった。
 そうだ、吸血鬼の末裔は皆そこらの人間よりも長生きで、老いを知らないという。この青年も、後ろに立つ男も、きっと見た目以上に年をとっているはずだ。

 アンリはその美貌に見とれたが、それ以上に彼の瞳に強く引きつけられた。

 そこにあったのは吸血鬼の証である真紅の瞳ではなく、白く濁った二つの瞳だった。







→to be continued.
.

次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ