03/11の日記

16:55
火の鳥〜震災から一年、これからの私たち〜
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あの日私たちは多くのものを失った
何もかも、見境無く失った

家を故郷をあの山をあの川をあの海を
安らぎを日常を平和を
家族を友人を
多くのものの命が失われ
震災は私たちの心には大きく深い傷を残して行った

それでも時は歩みを止めてはくれない
立ち止まることはできない
いつまでそこに立ち止まっていたとしても
何も変わらない、変えることは出来ないのだから

さぁ、歩きだそう
生乾きの傷を抱えたまま
立ち止まるな
失った多くの命のためにも

目の前の状況から目をそらしてはいけない
私達は数十年前、あの焼け野原からよみがえった
火の鳥、不死鳥の末裔なのだから

私たちのこの胸にある魂はあの鳥の炎が宿っている
今、長い眠りから目を覚まして
もう一度あの不可能を可能にした奇跡を
私たちの手で起こそう

さぁ、歩きだすんだ
復興の時
私たちは前だけを見て歩く
失ったものを取り戻すことはできないけれど
この手で新しく生み出すことはできる
家を故郷をあの山をあの川をあの海を
安らぎを日常を平和を
新しい命を
そしてその命達が歩いて行く
輝かしい未来をつくっていこう

火の鳥になろう
あの火の鳥に







不謹慎かもしれないけれどup
私たちは手をとって歩き出していかなければいけない
そんな詩というかポエムというか
衝動的に書きました

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16:54
あの日の私
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あの日、私は学校の卒業式に参加していた
私のではなく先輩の
私の大好きな先輩たちが卒業していった
そんな日だった

そしてそういった日は学校から早く帰れる
そんな日、私は近くにあるおばあちゃんの家に行っていた
そこにはいつもどおりのおばぁちゃんとおばちゃん
いつものように笑って迎えてくれた

私もいつものようにPCを開いた
オンライン上にまだ友だちがいなかったため
仕方なくテレビを見て待つことにした

つけた瞬間に流れてきたのは
バラバラになるオフィスや大きな建物が揺れる映像だった

地震の特番だろうかと思ってみていると
右上には『LIVE』の表示
大声で私は隣の部屋にいるおばちゃんたちに伝えると
オンライン上にいる知り合いへの連絡を試みた
東北には知り合いはいなかったけれど
北海道の津波警報が出ている港に友だちが住んでいた

そして東京の姉、横浜のいとことも少しの間連絡が取れなかった

最後に残ったのは北海道と横浜の友人だった
次の日の夜私はずっとPCの前に貼りついていた
怖くて怖くて不安だった

繰り返し流れる津波の映像
流されていく家々
もしも考えるだけで不安だった
そして言いようの無いものがこみ上げてきて
えずいて吐きそうになった
やっと連絡が取れたのは三週間後

それから何もできない私は行き場も無く怒っていて
どうしようもなく怖くて
どうしようもなく悲しかった

これが私のあの日
今でもあの日あの場にいなくても
あの恐怖は忘れることはできません
現地の人とは比べ物にはならないほどの
小さな恐怖だっただろうけれど
怖かった

忘れてはいけないから
あの日を思い出そうと思う
思い出したくない人たちに代わって
思い出そうと思う

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