短編(SS)
□捩レタ糸
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“マスター、今日は7時には帰るって言ったよね?”
“マスター、どうして電話に出てくれないの?”
“マスター、誰かと……一緒だったの?”
“マスター、マスター、マスター”
今日は仕事か忙しくて、いつもはしないようなミスもしてしまい私は疲れていた。仕事に追われ、家にいる帯人からの着信やメールも放置してしまい、ヘトヘトになりながらタクシーで家に着いたのは深夜近く。
それなのに玄関を開けたとたん、しつこく纏わりついてくる帯人にイラッとしてついあたってしまった。
「煩いな……帯人には関係ないでしょ」
「マス、ター……そんな……」
あぁ、こんなことを言いたい訳じゃないのに……。
眼帯とその上に巻かれた包帯で覆われていないほうの瞳が悲しそうに揺れた。
私はそんな帯人を放ったまま自分の部屋へと駆け込みベッドに飛び込んだ。
「私…なにやってるんだろう……大人げない……」
イライラして帯人にあたって……
あぁ、帯人に謝らないと……
そう思いながらも疲れのせいで私はいつのまにか眠ってしまっていた。
「マスター……マスター……」
耳元で帯人の声がする。
「マスター……俺のこと嫌いになったの? 嫌だ…いやだ、イヤダイヤダッ! マスター…マスターマスター……」
――嫌いなわけないわ
ごめんねと謝って大好きだと伝えようとする。
「――うぐッ!」
しかし私の口からは言葉が発せられることはなく、短い呻きだけが漏れた。
見開いた私の目に映ったのは自身の胸に突き刺さった包丁と、私の上にまたがり虚ろな目で私を見下ろしている帯人の姿だった。
ズブズブど包丁の刃がねじ込まれ、ついには柄の部分を残して全て肉に飲み込まれた。
“マスター”と壊れた人形のように繰り返す帯人。その体に巻かれた包帯は真新しい鮮血で赤く染まっていた。
そうだ――彼はとても傷付きやすく、とてもとても脆いのだ。
分かっていたはずなのに……それなのに私は帯人を拒絶するような態度をとってしまった……
ごめん……ごめんね……
「たい…と……」
ゴポッと喉の奥から血が込み上げ、零れ落ちた血がベッドに赤い染みをつくる。
「だ、い…すき……よ…」
全身から力が抜けていく。もう目も霞んで見えないけれど、私の言葉は……帯人に届いただろうか…………
――――――――
「……マスター?」
自分の名を呼ぶマスターの声に気づき慌てて下を見れば、胸と口から血を流しピクリとも動かないマスターの姿があった。
「な、なんで……。マスター! ねぇ、マスター! 起きてよ!!」
マスターの胸に刺さっているモノを引き抜く。けれどマスターの瞳は閉じたままだ。
どうして?どうして?
引き抜いたのは見覚えのある包丁。これで自分の体を傷つけていたところまでは覚えてる。マスターにはそういうことをしちゃダメだって言われていたけど……どうしても我慢できなかった。でも、その後の記憶が無い。
「俺が……マスターを壊しちゃったの?」
血に濡れた手でギュッとマスターの体を抱きしめる。
でもマスターの体はだんだん冷たくなっていった。
「……ごめんなさいマスター」
人間は壊れたら直せないんだよね?
でも――――
これでもうマスターと離れなくていい?
なら――いいや。
だって、マスターが傍にいないと寂しくて苦しくて……俺を、俺だけを見て欲しいから自分の体に傷をつけた。俺にとってマスターは全てなのに、マスターはそうじゃなかった。それが凄く辛かった。
でも、もう苦しまなくていいんだ。
マスターを抱きしめたまま自分もベッドに身を沈める。
ずっと、ずっと一緒にいようね。
「俺もマスターが大好きだよ……」