銀河英雄伝説

□鉄壁に遊ぶワルキューレ
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ツンデレラ

 バレンタインが近いから、そんな理由で友人がチョコレートケーキを持って訪ねてきた。
 見え透いていると、土産のケーキを切り分けながら呆れたものだ。
 本当の理由はそのにやけた表情と、物珍しそうに家を見る目から明らかだ。
「何か?」
 声に苛立ちを匂わせたのは、決して堪えられなかったからではない。
「別に?」
 やれやれだ。
 例え怒鳴り付けたとしても、彼女の眉ひとつ動かすことは出来ないに違いない。
「素敵なおうちじゃない。羨ましいわ」
 嘘をつけ。からかいに来ただけの癖に。
「ほーんと。全く気付かなかったわよ。貴女、オールドミスを貫くつもりなのかと思っていたのに、いつの間にあんな素敵な方とお知り合いになったの? ああ、失礼。そうよね。軍にいらしたのだもの。まさか最初から狙っていたとか?」
 そんなわけあるか。
 嫌味ったらしいにも程がある。
 どうやら鬱憤を晴らしにきたらしい。嫁ぎ先で何かトラブルでもあったかな。
「何かあったのか?」
 親身に聞くでもなく、お茶を勧めがてら聞いてみる。
 二十歳前に、親の勧めで年の離れた男のところへ嫁いでいった友人は、お喋りの口を止めて「はぁっ」とため息を吐いた。
「別にっ」
 乱暴に頬杖を突いて窓の方を見る。聞いてくれと言わんばかりではないか。
「そう?」
 こちらも顎の下で手を組んで、窓を見る。そちらに話があるのだから、勝手に話せばいいんだ。
 雲の流れが早い。晩は冷えるかもしれないな。
「……浮気よ」
 不本意だと、こちらを向かない横顔が語っていた。政略結婚だの、好きでもない男だのと口では文句ばかり言うくせに、彼女は彼女なりに夫となった男性を愛しているのだろう。
「ああ、もうっ!」
 どんっ、とテーブルに拳を叩き付けた拍子にガチャンと食器が跳ねる。
「いいわよね。ユーディットは! 好きな殿方と結婚出来るのだから!」
 なんだか妙な流れになったな。
「別に…」
 面と向かってそういう話をされるのはどうも…
「好きだなんてわたしは一言も言ってな…」
 扉の開く音がして、人の気配に反射的に振り返る。
「ああ、失礼」
 砂色の髪を一撫でして、この家の主人は客人に笑顔を見せた。
「お話中申し訳ありません。ご挨拶だけでもと思いまして。はじめましてフラウ。ナイトハルト・ミュラーです」
「あ、あのっ。お留守中にお邪魔して申し訳ありません。ミュラー閣下」
 さっきまでブスくれていた友人は、挨拶に訪れた館の主人に、バネ細工の人形よろしく立ち上がり、ぎくしゃくとお辞儀をした。
「この度は、ご婚約おめでとうございます」
「ありがとうございます。どうぞごゆっくり」
 固まるわたしのすぐそばで、優雅な会釈をした彼は、そのまま部屋を出ていった。
 張り付いた笑顔でそれを見送った友人は、扉が閉まるやテーブル越しに身を乗り出して
「どうしよう。絶対聞こえていたわよ」
 言われなくても分かってる。
 あんな顔、見たことがない。
「マリーア」
 先程の比ではないくらい、盛大に食器が跳ねた。テーブルクロスの上で震えているのが自分の手だなんて、憐れっぽく優しく微笑みかけられているのが自分だなんて、にわかには信じられない。
「うん。私、帰るわね」
「悪い」
 ううん、と、友人は首を振ったらしかったが、生憎それを確認している余裕はない。
 何処に行った?
 まさか出掛けた?
 廊下に出ても、求める黒い軍服姿が見付からなくて、吐き気がするほど嫌な気分になった。
 廊下を足早にいくうちに、玄関の黒い官車が目に留まる。主人を下ろし、今また走り出そうとしている車が停まった。中から見慣れた若い士官が降りてくる。訝しげに首を傾げながら、彼が敬礼をする相手が誰かなんて考えるまでもない。
「ミュラー!」
 窓から叫んでいた。驚いた顔で振り返る。その瞳に僅かな陰り。ばつの悪い表情で、ミュラーはわたしに手を振った。
「〜〜っ!!」
 考えるより先に体が動いた。窓枠に手をかけ上体を踊らせる。背筋がぞくりとする浮遊感の後に、落下の衝撃が来た。
「ユーディット!」
 悲鳴のような声がいくつか聞こえたが、そんなもの構っていられるか。
 足がじんじんする。靴の踵が折れた。もどかしく靴を脱いでいる間に、血相を変えたミュラーとドレウェンツが駆け寄ってくる。
 足が痺れて立てない。延ばした手は、すぐに届いた。
「無茶ばかり…」
 抱き締める腕の強さに、肺から空気が押し出される。けれども今は、その苦しさが心地よい。
 相手の力が緩む前に、しっかりと首に腕を回して体を固定し、砂色の髪に半ば埋もれた耳に唇を寄せた。
「違うからな」
「え?」
「まだ、言ってないだけだ…」
 呆気に取られたようなミュラーの顔が、次の瞬間息を吐くように和らぐ。
「ドレウェンツ」
「はっ」
 横抱きに抱えられたわたしには、ミュラーの背中で敬礼するドレウェンツの様子がよく見えた。笑いを堪えてぷるぷると頬が震えている。ミュラーの肩に隠れるように顔を背けると、堪えきれなくなったのか噴き出す姿が横目に見えた。
「すまんが、やはりこのまま戻る。明日は定刻通りだったな?」
「はっ! 明日、08:00(マルハチマルマル時)にお迎えに上がります!」
「ああ。頼む」
 肩越しにミュラーが振り向いたときには、にやけ面は整えられていたけれど。
 何メートルか移動して、正面玄関が近づくにつれ、激しい後悔が襲ってきた。抱えられているのがいたたまれない。いつかの夜の事が思い起こされて、身体中の血が沸騰したんじゃないかってくらい熱い。
「お、下ろせ」
「暴れないで。落ちます」
「いいんだ! 降りるんだから!」
「ダメです。足を挫いているでしょう?」
「大丈夫だ!」
 この胸板は、叩いてもびくともしないのは実証済みだが、それでも叩かずにはいられない。
「無茶をする貴女が悪いのだから、少しは大人しく言うことを聞いたらどうです」
 息を飲んだ。ミュラーの声に、僅かに含まれた怒りに、わたしは口を噤むしかない。
「…ごめん、なさい」
 消え入りそうな小さな声に、今度息を飲んだのはミュラーだった。黙って階段を上るミュラーの顔を上目使いに盗み見て、わたしは再度「お…―下ろして!」と声を張り上げるのだが
「さっきの件」
 このパターンは知ってる。嫌な流れだ。
 パタン、と閉じた寝室のドアに、わたしは慌ててミュラーにしがみついた。
 そんなわたしの耳元で、くすりと笑うミュラーが囁く。
「まだ、というからには聞かせていただけるのですよね?」
「ひぁ…っ」
 耳朶に掛かる息に、悪寒が走る。背を仰け反らせた拍子に、首に回した腕が解けて、わたしは柔らかなベットに尻餅をついた。



20130209
今年のバレンタインは銀英です!ってこれバレンタイン関係ないじゃん(殴)
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