銀河英雄伝説

□鉄壁に遊ぶワルキューレ
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6+1


食堂での失態を演じた後、ミュラーは自分のために用意された部屋へ通された。婚約前から何度か使ったことのある部屋だ。婚約してからなにやら細かい改装があったらしいのだが。気にするほどの時間をこの部屋で過ごしたことがない。
 気づけば用意されていた平服に着替えて、ミュラーはベットに深く腰を下ろして頭を抱えた。肺の中の空気をすべて吐き出してしまえとばかりに深い長い溜息を吐く。
 一体何がどうしてこうなったのか。解決の糸口さえつかませてもらえない。
 体調は悪くないと言っていたが、調子は良くないと言っていたし、明日には以前のように話せるのだろうか。アポもなしに官舎に押しかけられて他愛のない話をしていたころが懐かしい。
(明日になれば…?)
 夜が明けるまでにあと何時間あるというのだ。酒もなしにこの長い夜を乗り切れようはずがない。
 無作法かもしれない。しかし寝酒の一杯くらい所望しても構うまいと、顔を上げる。酒を持ってきてもらうことは決めたが、果たしてその方法が良くわからない。ベットに座ったまま部屋の中を観察し始めたミュラーは、今まで壁だった場所に小さな扉があることに気が付いた。小さいと言っても屋敷の他の扉と比べたら、であって、大人が普通に通れるくらいの大きさだ。
(改装すると言っていたっけ)
 何のために取り付けた扉だろう。より注意を以て扉を観察していると、その扉の向こうに人の動く気配を感じた。メイドや従者だろうか。ならばちょうどよいと、まっすぐ扉に近づいて迷いなく開いた。――と、
「っ!」
「…あ」
 宇宙を思わせる黒天鵞絨に銀糸で星を縫い付けたカーテン。向かい合わせのソファとティテーブル。向うの壁には同じ位置に開かれた扉。大股で三歩もあるけば壁にあたってしまいそうな、ここは所謂繋ぎの間だ。
 扉をあけようと伸ばしていた手をそのままに、そこにユーディットが立っていた。
「あ!」
「待って!」
 ひっこめようとした手をつかみ、その手を引き寄せ抱き寄せた。腕の中で薫る甘い香りに気が狂いそうだ。自分のものだと、今更手放してなどやるものかと、叫びたくなる。
 細い体を抱きしめて、髪に頬を寄せるミュラーに、ユーディットは最初こそ身を固くしたものの、すぐに力を抜いて身を預けてきた。ただやはり落ち着かないのか、控えめにミュラーの胸を押し返そうとするので、ミュラーは一度ぎゅっと抱きしめた後で拘束を緩めてやった。
「あ、あの…」
 手首から肘までの距離で、ちらちらとミュラーを見上げながら歯切れ悪くユーディットが話す。
「宇宙を、イメージした作りにしようと思って、だな。あ、嫌ならもちろん別のにするんだが、びっくりさせたくて、思いついたままに行動するのは悪い癖だとマリアには叱られる」
 ふふ、と笑って、ユーディットはそこで黙った。反応を恐る恐る伺うように、下げていた視線を、顔ごと上向けた。
「ミュラー?」
「え、…?」
「相談せずに改装してしまったこと、怒っている?」
「いや…。そんなことは…」
 ない、ですが、と口中に呟いて、ミュラーは怪訝そうな顔のままユーディットを見つめた。
「今日、様子がおかしかったのはもしかしてこれが原因ですか?」
「えっ!?」
 あまりと言えばあまりな反応。大きく瞳を見開いて、ようやくこちらを見てくれた視線がまた逸れる。
(あー、やはりほかに理由があるのか)
「他に好きな男ができたとか」
 どんっ! 皆まで言わせてもらえずに両の拳を胸にたたきつけられた。怒りをたたえた瞳がミュラーをにらみつけている。
「…すみません」
「バカ…」
「すみません。ユーディット…?」
 拗ねて横を向いたその表情が妙にかわいらしくて、つい笑みがこみ上げてくる。
「私は怒っているんだぞ。何を笑って…!?」
 むっと上向いたその瞬間に口づけた。ちゅ、と啄むような口づけでも、ユーディットは顔を真っ赤にして押し黙ってしまう。
「すみません」
 抱きしめて、髪に頬を寄せてその耳元に囁くように唇を寄せる。耳に唇が触れる度、息がかかる度に、ユーディットの肩がびくりと震え、小さな鳴き声を上げた。
「あなたがあまりによそよそしいものだから、嫌われたのかと」
 抱きしめられたままの不自由な状態で、ユーディットは精一杯首を振った。
「結婚が嫌になった?」
 また、首を振る。その反応に、ミュラーは自分が心の底から安堵していることに笑ってしまった。骨抜きではないか。
「じゃあ…」
 拘束を解いて、代わりにくるりと半回転。怖がらせないようにゆっくりと、ユーディットの背中を壁に追い詰める。ユーディットを抱いていた腕は、彼女を閉じ込める檻になる。両手を壁につき、覆いかぶさるように正面からユーディットを見つめた。
「なぜ?」
「あ…」
 逃げるようにユーディットが顔を背ければ、その分だけミュラーは背をかがめた。
「ユーディット?」
 囁くような問いかけに、あえぐような吐息が返る。吐息が混ざり合うほどの距離で、熱にうるんだ瞳がミュラーを見つめた。
(まずい)
 タガが外れる、とはこういうことだと、思った時にはもう遅い。背中を駆け抜けた電流が、理性を吹き飛ばして勝手に体を動かしていた。ぶつけるように唇を合わせて、侵入し、彼女の理性も食らい尽くす。押し流されまいとしてか、ついてこようとしてかはわからないが、しがみついていた腕は、執拗な口づけにいつしか脱力してしまい、苦笑しながらミュラーは猫のようにふにゃりと座り込んでしまったユーディットの体を抱き上げた。
(こういう計算違いなら歓迎だな)
 4年待った。だからもう数か月、正式な婚姻を待ってからで構わないと思ってた。プロポーズの日に初めてキスをして、彼女がどれほど初心なのかはわかっていたから。
 いきなり押し倒すのも怖がらせるだろうかと、ユーディットを抱えたままベットに腰掛ける。膝の上でユーディットはまたしてもかちんこちんに固まっていた。
「話をしましょう。まだ夜は長いのだから」
 言いながら、額に、頬に、啄むような口づけを落としていく。
「何の話?」
「なんでも」
 昔話でもいい。出会ったころのこと。とんでもないお嬢さんがきたと戦々恐々としていたのだ。
「ずるい」
「何が?」
 浅い呼吸を繰り返しながら、涙目で訴えるユーディットに、ミュラーはいたずらっぽく笑う。問い返しながらも指は夜着の下をくすぐり、唇は肌を啄み続けた。
「話なんか、出来な…」
 だんだん力が抜けていく手足での弱弱しい抵抗は、効果があるどころか逆効果で、抗えどやんわり制されて薄布ははだけていくばかり。薄闇の新床が甘い吐息ばかりになったころ、ユーディットはようやく、覆いかぶさろうとしていたミュラーを押しとどめることができた。
「待っ…」
 神に祈りを捧げるように、目を閉じ胸の前で手を組んだユーディットに言われるままにミュラーはじっと待った。やっぱり嫌だとか、無理だとか言い出されたら、今日のところはあきらめよう。でもできればそうはならないといいな。なんて思いながら。
 ――すぅ、っ。
 深呼吸を一つして、ぱっと音がしそうな勢いで目をあけたユーディットは両手を広げて、覚悟の表情。
「どうぞ!」
 ――ぷ
 これにはミュラーも笑ってしまい、初めての覚悟を笑われたユーディットは大いにむくれた。蓑虫よろしくタオルケットに籠城したユーディットに詫びて、じゃれ合いながら確実にこれを篭絡せしめ、花屋の友人が懸念していた『事』は無事済んだ。
 ミュラーの寝室との繋ぎの間を挟んで向かいにあるのがユーディットの寝室だというのは察しがついたミュラーだったが、貴族様が夫婦と言えど寝室を別に持つということを知ったのはこの日のことだった。


20160219書下ろし。
全く書き直してしまったので、以前かいたもそのうち手直ししなくては(^-^;)
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