銀河英雄伝説

□鉄壁に遊ぶワルキューレ
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だってお姫様だもの


 銀河帝国末期の、特に門閥貴族側からみた歴史資料として、後年の歴史家が必ずと言って良いほど紐解くのが、ユーディット・フォン・アーベライン伯爵令嬢、後のミュラー元帥夫人の手記である。
 バーミリオン会戦終結辺りから執筆に取り組み始めたこの手記を、ユーディットが完全に書き終えたのは結婚してからのことで、執筆に伴い、夫の意見を取り入れていることが、文章から読み取れる。例えば、手記前半では見られなかった平民主観の様子であるとか、一般士官の暮らしなどが、手記の後半には記されていたりする。
「お邪魔ですか」
 新婚早々ほったらかされている夫は、珈琲を持参して妻の書斎を訪れた。
「ん…。いや。一息入れよう」
 受け皿ごと珈琲カップを受け取って、薫りを堪能する。ミュラーのカップの中身は漆黒だが、ユーディットのカップの中は褐色をしていた。ミルクの甘い香りが漂うカフェオレに、ユーディットは満足そうに口をつけた。
「書類を片付けているときなんか、甘いものが欲しくならないか?」
「わたしは、それほどでも」
「そうか」
 カップを口に運びながら、ユーディットは自分が書いた文面に目を走らせ、そういえば、とカップを置いてミュラーに向き直る。
「ミュラーは、ラインハルト陛下の麾下に入るまでは何をしていたんだ?」
「色々やっていましたよ。後方に居ることもありました。第5次イゼルローン攻防戦の頃は、補給部隊にいましたし」
「補給部隊?」
 ぴくりと眉が跳ねた。
「なにか?」
 穏やかにたずねるミュラーとは対照的に、ユーディットはガチャリと乱暴にカップを机に置いた。
「あの少佐、何と言ったか。忌々しい!」

 第五次イゼルローン攻防戦が行われた、帝国歴485年。ユーディットは大佐として、オーディン周辺の警戒任務についていた。あくまで表向きであって、内実は、暗黙の了解を得て海賊行為に勤しむ貴族の私兵集団やら武装商船を襲って−−取り締まっていたのである。
 「戦狂いのワルキューレ」という異名は、この時ついた。
 ユーディットの取り締まりは苛烈を極め、アーベライン艦隊に目をつけられたが最後、武装商船の乗組員は「この場で死ぬか、縛り首になるか」の二択を迫られた。なんといっても、大貴族の後ろ楯や血縁だけを頼りに非法行為を行っていた連中だ。彼らがこれまで当然のように官権に突きつけてきた、「自分の縁者はとある大貴族に嫁いでいる」といった類いの一文が、ユーディットの前では何ら効力を発し得ないのだから。大抵は逃げる。停船命令、検閲に従わぬならば、撃沈されても文句は言えない。非合法組織を正規の軍隊が正規の法の下に裁きを下しているのだから、表面上は問題ない。
 指揮官がそこらの貴族ならば、大貴族達は身の程を知らぬ生意気な指揮官を不当に処置することもできただろうが、アーベライン伯爵令嬢ユーディットは皇系に連なる。ブラウンシュバイク公爵の遠縁でもあり、誰もユーディットの行為を表立って批難することは出来なかった。それこそ、困ったものだと頭を抱えるか、陰で囁くくらいしか出来ない。
 アーベライン艦隊を恐れて私掠船の数は見る間に減少し、ユーディットは自身の行いの結果暇を持て余すようになる。宇宙に出てきているのは、有閑飛行をするためではないというのに。
 暇になったユーディットが、海賊行為の取り締まりの次に目をつけたのは、軍内部の規律の乱れだった。補給物資などの着服横領が日常化していた軍の実情を憂い、これを正そうとしたのである。
 無論、ヘイゲン始め部下の全員が止めた。しかしユーディットは自分の行いが正義だと信じて疑うこともなかったし、自分の判断に絶対の自信を持っていたから、聞く耳を持たない。
 かくしてユーディットは、オーディンからイゼルローン方面に向かう補給艦隊に停船を命令し、臨検を求めた。
 補給部隊の指揮官は平民出の若い少佐で、友軍主砲の照準に入れられた事に驚愕し、憤慨した。
『停船せよ。然れざれば撃沈す』
「司令官殿…」
「海賊でしょうか」
「わからん。とにかく先方との回線を開け」
 程なくしてメインスクリーンに現れたのは、まだ二十歳にも満たないような女性士官だった。噂のアーベライン艦隊だと、補給艦のクルー達は即座に悟ったが、悟って逆に不安になった。出会った船は全て撃沈する。そんな噂しか耳にしていなかったからだ。
 回線が開かれるなり、少佐は自分の所属を明らかにし、なぜこのような真似をするのか問うた。
 ユーディットは威圧的ではないが十分に高圧的な態度で応じた。
「本来ならばあるまじき行為だが、近年帝国軍内に軍の物資を不当に着服横領し、私腹を肥やす輩がいるという。卿にやましいことがないのなら、臨検に応じ身の潔癖を示すがいい」
 出鱈目な理屈だ。しかし従わねば、返って面倒なことになるだろう。砂色の髪をした少佐は接舷を許可した。艦内にはユーディット以下数名の士官が従った。少佐を多少なりとも安心させたのは、随行した士官達が、ギリギリまで女主人の蛮行を諫めていたことだ。
 リスト通りに物資が管理されていることを確認したユーディットは、何故だか不服そうにリストを少佐に突き返した。
「ご納得頂けましたか」
「ああ。問題ない」
 ご苦労だったと去ろうとするユーディットを、少佐は厳しい声で呼び止めた。
「貴官のご意見はもっともなれど、軍の不正調査は憲兵、内部監査官の成すべき所。あなたの行為こそ越権行為として、綱紀を乱しているとはお考えにならないのか。またこれによって本作戦に乱れが生じ、前線の将兵に害があった場合、貴官はどう責任をとられるおつもりなのか!」
 それは質問というよりは叱責であり、さしものユーディットを怯ませた。なによりそれは正論で、返す言葉がないことを理解していた。羞恥に頬が赤く染まる。怒鳴り返そうと口を開きはしたものの、ぐぐっとそれを飲み込んで、ユーディットは自身の非を認めた。最終的に彼女は、航行の無事を祈ると敬礼して自分の艦に戻ったのである。
 ユーディットの人生に置いて、語気強く叱責されたのは、これが最初で最後であった。

「平民出の少佐風情がこの私に意見したんだぞ!? くそっ、今思い出しても腹のたつ!」
 一通り話終えて、ユーディットは冷めたカフェオレの残りを一気に飲み干した。
「あの時の少佐は何と言ったか…。まぁ、いい。今頃生きてはいないだろうからな」
 これまで、苦笑いで聞いていたミュラーが、唐突にむせた。
「どうした」
「い、いえ…」
 僅かに汗ばむ顔を撫でて、少佐だったこともある元帥は曖昧に答えた。
 再びユーディットが執筆を始めた為、ミュラーは妻の書斎を後にしたのだが、立ち去り際、その背中に嘆息した。まさか、覚えていないとは思わなかった。と。

続・だってお姫様だもの
20110929
昨夜DVDを見終わりました。あと2〜3、ユーディットのエピソードを挟む余地がありそうな予感!

この小噺は、わたしが一人で妄想した、乙女チックななれ初めを披露した結果、ダメだしされて、編集(夫)と共に再構築したものでございます(笑)
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