銀河英雄伝説

□ワルキューレは勇者を愛する
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 帝国暦488年に起きた、リップシュタット戦役に、女性将校が参加していたことを知るものは少ない。
 戦略的にはまったく意味のない戦歴しかなく、参戦して早々に戦列を離れてしまっていたためだ。
 オトフリート5世の妹ツェツィーリアの子、ユーディット・フォン・アーべライン。リップシュタット戦役参加時の階級は中将。年齢はラインハルトより1歳年長の22歳であった。



 大変な人嫌いであったという皇女ツェツィーリアは、皇宮警備をしていたアーべラインという若い将校と恋に落ち、一人の娘を産んだ。
 将校がブラウンシュヴァイク一門であったこと、生まれたのが女の子であったことなどから、特に問題視されることもなく、既に高齢であったフリードリヒ4世の従妹として、アーベライン伯爵令嬢ユーディットは生を受けた。
 ブラウンシュヴァイク一門とは言っても領地もなかったアーベライン家が伯爵となったのは、ツェツィーリアとの結婚後である。ツェツィーリアは結婚を機に帝位継承権を返上。娘であるユーディットもまた、帝位継承権を持たない。

 皇系の姫という環境がそうさせたのか、もともとそういう性質であったのか、ユーディットは大変おてんばで、自由奔放な少女であったらしい。
 10歳になる頃には、社交界に勇名と汚名とを盛大に轟かせていた。

 ユーディットが4〜5歳の頃、あのオフレッサー上級大将に遭遇し、泣くどころか熊が出たとおもちゃの剣を振り回して追い回したことがある。
 さすがのオフレッサーも、幼女、それも皇帝の従妹を乱暴に扱うわけにもいかず、叩かれるに任せた。人間アスレチックよろしくよじ登られ、ひげを引っ張られても笑うしかない。
 この熊が気に入ったのか、わざわざオフレッサーを探しては追いかけまわすユーディットの姿が、新無憂宮周辺で見掛けられた。
 何度か遭遇するうちに、ユーディットは彼を熊ではなく人間と認め、何かの体育的な祭典で当然のごとくに賞を受賞するオフレッサーに瞳を輝かせて賛辞を送った。
 幼い少女に、それも高貴な血筋の姫に、手放しで「すごい! すごいぞオフレッサー!」と誉められるのだ。オフレッサーとしても悪い気はしなかったようである。
 自身が馬に乗れるようになると、ユーディットはオフレッサーに一番に見せに来た。何が気に入ったのか、オフレッサーには大層なついていたようだ。

 また、こんな逸話もある。

 10歳ごろ、たまたまパーティで同席したフレーゲル男爵が、自分より小さく、か弱そうなユーディットを発見し、からかってやろうとユーディットの髪を引っ張った。か弱そうに見えたのはフレーゲル少年の全くの見立て違いで、泣き出す所か、ユーディットはこの無礼なキノコ頭の少年を、オフレッサー仕込みのグーで殴り飛ばした。
 当然彼は年下の女の子に泣かされたと親に泣きついたが、泣きつかれた親は相手が相手なだけに文句も言えず、まして嫡男が小さな女の子に泣かされた事を恥ずかしいと思う気持ちはあったようで、逆にフレーゲル少年を叱った。
 以来フレーゲルは、ユーディットを凶暴女と陰口をたたきながらも避けるようになる。
 立派な淑女となった16歳の頃にも、友人の一人がフレーゲル男爵の取り巻きの一人に無礼を働かれたとして、公衆の面前でその貴族の青年を殴っている。
 抗議しに来たフレーゲルも再び鼻を折られた。
 伯父ブラウンシュヴァイク公の名を出したフレーゲルを、ユーディットは軽蔑の眼差しで見下ろし言ったという。
「伯父の名を借りねば女一人口説くこともできんのか。このカスめ。お前のような子を持ったことを父母も大層嘆かれているだろう。生まれてきたことを祖先の霊にわびろ」
 文字通り、二度も鼻っ柱を折られたフレーゲルは、これ以降本格的にユーディットを避けるようになった。

 母親は大変な人嫌いであったが、ユーディット自身は興味があればどこにでも行った。母の名代として、たいていのパーティには出席したし、気が合う相手ならばどんな身分の人間であろうと交友関係を持った。
 来るもの拒まず、去るもの追わず。生涯そのスタンスは変わらなかった。ゴールデンバウムが倒れ、時代が移り変わっても、ユーディットが結婚した後も、彼女のまわりは賑やかであった。
 特に、同世代の少女たちからは絶対の人気があった。
 なんといっても、ユーディットといればあの嫌なフレーゲルたちが避けて通るのだから。

 少々おてんばで破天荒なところがある。しかし容姿は愛くるしく、(気に入らない相手でなければ)明るくおしゃべりをする彼女だ。生まれも申し分ない。16歳の頃には、当然のように縁談の話が持ち上がった。
 貴族の令嬢の例に漏れず、粛々と親の言うことを聞くかと思われたユーディットだが、意に沿わぬ結婚などしないとこれを突っぱねた。そして軍人になると言い出したのだ。
 一人前に稼いでくれば、親の指図で結婚する必要もないだろう。軍人になって無法者を成敗してやる。それならば、金も稼げて一挙何得にもなるではないかという短慮だった。
 当然、周りの大人たちは止めた。しかしユーディットは聞く耳を持たず、皇帝に直談判しに行くとまで言い始めた。言いだしたら聞かない娘であることは父親もよくわかっている。いくら従兄妹だからといっても、皇帝に直訴など、許されることではない。親にも立場というものがある。
 仕方なしにアーべライン伯は、方々に頼み込んで愛娘を軍籍につける。装甲擲弾兵総監オフレッサー上級大将の口利きもあり、ユーディットの軍籍は存外簡単に手に入った。
 問題だったのは配属先で、女である以上下手な場所には置けない。といって広報勤務ではユーディット本人が納得せぬであろう。更には皇系にある者を、臣下である貴族将校の下には付けられない。
 かくしてユーディットは、皇系に連なる貴族である近衛兵総監副参謀長官レンスファーベン大将付軍属として、少尉待遇で任官する。そこで軍人のなんたるかを学ぶことになった。
 レンスファーベンの元で2年学び、少佐となったユーディットは、アーベライン家付の武官二名と共に、近衛兵師団付機動遊撃連隊に配属された。そしてヴァルハラ星系周辺の哨戒任務に従事することになる。
 形だけ軍人ごっこをさせてやれば満足するだろうと思われたじゃじゃ馬姫は、なんと次々と功績を立て、破竹の勢いで昇進した。
 女子供の遊びだとの謗りを受けていたユーディットだが、お遊びで軍籍にいたのはそれを言った他の門閥貴族たちの方だったろう。ユーディットの異例の出世は、勿論出事が関係している。しかしそれだけでは、いくらなんでも士官学校も出ていない小娘が、わずか6年で中将になどなれる訳がない。
 軍籍に身をおいてから6年。ユーディットはその殆どを戦艦の中で過ごした。同盟との最前線にこそ出てこなかったが、辺境の警備ではかなりの戦功を立てている。経験した戦場は規模こそ小さいが100を数えた。所属を問わずに獲物を求め宇宙をさ迷い、捕らえた獲物は必ずヴァルハラに叩き込む。いつしかユーディットは、畏怖を込めて囁かれるようになる。
「戦狂いのワルキューレ」と。

 そして二十歳の誕生日。ユーディットは中将に昇進し、機動遊撃連隊の指揮官に任命される。指揮する艦艇は2000隻。名実ともにアーベライン艦隊の誕生である。

 それから二年後の488年に、リップシュタット戦役を迎える。

 皇帝フリードリヒ4世崩御の報を、ユーディットは旗艦アダユンクの中で聞いた。
 皇位継承者は皇孫の三人。しかしそのどれもが、皇帝に相応しい人物だとは思えなかった。最年長であるブラウンシュヴァイク公の娘ですら15〜16の小娘だ。若すぎる。若くとも、才があればそれなりの顔付をしているものだが、三人が三人とも凡庸な顔をしていた。摂政がつく。傀儡政治だ。
 皇帝などお飾りで、実際に帝国を切り盛りしているのが文官連中だというのは周知の事実だが、その官僚を決めるのは皇帝であり、摂政である。
 リヒテンラーデならばまだましだろう。実績もある。しかし如何せんあの老人には将来がない。
 ブラウンシュヴァイク、リッテンハイムのどちらの娘が皇帝になっても、この巨大な銀河帝国が一貴族の私物と化すのは明らかだった。
 ゴールデンバウムも終わりだ。艦橋からスクリーンに写し出される帝都オーディンを見下ろしながら、ユーディットはそう胸中に呟いた。

 リヒテンラーデ公がエルウィン・ヨーゼフを擁立したことは道理として認めながらも、ユーディットは貴族側に合流する。率いていた2000の正規艦隊にはオーディンへの帰還を命じた。私闘であるから。そう言って、アーベライン家付の10艦だけを率いて艦列を離れた。
 門閥貴族側に付いたのは、父親がブラウンシュヴァイク一門だから、自分の生まれが貴族だから、というのもあるだろう。が、一番の理由は単純にラインハルト・フォン・ローエングラムという若者の下に付くことをよしとしなかったからだ。
 スカートの中の元帥閣下。その噂を全面的に信じていたわけではない。が、ラインハルトの下に付くことは、これまでの自分を全否定することになる。
 これまで好き勝手にやってきた自分が、銀河帝国軍にとって、異端であることは理解していた。異端であれ存在し得たのは、皇系であるという一事に尽きることも。

 戦役自体は「くだらない」と一蹴しつつも、その下らないことに付き合うつもりでいたらしい。それを証拠に戦役開始当初は、数少ない前線指揮官としての役割を自らに課したようだ。積極的に献策している。しかし、ガイエスブルグ要塞に立て籠ってからは、発言していない。
 勝つつもりのない連中に付き合う程に悪趣味ではなかったし、付き合わせてきた部下達に対する義務がある。ユーディットが貴族連合に見切りをつけたのは、この頃辺りだろうと思われる。
 ガイエスブルグ要塞離脱を決意させるのに決定的だったのは、幼少より親しかったオフレッサー上級大将の死があったからだろう。親しい者の死で、初めて戦のなんたるかに気付いたのだと、後にユーディットは手記に記している。
 門閥貴族に対しては、諦めと怒りだけがあった。オフレッサーを殺したのが、貴族達の猜疑心だったからだ。同盟に参加した。勝つための献策も行った。それでもう、これまで自分を生かしてきた環境への義理は、果たした筈だった。

 貴族としては誰の下にも自らをおくことはしなかったユーディットだったが、軍人としてはメルカッツ上級大将に従っている。個人的にも、この初老の提督を尊敬していたらしい。
 要塞を後にするときも、事前に艦隊総司令のメルカッツ上級大将に面会している。
 ユーディットはメルカッツに、アーベライン艦隊は別行動を取り、戦略的にもまったく何の価値もない惑星の警戒任務にあたることを告げた。
 この意味を理解しなかった訳ではないだろう。しかしメルカッツは、ユーディットのこの進言に頷いた。ユーディットとしては、メルカッツにせよ、ファーレンハイトにせよ、無能な門閥貴族どもと運命を共にするには惜しいと考えていた。しかし、他人の生き方に口を挟む権利がないということも理解していた。だから口にしたのは別のことだった。
「閣下。もし、ご家族のことでこの戦いに参加されているのであれば、わたくしがお力になります」
 しかしメルカッツは、周知の通り、これに対して首を縦に振ることはなかったのである。

 アーベライン艦隊離脱の報を受けた盟主ブラウンシュヴァイク公は怒りを顕にしたが、高々10隻のアーベライン艦隊など問題になる数ではない。所詮は女子供のお遊びだったのだと溜飲を下げた。目障りな前皇帝の従妹がいなくなることを、内心歓迎していたのかもしれない。

 実はここでも、ユーディットとフレーゲル男爵はひと悶着起こしている。
 要塞を離れるユーディットに向けて、フレーゲルは「臆病者」だの「恥知らず」だのと散々口汚く罵ってきた。
 ユーディットは全く取り合わず、憐れなものを見るように薄く笑った。
「戦争ごっこがやりたいのは卿のほうだろう。死にたいのなら勝手に一人で死ね」
 二の句を接げずに口を開閉させるフレーゲルが、ユーディットの言葉通りに戦争ごっこの果てに死ぬのは、この一月後のことである。
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