銀河英雄伝説

□鉄壁に遊ぶワルキューレ
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 結婚の報告を方々に入れ、式場やら二次会場の場所と日取りを決め、入れ物が決まればそこをどう飾り運用するかという話しになる。
 公務で忙しい新郎に変わって、式場関係の打合せの殆ど全て同席することになったのはユーディットで、彼女の人生史上最も勤勉だったのはこの頃かもしれない。
「ブーケはいかがなさいますの?」
 お茶の時間も息をつけない。
 不機嫌、というよりは疲れた表情で、ユーディットは友人でもある花屋の女若主人を見た。
「まかせる」
「せめて色だけでも決めてくださらないと」
「花は花だろう。どうでもいい」
「まあ!」
 生花の製造、流通、デザイン、販売を一手に引き受ける大商人は、ユーディットのやる気のない返答に眉を吊り上げた。彼女にとって花嫁の持つブーケとは、女性の一生涯のうち一番美しく感動的な花束でなければならない。それをどうでもいいとは何事か。
 くどくどと説教されて、ユーディットは彼女らしくもなく肩をすくめた。なかばティーカップに顔を隠しながら、ドレスが何色で、会場の飾りがどんな風なのかを問われるままに答えていった。
 あらかた聞きたい情報を引き出したのか、花屋の女主人は満足そうに、メモでびっしりのノートを閉じた。
「お疲れですわね」
 組んだ手の上に顎を乗せ、にっと笑う。
「さっさとお嫁にいかなかったツケだとお思いなさい」
 そこまで嫁き遅れたつもりはないのだが、二十歳になるやならずやで嫁いでいった友人たちに比べれば、ユーディットは嫁き遅れなのだろう。
「正直、こんなに大変だとは思わなかった」
「お相手がお相手ですものね」
 確かに、ユーディットの結婚相手が落ち目の旧帝国貴族だったなら、もう少し楽だったかもしれない。少なくとも、「二人の結婚式」だという意識は今よりあったのではないだろうか。婚約したというのに、ミュラーと最後に二人きりで食事をしたのは一ヶ月半も前のことだ。
 二人であーだこーだと相談しながらだったら、きっと結婚式の準備はもう少し楽しかったに違いない。
「嫌になったのではなくて?」
 不満が顔に出ていたのだろう。悪戯っぽさを装いながら、優しく気遣う友人に、ユーディットは「それはない」と首をふった。
「そう? そうね。あの方を逃したら、貴女、きっと一生独身だものね。あら、この林檎タルト美味しい。もうひとつ頂こうかしら」
 さらりと酷いことを言われたような気がするが、指摘する前にウェイトレスが呼ばれてデザートの追加が皿に取り分けられる。新しいタルトにうきうきとフォークを差し入れて、友人はちらりと意味ありげな視線をくれた。
「それで、あちらの方は大丈夫だったの?」
「あちら?」
 意味がわからずおうむ返しに問うユーディットに、友人はまったくもうと息をつく。
「夜の方よ! 忙しいからといって手を抜いては駄目よ?」
 勿論相手に手抜きをさせてもいけない。こういったことは女が目を光らせていないと、男はすぐに浮わついた気持ちになるものなのだから。と、実感たっぷりに講釈を垂れる。
 彼女の夫はどうか知らないが、ミュラーに限って浮気などするわけがない。そう、婚約者を弁護するべきだったのだろう。しかし、おかしな方向に流れた会話に面食らってしまい、そんな余裕はない。
「そ、そんなことっ」
 真っ赤になってしまったユーディットに、友人はますます眉間にシワを寄せた。
「まさか、…まだ、なの?」
「う、や、だって…。そんなものは、夫婦になってからするものだろう」
「呆れた!」
 心底呆れたと言わんばかりに、友人はテーブルを叩いた。
「馬鹿ね。いざ結婚して、相性が合わないなんてことになったらどうするの? そんなものはね、結婚どうこうの前に済ませておくものよ!?」
 世間一般の常識がユーディットに通用しないことは知っていたが、まさか婚約者のミュラー元帥が彼女の非常識振りにこうまで付き合ってやっているとは思わなかった。
 二人のことは何年も前から噂になっていた。結婚すると聞いたときは、ようやく収まるべき所に収まったかと呆れ半分安堵したものだ。
「まったく…」
 よくこれまで手を出さずにいたものだと、ナイトハルト・ミュラーという人が憐れに思えてくる。と同時に、どれ程ユーディットが大切にされているのかがわかった。友人としてはありがたく、同性としては羨ましくもある。少し意地悪をしたくて、さも問題だと言いたげに、友人は声を低めた。
「随分我慢させているわよ?」
「そ、そういうものか?」
 重々しく頷いた友人が、鬼の首をとったがごとくまた話始めたのを聞くうちに、ユーディットは頭を抱えたくなった。もし、本当に友人の言う通りだとしたら、物凄く酷いことをしていたということになる。といってどうしていいのか解らない。知識として知っているのと、理解しているのとはまったく別の話だ。どう切り出すのか? そこに考えが及んだとき、ユーディットの頭は真っ白になった。



 ナイトハルト・ミュラー元帥は、二ヶ月ぶりに直接顔を会わせた婚約者が、随分緊張している様子に内心首をかしげた。
「お変わりありませんか」
「うん。お前の方はどうだ?」
「変わりありません」
「そうか…」
 ウィジフォンで話したのだって二週間は前だというのに、抱きあって愛を囁き交わすより、いっそよそよそしいまでの挨拶から、二人の対話は始まる。テーブルを挟んで料理を口に運びながら、話題は専らミュラーを取り巻く環境、則ち軍や帝国のおかれた情勢についてだ。常ならば、ユーディットはそんな話を好んだ。自分が伝えねばならないことはそっちのけで、色気のない話で討議を重ね、時を終わらせることのなんと多かったことか。そんなユーディットをミュラーは好ましく感じていたし、それが自分達らしいと思っていた。それが今日は、話に乗ってこないばかりか、聞いているのかいないのか、心ここにあらずといった風情だ。料理にもあまり手をつけない。
 殆ど手つかずの料理の皿を給仕下男が片づけ、食後の珈琲が運ばれてくる。召使たちも女主人のいつもとは違う様子に心配そうな視線をミュラーによこした。とはいえミュラーにも心当たりがあるわけではない。
「ユーディット…?」
 控えめにかけた声に、ユーディットは声をかけたミュラーが驚くほどびくりと体を震わせた。
「え? あ…、ああ。なんだ?」
「…お体の具合でも悪いのですか?」
 ちらりとミュラーを見ただけで、すぐにユーディットは視線を反らした。「そんなことはない」と無理やりに微笑んだ唇も、すぐに固く引き結ばれてしまった。
(怯えている? 何に? 俺に?)
 熱い珈琲に砂糖を落としてかき混ぜるユーディットのスプーンの動きがせわしない。落ち着かなげに、早くこの場を離れたいと言っているように見える。
(何かしただろうか? そんなわけない)
 2か月前はいつも通り、高貴で尊大で高慢で
かわいらしい『俺の』ユーディットだったのだ。会わないでいた期間に彼女の気持ちを変えるような何かがあったのだろうか? ほかに好きな男ができたとか? 
「っ!」
 考えたくもない想像に、ミュラーは我知らず拳を握りしめた。二人で食事を楽しむには無駄に広いテーブルが恨めしい。彼女を抱きしめることは疎か、手を取ることさえできないほどに遠い。
 気持ちが体に現れて、ミュラーは椅子から体を浮かせていた。きちんと椅子を引かずに立ち上がろうとしたから、体がテーブルにぶつかってカップが揺れた。波立った珈琲がこぼれて、テーブルクロスにしみを広げる。
「! 失礼しました!」
 失態に慌てるミュラーに問題ないと頷いて、ユーディットはベルを鳴らした。給仕に片付けを命じて、自身も席を立つ。恥ずかしいやら情けないやら、面目なく立ち尽くすミュラーにくすりとこの日初めて笑みを見せて
「どうも今日はお互い調子が悪い。もう休むよ」と言った。
 笑顔は笑顔だったのだが、ぎこちないその表情は、ミュラーの気持ちを健やかにするものとは程遠いものだった。



20111129初稿 20160219書き直し
続く
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