銀河英雄伝説

□鉄壁に遊ぶワルキューレ
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拍手おまけでした
続・雨の冷たさも感じない

 新造戦艦パーツィバルの慣熟航行から、ミュラー艦隊が帝都オーディンに戻ったのが4日前。本来ならとっくに休暇に入っていたはずなのに、休暇が予定より2日遅れた理由を、前髪から雨水を滴らせながらユーディットは問うた。
「新兵の訓練も兼ねていましたから」
 戦闘になる度に万単位で人が死ぬのだ。戦争に次ぐ戦争で、人も物資も補充は充分とは言えない。特に人は、一人前の兵士に育てるまでに時間がかかる。
 恐らくは並々ならぬ苦労があったのだろう。ミュラーの童顔がふいに年相応かそれ以上に老け込んだように見えて、ユーディットは少し気の毒に感じた。
「っ?」
 恐らく無意識だろう。何か考え込む風のユーディットが、ミュラーの肘の辺りに触れた。濡れたシャツは乾いているときより余程敏感に感触を地肌に伝えるようで、ユーディットの掌の感触が生々しく感じられる。
 童貞の学生じゃあるまいし、何をこのくらいで狼狽しているのだと、ミュラーの冷静な部分が叱責している。それでも本音の部分が可愛らしくも正直に、アドレナリンを放出させて、帝国軍屈指の将軍の心拍を上げている。
「ミュラー?」
「はっ、はい? なんでしょう。フロイライン」
 不審そうにこちらを見上げるユーディットに、ぎこちないながら笑みを向ける。
「熱でもあるのか?」
「いえ、そういうわけでは…」
 あなたが触れたからです、なんてとてもではないが言えない。
「遠征で疲れているのだろう?」
「えっ?」
 ぐいっと腕が引っ張られて、ユーディットの手がミュラーの額に伸びる。ひんやりとした細い手が触れた瞬間、ミュラーは真っ赤になった。
「熱はないようだが、顔が赤いな。大丈夫か? 無理をするな」
 冷たい手でミュラーの頬を挟み、真剣な眼差しを向けるユーディットに、ミュラーはふっと優しく微笑んだ。
 本気で心配してくれているのは分かる。ただ、その心配が明後日の方を向いているだけだ。
「フロイラインこそ、お体が冷えているではありませんか」
「え?」
「わたしは大丈夫です。フロイラインのお手が冷たいから、わたしに熱があるなどと思われたのでしょう」
 ミュラーの目配せで、タイミングを測っていた老女がタオルをミュラーに手渡し、もうひとつのタオルでユーディットの体を包んだ。そのままユーディットの体を擦りながら、「お召し代えを」と二階の部屋へと連れていく。
 階段の途中で、ユーディットがミュラーを振り返った。気遣わしげなその表情に、ミュラーは大丈夫だと笑みを返す。安心した様に微笑んだユーディットが着替えの為に引っ込むと、ミュラーは改めて自分の現状を確かめた。
 軍服はユーディットが持っていってしまったので、肌も透けそうな濡れたワイシャツ一枚。足元は水溜まり。
 借りたタオルで髪を拭きながら、数分前の出来事を思いだし、ミュラーはタオルの中で赤面した。
(何をやっているのだ。俺は)
 ユーディットに熱を測られた時。そのまま抱き締めてキスしそうになった。側には顔馴染みの元大佐や、その妻がいたというのに。
「閣下、お召し代えなさいますか」
「いや、すぐ乾くだろう」
 軍服は速乾性に優れているし、シャツなどは下手に干すより着ていた方が早く乾くものだ。ただ、靴だけはそうもいかないので、大人しくスリッパを借りた。
「急に訪ねて申し訳ない」
 部屋へ案内される道すがら、そう頭を下げるミュラーにフランツは
「姫様の機嫌が直るなら何よりです」
 と、疲れた顔で笑った。
「…っ」
 老執事の台詞に、思わず口許が緩む。慌ててミュラーは口許を隠したが、老執事は気付いていただろう。
「コーヒーをお持ちします」
「ああ」
 一礼して部屋を辞したフランツは、退出間際に空調の設定温度を上げようとし、チラと上級大将を見てやめた。
 あの様子なら本当にすぐ服は乾くだろうし、このあとすぐにお嬢様が降りてこられれば、尚更温度をあげる必要はなくなるだろうから。

20120913
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