銀河英雄伝説

□鉄壁に遊ぶワルキューレ
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おかあさま3


『物好きだこと』
 これが、懐妊を告げたときの、ツェツィーリア元皇女の言葉だった。
 歳をとっても尚、氷の彫像の様だと評された美貌の義母のこの一言に、銀河帝国宇宙艦隊司令長官ナイトハルト・ミュラー元帥は言葉を失った。
 義母は、やはりユーディットと自分の結婚を好ましく思ってはいなかったのだ。
 そう思うと、大きな氷の塊を飲み込んだような不快感が胸を満たす。
 ツェツィーリアは、「ゴールデンバウム王朝最後の尊厳」と言われるほど気位の高い女性だ。彼女は貴族ではなく、あくまで皇女であり続けた。そんな彼女にしてみたら、自分の娘が「なにを好き好んで平民風情」の子供を生もうと言うのかと、許せない思いでいるのだろう。
 何か言おうと口を開いて、言うべき言葉が見付からずに口を閉じる。なんとも言えない焦燥感に、ミュラーが右手で前髪をかきあげた時、左手にそっと冷たい手が添えられた。
 恒星間超高速光通信機のカメラの前に椅子は一脚しかないので、そこにはユーディットを座らせていた。ミュラーはその背後に立って、妻を抱き締めるように椅子の背もたれに手を掛け通信をしていたのだが、喜ばしい報告に、このまさかの反応だ。どうやら背もたれを掴む手に必要以上の力が入っていたらしい。苦笑して、大丈夫だとユーディットに頷いて見せる。けれどその笑みも、どうしても強ばったぎこちないものにならざるを得なかった。
 スクリーンの中で固まる婿には興味もないとばかりに、ツェツィーリアはさっさとカメラの前から居なくなってしまったようで、ミュラーがどうにか表情筋を動かして、スクリーンに目を向けた時には、そこには格式高そうな椅子があるばかりだった。
「……はっ」
 自嘲しか出てこない。
 自制心を総動員して短く息を吐くに留めたが、二の句が次げずにミュラーはもう一度前髪をかきあげた。
「ミュラー」
 ユーディットが声を掛けたのと同じタイミングで、スクリーンに体格の良い初老の紳士が現れた。ユーディットの父、アーベライン伯爵である。
『母様に聞いたよ。おめでとう』
「ありがとう、ございます」
 今更どんな顔をすればいいのか。冴えない表情のミュラーに、アーベラインは困惑ぎみに微笑んだ。
『ミュラー元帥。いや、ナイトハルト君。妻の事だがね、あれでも喜んでいるのだよ。あれはとても解りづらい性格をしているから誤解もあろうが』
 解りづらいにも程がないだろうか。はあ、と生返事をするミュラーに、アーベライン伯爵は如何にも寛容という風の、穏やかな目を細めた。
『ユーディットは大層な難産でね。お母様は妊娠中から随分大変な思いをしたんだよ』
 そもそもが若気の至りの、勢いと間違いの末の妊娠だ。当時のツェツィーリアはまだまだ精神的に少女であった。そんな彼女が、悪阻と妊娠中毒症に苦しめられたのだから、妊娠にいい思いはなかっただろう。挙げ句、王朝の仕来たりだかなんだか知らないが、自然分娩を強要されたツェツィーリアはユーディット共々生死の境をさ迷った。無事に生まれたのだからいいじゃないかというのは男の勝手な言い分で、ツェツィーリアはもう二度と子供は生まないと、結婚したばかりのアーベライン伯爵を寝室から締め出したそうだ。
 この時、父親の口から語られたのは、兎に角難産で「二度と子供は生まない」と宣言した行(くだり)までだが、ツェツィーリアの心意を伺い知ることは出来た。
『ユーディット、体を大切にしなさい。ナイトハルト君。改めてお願いしたい。娘を、ユーディットを、頼みます』
 スクリーンの中で頭を下げる父親に、ミュラー夫妻は互いに顔を見合わせた。そして
「はい。お父様」
 異口同音に頷いた。


 この後同様に、ミュラーの実家にも懐妊の報告を入れ――こちらは田舎の一般家庭だから恒星間超高速光回線なんか引いていない。通話というより、録画を送り付けるようなものだ――、二人は通話室を後にした。
 懐妊が発覚してからというもの、ミュラーはどこにいくにもユーディットの手を引いた。お腹が目立って来てからは、特に過保護だ。
「心配しすぎだ」
 とユーディットは笑うが、ユーディットの為人を知るが故に心配でたまらない。ドレスの裾を踏まないか、飛んだり跳ねたりするのではないかと、気が気ではないのだ。
「いっそ替わりたいくらいです」
 お腹の大きなミュラーの姿を想像したらしい。ユーディットは気持ちが悪いと顔をしかめた。
「気分が?」
「お前が変なことをいうからだ。…でも、そうだな」
 に、と意味ありげな視線をくれる。
「酷い悪阻にでもなった時は代わってもらおう」
 悪戯っぽく微笑むユーディットは、今のところそれらしい悪阻もなく健やかに毎日を過ごしている。手足の先が冷えると文句はいうが、それを口実にミュラーに甘えているようにも見える。
 顔に延びてきた冷たい手に口付けて、ミュラーは「Ja,Frau」とあながち冗談でもなさそうに頷いたのだが、結局その必要もないままに、ユーディットは新帝国歴5年12月、長女アーデライト・ミュラーを出産する。
 この後ミュラー家には、長男アルフォンス、二女クリスティーネが生まれるのだが、その報告にツェツィーリアは心から、冒頭の一句を呟くのだった。



20130131
前々からエピソードとしては作ってあったのですが、書く予定はなかった。
書いちゃいました(笑)

多分、ユーディットさんは懐妊を親に報告するつもりはなかったんです。お母様がドライな究極の貴族主義者だから、そういう我々が抱く一般的な概念からは掛け離れた人なんですよ。でもミュラーさんは一般家庭の生まれですから、親に報告する。当然ユーディットの実家にも報告する。びっくりする。
ついでにイチャコラすればいいじゃない。
DQと違ってスラスラ書けちゃうのは何故だろう(笑)
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