銀河英雄伝説

□鉄壁に遊ぶワルキューレ
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違うよ?


 ウルヴァシーでの怪我を理由に残留を命じられたナイトハルト・ミュラーは、通常業務をこなしながら、やはり物足りなさを感じていた。

(陛下もミッターマイヤー元帥も…)

 心配のし過ぎだと思う。背中の火傷には保護パッドが入っているから、多少不格好ではあるものの痛みもないし、腕の銃創はブラスターこそ握れないまでも艦隊指揮を採るのにはなんの支障もない。
 にもかかわらず、部下たちまでもが療養に専念すべきと、定刻退勤・週末休暇を強制してくる。
 ありがたい話、なのだろう。心配されているのだ。わかるのだが、物足りないというか、疎外感を覚えるというか、要するに暇なのだ。
 一人自宅にいるとやることも特になく、医師には控えるように言われている酒を持ち出してしまう。飲まずにいられない、というのが正直な所だ。
 琥珀色に染まったグラスを透かして思い起こすのは、ヴァーラト星系へと向かうミッターマイヤーの言葉だ。表向きは怪我をしているからとおいていかれたが、「卿まで陛下の側を離れて誰が陛下をお守りするのだ。俺が負けたら卿がロイエンタールと戦うのだぞ」と言外に言われた気がする。
 まさかミッターマイヤー元帥は、ロイエンタール元帥に勝ちを譲るつもりなのではあるまいか?

(…まさかな)

 不吉で無礼な想像だ。胸に沸き起こった嫌な想像を、ブランデーで飲み下す。この日開けたばかりのボトルの中身を、グラスに空けきってしまおうと瓶を傾けた時だ。リンゴンと重厚な音を立てて訪問を告げるベルが鳴った。

(面倒だな)

 酔っているからだろう。ソファから立ち上がるのも面倒くさい。軍の官舎として接収されたこのホテルには一般人が出入りすることはないし、休みのミュラー個人を訪ねてくる者と言えば限られている。
 インターホンの画面を確認せずにいる間に、立て続けにベルが鳴った。どうせドレウェンツだろうだろうと重い腰を上げる。連絡もよこさずにいきなり訪ねてくるとは彼らしくない。これで大した用でもなかったら怒鳴ってやる、などと思いながらインターホンの応答ボタンを押すと、小さな画面には見慣れた女性の姿が映っていた。カメラが動いたことに気づいたのだろう、勝気な瞳がこちらをにらむ。

『遅い!』
「今開けます」

苦笑しかない。
 病院で出会った時に襲撃の可能性に思い至らなかったのは迂闊だった。警備がいたはずだが、建物の入り口で止められなかったのだろうか。どういいくるめてこの部屋のあるフロアまでやってきたのか。

(髭も剃っていないな…)

 ざらつく顎に触れ、自嘲する。惑星を違えて、しばらくあっていなかったから油断していた。以前ならば休みの日こそ朝から入念に身支度していたものだが。今日の自分は、いくらなんでもだらけすぎだ。
 いささか乱暴に、居間の扉が開く。部屋に漂う酒の臭いにユーディットは渋面になり、ミュラーの脇をすり抜けて窓を開けに行った。

「思った通りだ…」

 テーブルに置かれた酒瓶と髭面のミュラーに、やれやれと溜め息をはくユーディットから逃げるように、ミュラーは顔を洗ってきますと居間を出た。背後でガチャガチャ食器の鳴る音がし始めたので、こっそり振り返ると、テーブルの酒をユーディットがキッチンに移動させていた。
 一人で来たのか? 男の一人暮らしの部屋へ?
 そういう人物だとわかっている。わかってはいるが時折どきりとするのだ。
 自分と彼女は他人からどんな関係に映るだろう。自分は彼女との関係を問われて、何と答えるべきなのだろう。
 恋人? まさか。
 友人だろうか? 旧帝国のやんごとなき姫君を、庶民出の成り上がり軍人である自分が友人だといっていいものか。というのは建前で、ただの友人だと自分の口からは言いたくないのが正直な気持ちである。
 唸っているうちにバスルームについてしまい、結局自分の中の回答を保留にしたままミュラーは冷たいシャワーを浴びて酔いを冷まし、髭をあたり、手早く身支度を整えた。
 再び居間へと顔を覗かせた時には、居間にユーディットの姿はなく、テラスの大窓が一杯に開け放たれていた。

「フロイライン・アーベライン?」

 案の定テラスにユーディットがいた。声をかけようとして止めたのは、秋の日差しを照り返す、彼女の金色の髪が眩しかったからか、気持ち良さそうに風を受ける横顔を、いつまでも見ていたいと思ったからなのか。
窓辺に立ち尽くすミュラーを、ユーディットが振り返る。その表情に、年甲斐もなく胸が騒ぐ。

「どうした?」

 屈託のない笑みに、ミュラーも笑顔で返した。なんでもないと首を振り、ユーディットの隣まで進み出る。
  隣にやって来たミュラーを、ユーディットはしばし無言で見つめると、やがて満足したように空を見上げた。くんっと、ミュラーのシャツの袖が引っ張られる。

「気持ちのいい天気だろう?」
「そうですね」

 言われてみれば、と伸びをする。まだ袖をつかんでいたユーディットが、吊られて片腕をあげることになり、もうっ!とミュラーの背中を叩いた。くつくつと笑う背中をもう少し強めに叩いてみるが、何がそんなに楽しいのか、なかなか笑いやまない。しまいには声を上げて笑い始めたので、ユーディットもあきれてしまった。

「ああ」

 笑い疲れて涙がにじむ。こんどは大きく伸びをして、ミュラーは今更なことを呟いた。

「フェザーンの空は、こんな色をしていたのか…」

 フェザーンに赴任して数ヵ月が経つのに、空を見上げている余裕も無かったのだなと、己の狭量さが恥ずかしい。

「星空も、オーディンとはずいぶん違うぞ」

 オーディンとフェザーンでは何万光年離れていますからね、とミュラーが言おうとするのより早く爆弾が投下された。

「わたしが説明してやろう」
「えっ!?」
「なんだ。わたしの説明では不服だと?」
「い、いえ。そういうことでは…」

 星は夜にならなければ見えない。夜だ。
 ユーディットは、何時までいるつもりなのだろう。朝まで?
 ミュラーとて綿やおが屑の詰まった人形ではないので、色々良からぬことも考える。好きな女と夜中二人、相手にその気があるならいつでも押し倒すくらいする。責任だって喜んでとろう。
 袖をつかんでいた手は、今では背中をつかんでいる。こちらから彼女の背中に腕を回したら、彼女は怒るか驚くかして間違いなく逃げるだろう。だからミュラーは何を言うでもなくそのままにさせておいた。
 例え夜中まで、朝まで二人きりでいたとしても、彼女にそんなつもりは1ミリもないのだろう。ならば自分は彼女にそのつもりが出きるまで待つ。

(いつまでかな)

 あまり長くないといい。
 冷たい風が吹いた。うっすらと雲が空に広がっていく。

「夜まで天気が持つとよいですね」

 中に入ろうと促すと、子供のように頷いた。歩くのに邪魔だったのだろう。離れていった手の温もりが、なんだか惜しいような気がした。




 翌朝、ミュラー上級大将を迎えにやって来た副官のドレウェンツ中佐は、当然のような顔をして食堂で朝のコーヒーを飲む伯爵令嬢の姿に、さすがに我が目を疑った。

「…閣下?」
「ああ、うん。いつも悪いな」

 ミュラーとしては、一秒でも早く副官の早とちりを正してやりたいところだが、ユーディットを前にしてそれもできない。なんともばつの悪い表情で、ドレウェンツを食堂から追い出すように自身も席を立った。

「それではフロイライン・アーベライン。わたしは出掛けますが、どうぞごゆっくり。お見送りできずに申し訳ありません」

 あくびを噛み殺しながら、ユーディットは頷く。このあと二度寝でもするつもりなのではあるまいか。ユーディットがフェザーンにいつまで逗留し、どこに滞在しているのか聞いておくのをわすれたな。何ならこのままここに引き止めようかと考えて、考えただけで行動には起こさない。
 部屋を一歩出て、どういう状況だと聞きたくてジリジリしている副官に苦笑しての第一声が

「違うからな?」


20140509UP

久し振りに読みました!
書きました!
イチャイチャしやがってwww
副官のあきれっぷりも書きたいです!


20140512
設定変更にともない細部を変更。
・変更点
 豪邸に召使付き→接収したホテルの官舎に一人暮らし
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