銀河英雄伝説

□鉄壁に遊ぶワルキューレ
26ページ/37ページ

美しいものを愛でましょう

暦が変わったばかりの新帝国歴5年1月。ナイトハルト・ミュラーは数年ぶりに軍服に袖を通さぬ年明けを迎えていた。

宇宙艦隊指令長官としての仕事が暇なわけはないのだが、昨年の10月に妻を得たばかりという状況を鑑み、ミッターマイヤー元帥と摂政皇太后ヒルデガルドが休暇を取ることを強く勧めての新年の休みであった。
はじめこそ職務への責任感から休んでなどいられないと焦燥感を募らせていたミュラーだったが、これでもかと詰め込まれた年末のスケジュールを消化するうちに、年明けぐらいは休んでやるという気持ちになっていた。そうして迎えた休みだ。この三ヶ月冷えていた新床を、心行くまで暖めたい。と、思っていたのだが現実はそう甘くない。
12月31日からなし崩しに宴会になった1日は、昼過ぎまでミュラー艦隊の主だった提督たちが新居の広間を占拠していた。バラバラと酔っぱらいが帰っていった後には、ミュラー同様何処かの店で飲んできた帰りらしいビッテンフェルトが、なぜかミュラー宅に立ち寄り泊まって行ったし、2日はそのビッテンフェルトに連れられてミッターマイヤー宅を訪ねた。連日ほぼ寝ずの宴会に正体不明になったビッテンフェルトをミッターマイヤー宅から一人で帰すわけにもいかないと、その晩もビッテンフェルトを泊めてやり、悪いなといいながらもビッテンフェルトは翌日の昼過ぎまでゆっくりしていったので、彼を送り届けた1月3日の夕方近くに、ようやくミュラーは一息つくことができた。

「ユーディット?」

ミッターマイヤー宅へ向かったときは、まだ笑顔で見送ってくれたのだが、ビッテンフェルトを伴って帰ってきた時はどうだっただろう。自分も連日の深酒で昏睡同様に寝てしまったので、同じ敷地内にいたのに、4日もまともに会話していない。
翌朝、怒っているだろうなと、恐る恐る妻の私室を訪ねると意外なものが目に入ってきた。

「お出掛け、ですか?」
「なんだ、まだ寝ていればいいのに」

髪を結い上げ、ドレスアップした姿に目を奪われながらも、まさかなにも言わずに出掛けてしまうつもりだったのかと、目の前の現実に理解が追い付かないでいるミュラーに、ユーディットは鏡越しの視線を寄越した。

「扇子はそれを。ショールは?」
「ええと、どちらへお出掛けですか」

夫そっちのけで侍女に出掛ける支度を手伝わせている様は、まさに貴族の令嬢らしい。

「シュワルツコップの舞台に行ってくる」
「シュワルツコップ?」

馴染みのない名だ。
首をかしげるミュラーに、ユーディットは苦笑しながら援助しているオペラ歌手だと付け加えた。

「起きたのなら一緒に行くか? 〃内乱の方がまし〃かもしれないが」

くすりと、いたずらっぽく言われて、ミュラーは顔を背けた。冗談だとわかっていても、口中に苦みが広がる。ラインハルトの音楽鑑賞に同行した際、冗談半分漏らした言葉だが、あの時ほど自分の言葉を悔やんだことはない。

「ナイトハルト」

気遣わしげに、そっと頬に触れた手を掴んでそちらをみると、申し訳なさそうなユーディットと目が会う。許すと言う代わりに微笑んで、白い手に口付けた。何度か位置を変えて口付けるうちに、くすぐったそうに眉をしかめて、ユーディットは手を引っ込めようとする。その手を逆に引き寄せると、あっけなくミュラーの胸に倒れ込んだ。少し力を込めて抱き締めると、甘くささやくような声色で、セットが乱れると文句を言われたが取り合わない。

「誰かにエスコートをさせるのですか?」
「そうなるな」

それは面白くないなと、ミュラーは口中に呟いた。
もっと面白くないことに、十中八九、オペラ鑑賞のあとは交流会と銘打った酒宴が催される。そんな場所にこんなユーディットを一人でいかせたくはないものだ。
全部顔に出ていたのだろう。腕の中でミュラーを見上げていたユーディットが堪えきれないとばかりに笑いだした。ばつの悪さを覚えながらも、今更取り繕えないものは開き直ってしまうに限る。

「わたしも、いきます」

してやられた、という気がしなくもないが、前衛音楽よりは訳がわかるであろうが格式高いであろうオペラに、ミュラーは生まれてはじめて行くことになった。ユーディットは最初少し驚いて、それから何か企んでいる風の笑みを浮かべてミュラーの腕からベリリと我が身を引き剥がし、一部始終を部屋の隅で見守っていた侍女にミュラーの支度を手伝うようにと指示を出した。
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ