銀河英雄伝説

□鉄壁に遊ぶワルキューレ
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それから、ミュラーは盛装してオペラを鑑賞するという体験をした。
一般の来場者向けの席もあるのだが、ユーディットが通されたのは当然ながら貴賓席で、観覧席は二階の個室ブースだ。ホールの外には専用のバーカウンターもあり、いわゆる上流階級の社交の場となっている。
はじめ元帥としての正装をしようとしたミュラーだったが、それでは色々と面倒だからと説き伏せられてタキシードを身に付けている。着なれない格好に落ち着かない気持ちでいたミュラーも、オペラ会場に来てみれば、成程、確かにこの方がしっくりくると思い直したし、軍服など着ていようものなら、取り入ろうとする輩に対処するので手一杯だったに違いない。
軍服ではない=ミュラーではない、男がユーディットをエスコートしているとなれば、新婚のミュラー夫人に情夫がいるなどという不謹慎な噂がたちそうな気もするが、当のユーディットは気にも止めないのだろう。夫としては根も葉もない噂だとわかっていても、面白くはないが。

万事上手く、とはいかないまでも、人生初のオペラ鑑賞は概ね平和に終わり、ミュラーとしても有意義な時間を持つことができた。

「どうだった?」

車の後部座席に座り込むや、タイを緩めて深々と溜め息を吐いたミュラーに、からかうように微笑みながら、ユーディットが問うてきた。
「どうもなにも疲れましたよ」と肩をすくめる。余裕綽々で笑っているユーディットが小憎らしくて、顔を覗き込んできたのを捕まえて抱き寄せると、強気な態度は途端に成を潜めた。
少しの間、借りてきた猫のように大人しくなった新妻を愛でてから、ミュラーはぽつりぽつりと独り言のように話始める。振動少なく、車は自邸に向けて発進した。

「貴族というのは、もっと気楽な存在だと思っていました。なかなかに…」
「面倒?」
「ええ」

酒を飲んで、面白楽しく過ごしているだけかと思いきや、そこかしこで密談が交わされている。それは商売のことであったり、領地経営や相続問題であったりと様々だ。ユーディットの回りに集まる人の話を横で聞いているだけでも、ユーディットが相手の表情立ち居振舞い、話し方をつぶさに観察し、言葉の裏の真意を探りながら話しているのが分かった。
最初ユーディットの情夫かと噂されていたミュラーも、ユーディットの回りに集まってはみたもののはみ出てしまった人物らと話すうちに宇宙艦隊司令長官その人だとばれて、ユーディット並に人にもまれた。平民出と侮りつつも取り入ろうとする強かさに内心舌を巻いたものだ。

「不快ではなかったか」
「正直、愉快ではありませんでしたが、ああいうことも今後は必要なのでしょうね。勉強になりました」
「うん。なにも考えずにいると、足元を掬われる。皆、家と財産を守るので必死だからな。ああいう場で人を見極めて人脈を広げていく」
「アーベライン伯爵として?」

会場では、エスコートの必要など全く感じさせない堂々とした振る舞いで、女王然と周囲の人々に対していたユーディットだ。彼女の呼称も「ミュラー元帥婦人」ではなく「アーベライン伯爵令嬢」であったし。実際、彼女はアーベライン伯爵家の後継者としての顔も持つ。少し意地悪のつもりで、そう口を挟むと、ユーディットは本の少しすねたような顔をした。

「それもあるが、…お前の為だ」
「わたしの?」
「そうだ、ついでだから言っておく。アーベライン伯爵領の相続権は現法に照らせばミュラーにはない。わたしたちの子供の一人にアーベライン姓を継がせるようになるぞ。でなくては、ばかどもの介入を許すことになる」

ユーディットはまだ先の話だが、と言葉を結んだが、ミュラーは目を見張ってユーディットの顔から腹へと視線を移したので

「先の話だ!」

と顎を押しやられた。
ユーディットは真っ赤になって、悪態をつきながらミュラーの体ごと遠退けようと腕を突っ張りはじめたので、ミュラーは力任せにその可愛い抵抗を封じ込めた。それでもじたばたと暴れていたのだが、こめかみにキスすると静かになった。くすりと笑って、そのまま耳元に囁く。

「子供は何人ほしいですか?」

弾かれたように顔を上げたユーディットの顔は耳まで真っ赤で、ついミュラーは吹き出してしまう。

「か、からかって…!」
「ません」

笑っていた顔を引き締めて、一言。
ユーディットはなにも言えずに顔を覆ってうずくまってしまったので、それからの車中は静かだった。始めこそユーディットにちょっかいをかけていたミュラーも、あまりに相手にされないので諦めて、窓の外を眺めているうちに連日の疲れから寝入ってしまった。

「!?」

突然体にかかった重みにびっくりして顔を上げたユーディットは、いつの間にかすっかり眠っているミュラーに重ねて驚いた。こんな無防備な寝顔、初めて見る。

「口を閉じろ」

言ってもきっと聞こえない。
非常にだらしのない姿に幻滅しても良さそうなものだが、反って愛おしく思えるのだから不思議だ。

「特別。着くまでだからな」

車の揺れでより傾いたミュラーの体を苦労して動かし、膝の上に頭をのせてやる。
邸に着いたらなんといって起こそう。そんなに疲れていたら子作りは無理そうだ、とか? 薮蛇だ。バカか。わたしは。
一人で赤面しながらあれやこれやと考えて、結局車が停車したときの一声が

「重い! 足がしびれてきた」

だった。







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ダウントン・アビー熱、続いています。
漫画エマも読みました。
最近は銀河帝国軍の幕僚連中の平服が気になっています。
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