銀河英雄伝説
□鉄壁に遊ぶワルキューレ
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あさぼらけ
銀河帝国の軍人となり、当たり前のように艦隊勤務に付いた。幸運だったのは、ローエングラム公爵に招聘されたナイトハルト・ミュラー提督の副官任務を拝命したことだ。
上官が出兵の度に功績をあげ、みるみる昇進するにつれてドレウェンツの階級も引き上げられて、気付けば宇宙艦隊指令長官付き主席副官の大佐様である。
ドレウェンツの朝はこの数年、上官であるナイトハルト・ミュラーを迎えに行くことから始まる。
敬愛する上官に無礼があってはいけないと、身なりには気を使う。官舎として接収されたホテルの最上階、ロイヤルスイート直通のエレベーターの中で身なりを最終確認する。
襟に付いた大佐の階級証には、じつはまだ馴れていない。
偉大な指導者、帝国軍全将兵のカリスマであった、ラインハルト一世がみまかられてからの昇進であり、正直手放しに喜ぶ気にならない昇進だった。同様に皇帝の崩御後、ドレウェンツの上官ナイトハルト・ミュラーも上級大将から元帥に昇進したが、その落ち込み様は、ドレウェンツの比ではなかった。
それでも、新皇帝の即位、国葬、新体制の人事移行など、忙しく過ぎていく日々の中で、ミュラー元帥も以前の明るさを取り戻しつつあるように思う。
(あの方のお陰だろうな)
自分達とは違う位置から、ミュラー元帥を支え続けてくれる伯爵令嬢。愛人などでは全くないし、恋人という甘い関係でもない。友人というにはお互いの距離が近すぎる。さっさとくっついてしまえばいいと、思い続けて四年だ。
ここ数ヶ月はミュラーの官舎に押し掛けて、朝食を用意しているそうだが、相変わらずそれ以上の何もないらしい。ドレウェンツとは入れ違いになることが多く、たまに顔を会わせても顔色ひとつ変わらないので、たまに本当に閣下の一方通行なのではないかと憐れになるのだ。
(不謹慎だな)
頭を振って気持ちを入れ換える。ついた最上階は、ワンフロア丸々ミュラーの官舎だ。
「おはようございます。閣下。お迎えに上がりました」
ドアベルを鳴らして少し待つ。
いつもならすぐに反応があるのに、今日に限っては訝しく思う程度に待たされた。
まさか寝ているのではあるまいか。体調でも崩したのだろうか? 昨日の様子から、その可能性は低いと思うのだが…。
「ミュラー元帥閣下」
もう一度ベルを鳴らすと、予告なしに扉が開いた。呆気にとられているドレウェンツの横を、ばたばたと女がすり抜けていく。ドレウェンツが乗ってきたエレベーターに乗り込んで、あっという間に行ってしまった今の女は…
「…フロイライン・アーベライン?」
彼女の人生において、慌てふためくなどということはないと思っていた。
乱れた長い金髪に半ば隠された顔は、狼狽したように上気してはいなかったか?
「閣下!」
何かあったのは間違いないが、喜んでいいのか一抹の不安がある。逸る気持ちを抑えて部屋を見やると、なにやら笑み崩れた顔を必死に取り繕う上官が見えた。
「ああ、大佐。すまんが、中で待ってもらえるか」
「わかりました」
入ったところで直立不動の姿勢をとるドレウェンツを、ミュラーは苦笑してテーブルに招いた。自分の向かいに座るように勧めて、すっかり冷めてしまった珈琲を差し出す。
「悪いな」
「いえ。恐縮です」
「まだ時間は大丈夫かな?」
「はい」
うん、と頷いて、ミュラーはパンに皿の上のおかずを挟んでかぶりついた。
ドレウェンツが珈琲を一杯飲み終わる頃には、ミュラーの朝食も終わったようだ。軍人なんてしていると、早食いに慣れてしまう。珈琲を一気飲みして、指と口許を拭ってミュラーが立ち上がるまで、10分も経っていない。
「さて、待たせたな」
「いえ。閣下」
行こうかとドアへ向かうミュラーを制する。怪訝そうなミュラーに軍服の胸元を示す。食べこぼしでもあったかと視線を移したミュラーは、自身の軍服に見慣れないシミを見つけて眉を潜め、すぐ様理由に思い至って赤面した。
「替えをお持ちします。まだ時間はありますので」
黒い軍服にローズピンクの顔料は目立ちはしないが、化粧品特有の光沢は、すぐにそれとわかる。
着替えを手伝いながら、ドレウェンツは何があったのかと聞きたい気持ちをぐっと堪えていた。
迫ったのだというのはわかる。問題なのは結果だ。
「色々すまんな」
「今朝は謝ってばかりですね」
苦笑するドレウェンツに、ミュラーは照れた笑いを浮かべた。
(お、これは…)
期待と興奮に頬が緩みそうだ。
「いや、実は、うん」
プロポーズされるとしたらきっとこんな気持ちに違いない。
「結婚することになった」
「やったー!」
諸手を上げて叫んでしまった後で、ドレウェンツは呆気に取られているミュラーとまじまじ見詰めあい、二人同時に吹き出した。
「卿に申し込んだ訳じゃないぞ」
「あ、当たり前です!」
こほんと咳払いをひとつ。
「失礼しました。改めてお祝い申し上げます。閣下!」
「ああ。ありがとう」
エレベーターに乗り込んで、腕時計を確認してみれば、あまり猶予はないようだ。
「閣下、お急ぎください」
急かしながらもどこか浮わついた気分になるのは致し方ない。
上機嫌で車を走らせるドレウェンツに、ミュラーは途中不思議そうに尋ねた。
「相手が誰か聞かないんだな?」
ドレウェンツは盛大に吹き出して、ミュラーを憮然とさせたのは言うまでもない。
20141031
書くならハロウィーンだろ!と自分で突っ込みを入れておきます。