銀河英雄伝説

□鉄壁に遊ぶワルキューレ
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おかあさま2


 パーツィバルが新造戦艦と呼ばれていたのももう随分前になってしまったが、軍縮が第一となった帝国では、パーツィバル以降新型艦の造船はされていない。
 宇宙港で婚約者を出迎えたユーディットは、大型モニターに映し出された美しい機影を見て、その主に呟いた。
「ミュラーは、艦に自分で名前をつけたいと思ったことはないか」
「何ですって?」
 戦艦というものは皇帝から拝領するもので、その行為自体が大変な名誉だ。自分で勝手に名前をつけるなんてとんでもない。
「私はつけたかったんだ」
 たしなめようとしたミュラーは、ユーディットの視線の先に小さな船影を認めて口をつぐんだ。
 小型の戦艦アダユンクは、ユーディットが中将と呼ばれていたころの旗艦である。今年、廃艦にされる事が決まっていた。
「だってビーバーだぞ。川鼠だぞ。美女が好きな川の妖精って、拝領したときは何の冗談かと思った」
 前歯が大きな毛むくじゃらの生き物を思い出して、ミュラーは思わず噴出しそうになり、周囲にまだ軍の関係者がいることを考慮して咳払いしてそれをごまかした。
「弱そうだろう?」
「まあ、そうですね」
 その弱そうな名前の戦艦を麾下に加えて、4年も戦ってきたのはミュラーである。
「だから私は、“ツェツィーリア”と改名したかったんだ」
 ぶほっと、周りの人間が振り返るほどの大きさで、ミュラーは吹いた。下手に咳払いでごまかそうとしたほうが、悪目立ちするようだ。
「何でまた…」
 実の母親の名前を旗艦の名前にしようとは、いったいどういう思考回路なのか。婚約者ながら呆れる。呆れながら嗜めようとしたミュラーは、またしても言葉を失ってしまった。
「絶対負けないから」
 自信に満ち溢れた横顔は、母親に良く似ていると聞く。その母上は、この日の午後にフェザーン宇宙港にやってくるはずだ。
「お許しいただけるといいがな」
 両親に断りもなしに、結婚を決めてしまったのだ。国家の要職にあるのを良いことに、両家の顔合わせもとことん後回しにしてしまった。自分の両親や兄妹からは反対なんて出るわけがないからいいとして、心配なのはやはりユーディット側の方だった。
 なんといっても、旧帝国の皇室の流れを組む姫君なのだから。摂政ヒルダも、良くこの結婚を許してくれたものだと思う。
 ミュラーの独り言に「心配には及ばないと思うぞ」と返したユーディットの顔は、少し緊張しているように見えた。
「ユーディット」
 名前で呼ばれるのはまだ少しなれない。ぎこちなく上目使いに見上げてくる恋人をミュラーはすばやく引き寄せて、こめかみに小さくキスをした。
「!!」
 ユーディットは反射的に飛びのこうとしたが、腕はさっきからしっかりと掴まれている。真っ赤な顔のユーディットに出来たのは、せいぜい小さな声で「ばか。何するんだ」と抗議するくらいで、口には出さないがまったく同じことを、護衛を兼務する副官ドレウェンツとヘイゲンがやっかみ半分思っていたのは、言うまでもないことだろう。


2011/7/26
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