銀河英雄伝説

□鉄壁に遊ぶワルキューレ
6ページ/37ページ

4.5


 バーミリオン星域での会戦から、帝国軍主力が帝都オーディンへ戻り、ラインハルト1世の戴冠式も終わった6月末。
 ナイトハルト・ミュラー上級大将は、バーミリオン会戦で消耗した艦隊の再編作業に多忙を極めていたが、ふと執務室のカレンダーを見やり、隣のデスクで数字と格闘中の副官に声をかけた。
「再編の目処もついた。月も変わることだし、そろそろ1〜2日休みをとったらどうだ」
 ドレウェンツは少し思案した後に、手元の端末を操作して「7月4日はいかがですか?」と問うた。問われたミュラーは一瞬返答に窮したが、すぐに「ではそのように幕下に伝達するように」と殊更事務的に応じた。
「はっ」
 こちらも形式ばって応えたドレウェンツだったが、なぜこのタイミングでミュラーがそんな事を言い出したのか、実は察しがついていた。部下を気遣っている風を装ってはいるが、ミュラー自身が休みを欲っしているのである。その理由も明白で、ドレウェンツはミュラーの元にかの伯爵令嬢からの私信が届いていることも、その内容も知っていた。
 ユーディットからの私信は、官舎へ届いていたのだが、他の事務書類とまとめて見るからと、ミュラー自身がこちらへ持って来て、多忙に任せてその存在を放置した結果、ドレウェンツが中を開いてしまったという始末だ。私信の混ざった書類やデータの管理を副官に押し付けた上官の非を鳴らしこそすれ、ドレウェンツに非はない。
「閣下」
「なんだ」
 ばつの悪さを誤魔化すようにぶっきらぼうに応える上官に、ドレウェンツはにっこりとプリントアウトした資料を手渡した。紙面を見たミュラーは最初呆気に取られ、怒ろうとして失敗し、結局情けない表情でそれを受け取った。
「では、小官はこれで失礼します」
「う、うむ。ご苦労」
 敬礼に敬礼で返して副官を見送った後、ミュラーは引き出しから件のレターチップを取り出した。レコーダーにセットするや現れた立体映像はこちらの都合などお構いなしに、自宅を訪ねてくること。その際、ティセットを贈るように告げていた。
「なんでよりにもよって食器なんて…」
 相手の好みはもとより、平民出のミュラーに食器の良し悪しなどわかるはずもない。貴族出身のロイエンタール元帥や、メックリンガー上級大将辺りに相談すれば、或いはよい知恵を授けてくれるのかもしれないが、理由を説明するのが憚られた。ミュラーは頭を抱え、ちらりとドレウェンツの用意した紙面に目をやった。そこには軍務尚に程近い食器専門店の地図とティセットの写真がプリントされていた。



「無事戻ったか」
 開口一番、ミュラーを出迎えたユーディットは言った。リクエストした手土産になど、全く興味を示さない。
 あの苦悩はなんだったのかと、高級食器専門店での一時間を思うと切なくなる。
「なんとか息災にしております。フロイラインは、お変わりありませんか?」
「ああ。変わりない」
 所在なくプレゼントの箱を抱えたまま、ミュラーはサロンへ通されて、結局自分から箱をユーディットの前に差し出した。
「ご要望のティセットです。わたしは、こういったものに疎いので、フロイラインのお気に召すか解りませんが」
 ユーディットはティセット?と小首を傾げたが、ややあって思い出したように頷くと、きゅっと眉間にシワを寄せた。
「ど、どうかなさいましたか?」
「なんでもないっ」
 ユーディットとしては、心胆寒からしめた記憶を反芻してしまい、不快だったのだが、そんなことがミュラーに解るわけがない。ユーディットはむっとしたままで贈り物を受け取ると、その場で中身を改め始めたが、箱からカップを取り出すうちに、眉間のシワも解れて表情が穏やかになっていく。それを見て、ミュラーは内心やれやれと溜め息を吐いた。
「ありがとう。大切にする」
「いいえ。気に入っていただけて何よりです」
 ユーディットは取り出したカップを再び丁寧に箱に戻すと、顎の下で指を組んで、いたずらっぽくミュラーを見上げた。
「バーミリオン会戦では大活躍だったそうだな。どうして卿だけが、あんなにも早く引き返すことが出来たのだ?」
「お耳が早いですね」
 ヘイゲン辺りが話したのだろうかとミュラーは内心で首を傾げた。実はオーディンを離れた軍部の情報を、ユーディット自身が軍務尚に問い合わせて逐次調べていたのである。退役中将ということでコネもあるし、バーミリオン会戦中オーディンの留守を預かったメックリンガー大将とは面識もあったから、戦況を−−否、ミュラー大将の状況を知ることは難しくはなかった。
 ミュラーはユーディットにリューカス星域同盟軍補給基地での出来事を語った。
 ミュラー艦隊が同基地を占拠した際、基地指令オーブリー・コクラン大佐は基地内の物資が民用物資であることを理由に帝国軍と一戦もせず降伏した。この為、ミュラーは時間的損失を受けずに、他の提督に先んじてラインハルトの窮状に駆けつけることができたのである。
 話を聞き終えたユーディットは、立派な男だと感嘆し、
「是非、部下に欲しいものだな」と真面目な表情で同意を求めた。ミュラーもまた「同感です」と頷いた。
 運ばれてきた珈琲に口をつけて一呼吸置いてから、そういえば、という風に、ユーディットはリューベックが沈んだそうだが、今は何に乗っているのかと問うた。
 ミュラーは新造戦艦を賜ったことを伝え、先日、宇宙艦隊指令長官ミッターマイヤー元帥に言ったのと同じ調子で、パーツィバルの乗り心地やら機能性について語った。艦の機能や性能は、機密に関することが殆どだから、思うことのすべてを語ることはできない。それでも、つい口調に熱がこもる。いつになく熱弁を振るうミュラーに、ユーディットは「全く、男というやつは新しい玩具が大好きだな」と苦笑した。
「“鉄壁”ミュラーの名に恥じぬ艦というわけだ」
 バーミリオン会戦での勇戦を称えられ、ナイトハルト・ミュラーは“鉄壁”の異名で呼ばれるようになった。武人として、そのような異名で呼ばれることは名誉な事だ。例えば、“疾風ウォルフ”がそうであるように。
 しかしユーディットの口から“鉄壁”の文字が出た途端、ミュラーは僅かに表情を曇らせた。
「どうした?」
「艦は良いのですが、わたしの方はちょっと…」
 皇帝はもとより、ミッターマイヤーやロイエンタール、同僚達にその実力を認められ、異名を戴いた事は誉れだ。しかし同時に、その名が重くもある。
 その胸のうちを、ミュラーは語った。今まで誰にも漏らしたことはない。誰に語ることも出来るはずのない吐露だった。
 バーミリオン会戦で重大な戦局に間に合ったのは運が良かったに過ぎず、第八次イゼルローン要塞攻防戦に引続き、麾下の艦隊に多大な犠牲を出したこと、更には“鉄壁”などと大層な名前で呼ばれてはいるが、ヤン・ウェンリーの攻撃の前にラインハルトを守りきることができず、実際にラインハルトを救ったのはヒルダの知略とミッターマイヤー、ロイエンタール両提督であったこと。
「わたしには、過ぎた名です」
「ミュラー提督。卿は思い違いをしている」
「え?」
 弱音など吐くつもりは無かったのに、つい口をついて出たことにも驚いたが、それに対して叱責されるとはもっと思っていなかったミュラーである。
 ユーディットの優美な眉は、困ったものだというふうにシワを寄せていた。その下の琥珀色の瞳は、優しい表情を称えてミュラーを見詰めている。
「お前はその名を与えられたのではない。課せられたのだ。お前は陛下の忠勇な楯であれ。また、そうでなければならない。その名が重いと感じるなら、その重みに耐えうるだけの男になれ。ヴァルハラにいる部下達が“鉄壁ミュラー”の下で戦えたことを誇れるような男にな。その名の重みは、これから決まる」
 言葉をなくし、目を見開いてユーディットを見詰めるばかりのミュラーに、ユーディットは「そうだろう?」と微笑んだ。
(課せられた…)
 重たいことに変わりはない。けれどその重さの質がミュラーの中でこの時変わった。
「フロイラインの、仰る通りですね」
 ナイトハルト・ミュラーはこれまでの自分を恥じ入るように瞳を伏せ、開いた時には笑みを見せた。
「名に恥じぬ武人になって見せます」
「よしっ」
 厚く天を被っていた雲を吹き散らすような、満足そうなユーディットの笑みだった。




20110925
無自覚に甘やかすVS無自覚に甘える
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ