銀河英雄伝説

□鉄壁に遊ぶワルキューレ
7ページ/37ページ

4.6


 リップシュタット戦役以来、門閥貴族は事実上解体され、ローエングラム体制を支持した貴族達も成りを潜めた。
 どこそこの子爵婦人の誕生日だの、子弟の誰それが成人しただの、何かしらの理由をつけては連日のように開かれていたパーティもめっきり数を減らし、名前と顔が一致しないような人物主催のパーティの招待状がユーディットの元へ届くことは無くなった。
 以前と比べて、というだけの話であって、平民から見ればまだまだ貴族達の暮らしはきらびやかであったし、ユーディットの元へ届くパーティの招待状も決して少なくはなかった。
 そしてどれほど社交界で異彩を放とうと、伯爵令嬢にあるまじき経歴を持とうとも、アーベライン伯爵家の資産とユーディットが母から受け継いだゴールデンバウムの血は、例え王朝の命運がつきていたとしても、強い光でもって羽虫を惹き付ける。軍籍にあった頃も何枚の見合い写真を破り捨てたか知らないが、退役してからは微妙に数が増えた気さえしていた。更には一度断ったとしても、ユーディット自身の美しさに本気で焦がれるものもいる。
 ユーディットを辟易させたのは、母の数少ない友人である、とある子爵婦人の息子がそういった諦めの悪い人物で、数を減らしたパーティのことごとくで、彼と同席しているという状況だった。
「行かないというわけには」
 支度を手伝っている初老の侍女に鏡越しに睨まれて、ユーディットは口を閉ざした。フランツ・ポッぺ元大佐の妻マリアは、ユーディットの母親代わりともいうべき人物で、ユーディットが頭の上がらない数少ない人物である。
「そんなにお嫌なら、早くお嫁ぎ先をお決めなさいませ!」
 容赦なくコルセットを締め上げられて、ユーディットは形容しがたい声を上げた。



 軍籍にあった頃は、求婚者に自分以上の階級と実績を求めたりもした。作戦行動を理由に断ったことも何度もある。退役して、それがどれだけ体のいい断り文句だったかを身に染みて理解した。娘時代を共に笑いあった友人達は皆嫁ぎ、男性からの誘いも分別のつく大人になった分無下にするわけにもいかない。少し前まではただただ楽しかっただけのパーティも、憂鬱の種になりつつある昨今だ。要するに、肩が凝る。
 主賓が下がるや会場を抜け出したユーディットだったが、駐車場の入口で件の青年貴族に呼び止められた。
 あからさまに嫌そうな顔をする非礼はせずに済んだが、とても歓迎している風には見えない。それでもその青年貴族はにこにことユーディットの横に並んだ。
「最近はお帰りが早いのですね。久し振りにお会いしたのに、今日はあまりお話も出来ずに残念です」
 母親が会いたがっているだの、以前ユーディットが気に入ったと言っていた――無論社交辞令だ――庭の薔薇が見頃だのと、とりとめなく話は続く。今度遊びにいらっしゃいませんか? 最終的に子爵は頬を赤らめながら「よろしければ途中までご一緒に」と宣った。
 邪険にする訳にもいかずに曖昧に相槌を打つ。相槌が舌打ちになりかけたのは、青年貴族の車の調子が悪いという、質の悪い寸劇を見させられた時だった。
「それはお困りでしょう。どうぞ、お屋敷までお送りしますわ」
 他に言うべき台詞もなく、渋々同乗する事になった。車内でも、青年貴族は事業がどうだ、最近気に入りのワインの銘柄がこうだと喋り続けたが、ユーディットは上辺の笑顔で聞き流している。
「それで、あの、フロイライン。以前もお話しましたが、どうでしょう。わたしと…」
 もじもじと自身の指を玩んでいた手がユーディットの手を掴もうとした、まさにその時
「フランツ!」
 ユーディットの鋭い声が上がり、車は些か乱暴にブレーキを踏んだ。車が完全に停まり切る前に、ユーディットは自らドアを開けて車外に降り立っている。
「急用が出来たのでわたしはここで失礼します。今日は楽しかった。またお会いしましょう」
 青年が声をかける暇もない。社交辞令以外の何物でもないというのが明かな態度で、ユーディットはランドカーの再発進を命じた。
「フランツ、子爵を邸へお送りするように」
「畏まりました」
 走り出したランドカーの窓にへばりつく青年貴族が見たのは、ユーディットと親しそうに話す、二人連れの軍人だった。



 眼前で急停車した黒塗りのランドカーに、ドレウェンツは腰のブラスターに手をかけ上官の前に飛び出そうと足を踏み出した。しかし再び走り出したランドカーの影からドレス姿の貴婦人が現れるに至り、がくりと肩を落としたのだった。
「フロイライン・アーベライン」
 その呟きはミュラーのものだったのか、ドレウェンツのものだったのか、あるいは二人同時に発せられたのか。
「危ない真似をなさいますな」
 ミュラーは、ちらりと見えた車内の男が気になっていたが、口では別の事を言った。
「大丈夫だ。卿は心配性だな」
 くすくすと楽しそうに笑いながら、ユーディットは当然の様にミュラーの隣に並ぶ。心得たようにドレウェンツは5歩程間を空けた。
「パーティでしたか」
「ああ。でもダメだな」
「何がですか?」
 ユーディットは答えを保留して、常より近い位地にあるミュラーを見上げた。歩くのが少々難儀だが、こういう楽しみがあるのなら踵の高い靴もはいてみるものだ。
「卿と話をしている方が何倍もいい」
 ミュラーは即答出来なかった。何だかんだで聞き耳を立てているドレウェンツが、上官の代わりに思わずといった声を上げたので、釘を指すつもりで振り返った。部下を軽く睨むその間に、乱れた脈を正常値に戻す。
「光栄です」
「うん」
「車を呼びましょうか?」
「いや、いい。卿と歩きたい。迷惑か?」
「…いいえ」
 こんな風に日が落ちてからユーディットと会うことはないし、外で会うというのも初めてだ。馬に乗っている時以外では。
 ミュラーは一呼吸分逡巡した後、どうぞと腕を差し出した。当然の様にその肘に手をかけて、ユーディットはミュラーのエスコートを受け入れた。再び歩きながら話始める。
「最近のパーティは面白味が足らん」
「というと?」
「以前はもっとこう、賑やかだったが、最近は人も減った。平民から搾取したものとはいえ、使う側は楽しいものだぞ?」
 いたずらっぽく見上げてくるユーディットに、ミュラーは困惑した。彼自身、平民の出である。感情的に感受し得ない。
「ユーディット嬢、それは…」
「まぁ、物の見方のひとつの例えだ。それにお前の子孫が貴族なりなんなりになって、搾取する側にまわらないとも限らないぞ」
 軍国主義のローエングラム王朝にあって、ミュラーの地位は下手な貴族より遥かに高い。ユーディットの言っているのはそういう意味だろう。しかし言われた瞬間に、彼女とその未来を共有しているビジョンが浮かんだのも事実だ。
 5歩後ろでしっかり会話を聞いていた副官は、その流れでプロポーズしてしまえと拳を握り締めて上官の背中に念を送ったが、その念は届かなかったようである。
「平民だった者が貴族になり、貴族だった者から奪う。世の中とはその繰り返しだ。奪う者にとってそれは正義なんだよ。わかるだろう? 思えばブラウンシュヴァイク公らにも、公らなりの純粋な正義があったのだろう。だが、より強い正義が勝つ。勝ったものが正義と言い替えるべきかな。だから、ラインハルト・フォン・ローエングラムは皇帝となった。それは正しいことなんだ」
 腕を掴むユーディットの指に僅かな力がこもって、ミュラーは目だけを動かしてユーディットの様子を伺った。ユーディットは星を見ている。星の大海に散った幾多の命を慮っているのだろうか。
「未来や、過去の事に捕らわれたって何も変わらない。大事なのは今の私達が何をすべきかだろう。ナイトハルト・ミュラー、お前は何がしたい?」
 思うところはあった。しかしミュラーは、それとは少し異なる事を言った。
「そうですね」
 隣で星を見上げるワルキューレを見詰め、それから彼女が見ているであろう星を見上げる。
「陛下のお側にあって、そしていつか、ささやかながら幸せな家庭が築けたらいいですね」
 どちらともなく、視線が絡んだ。
 半瞬にも満たないうちに、ユーディットは淡雪が溶けるが如く微笑んで「お前は面白味のない男だな」と屈託なく笑う。ミュラーもつられて笑みをこぼし、上がった体温を誤魔化すように襟を直した。

 いつか、よりも今は、あなたの隣で、あなたの笑顔を見ていたいと思います。



20110926
実はデレデレな提督。
部下は暖かい目で見守っています(笑)
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ