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□ラジカル・クラシカル
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凜は艶々の頬を上気させ、カレンダーを眺める長兄の傍にちょこんと正座した。
「いっちゃん」
「あ?」
凜は両手を揃えて畳につき、ぺこりと頭を下げた。
「カレーの作り方、教えてください」
「……はい?」
顔を上げて、凜はにっこりと笑った。
「母の日といえばカレーでしょ?」
「つーかそれ、今やってたCMでしょ」
座椅子にもたれ、だらりと足を伸ばした銀司郎が苦笑する。
銀壱は顔をしかめた。
「マスコミに踊らされる安い女になるんじゃありません」
「ま、大袈裟ね」
凜は黒曜の瞳を丸くして兄を見つめた。
「私だって母上に手料理を食べて欲しいんです」
お料理はいっつもいっちゃんで、いっちゃんばっかり母上に美味しいって言われて。
そう言って、上目使いで銀壱を見上げる。坂田家の男たちがいつも敗ける、最強の眼差しだ。
「私だって母上に美味しいって言われたい」
しっかり者の末妹は、自分の武器をよく知っている。
頷くしかなかった。

思案して、銀壱は肩をすくめた。
「じゃあ俺はチョコケーキでも作るわ」
こくがあってまろやかなカレーと、赤い包装のチョコレート。こんな王道の母の日があってもいいだろう。
「俺は?」
長兄が妹に攻略される様を傍観していた銀司郎が、兄の指示を仰ぐ。
ゴールデンウィークに短期バイトをした銀司郎には、多少の蓄えがあった。金銭面ではいつも兄に頼りきりなので、手習塾がまとまった休みのときにはバイトをしている。
カレーやケーキの食材は銀壱が買うだろうから、プレゼントは自分の財布から出そうと思った。
「おまえは花担当」
銀壱は即答した。
「今年は原点に立ち返る母の日だ」
胸を張る兄が可笑しかった。銀司郎はにっこりと笑う。
「てことはカーネーションだね」
銀壱は妹に向き直った。
「お凜、明日から特訓すっか」
「ほんと?包丁持っていい?」
「おう、解禁だ」
結局一番張り切っているのは、いっちゃんじゃん。
銀司郎と凜はこっそりと顔を見合わせて笑った。
弟妹ふたりにいつも、うちの長兄は可愛い、と思われていることなど、本人は知らない。


特別な日でも、店を閉めることはできない。それは万事屋も同じだった。依頼があれば、日曜も何もない。
風薫る五月、十八時を過ぎても空は明るかった。
銀時は万事屋の鍵を閉め、階段を降りた。
壁際の愛車に跨がり、しばらく待つ。間もなく、一階の扉がカラカラと開き、スナックお登勢から妙が出てきた。約束の時間通りだ。
妙は店の中を振り返り、それじゃ後はお願いします、と声をかけた。中からお登勢の返事が聴こえる。銀時はエンジンをかけた。
「お待たせしました」
「おう」
妙にヘルメットを渡しながら、銀時は問う。
「今日、何してくれるか知ってる?」
「凜がご飯作ってくれるって」
「あいつ料理なんてできんの」
娘の性格が妻似であることは周知の事実だ。
八才にして初めて料理をすることになり、銀時は父としていささかの懸念があった。――果たして料理の腕前はどちら似なのか、と。
しかし妙はしれっとしている。
「壱くんがついてるから大丈夫ですよ」
にっこり笑って、銀時の後ろに腰かけた。
妙の腕が腰に回されるのを確認すると、銀時は黙って愛車を発進させる。
どうせ今日の主役はお妙だし。俺はおまけで相伴に与るだけだし。
出来栄えがどうであれ、愛娘の初めての手料理が自分のためでないことにわずかな嫉妬を覚える。しかしその相手が妻となると、焦燥感も薄れる。
複雑な面持ちで、銀時は夕暮れの中を駆け抜けた。

家中がカレーの匂いでいっぱいだ。
カーネーションの花束を抱えて台所に入った銀司郎は、大きく息を吸った。
「いい匂い」
火にかかるカレーを凝視する凜が笑顔で振り向き、それから瞳を輝かせた。
「じろちゃん、それすごい」
「だろ」
花束を持ち上げて見せると、ケーキに最後のデコレーションを施していた銀壱も顔を上げる。
「おー、すげ」
長兄はにやりと口角を上げた。
この時期、カーネーションの値段は跳ね上がる。銀司郎が抱えている花束は真っ赤なカーネーションとかすみ草で大きく膨らみ、とても豪華だ。バイト代はほどんどなくなっただろう。
その定番の組合せにも、銀壱は満足した。
「何本あんの、それ」
「十八本」
「え?」
中途半端な、と言いかけて、銀壱は止まった。頭のいい銀司郎が、無意味な数を選ぶはずがない。
「どうして?」
兄より先に、凜が訊ねる。銀司郎はしれっと答えた。
「母になって十八年だから」
きゃあ、と凜が声を上げる。頬を染め、じろちゃんお洒落!と悦んでいる。
こいつは――、と銀壱は眼を細めた。この天然タラシめ、と苦笑する。
この手の才能は、自分にも父にもないものだ。
銀司郎に勝てないものがもひとつ増えたなァ、と肩をすくめた。
勝ちたいとも思わないが。


ただいまァ、と玄関から声がした。
おかえりなさーい、と凜が廊下に飛び出す。
銀司郎が花束を抱えて後に続いた。
出来上がったばかりのチョコレートケーキを冷蔵庫にしまい、数秒遅れて廊下に出る頃、
「おまえは誰に似たんだよ、このタラシが」
という父の声が聴こえて、銀壱は吹き出した。




20120512 miyako
【追記】
→次頁に、『F.P.』の時崎歩さんが描いてくださった三兄妹のイラストを飾っております。
是非、ご覧くださいませ(*´ω`*)
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