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□ハルシオンランチ
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丸い銀色のドアノブをひねり重い鉄の扉を押すと、ギイィと蝶番が低く軋む。腕の力だけでは押しきれず、妙は体重をかけて扉を開いた。
風が身体をすり抜け、今昇って来た階段を駆け降りてゆく。スカートがふわりと舞った。
視界いっぱいに淡い水色の空と白い雲が広がっている。妙は天を仰いだ。雲がゆっくりと東に流れていた。
今日で十月は終わりだというのに、天気予報では九月の気候に逆戻りだと言っていた。なるほど、これはピクニック日和だ。
立ち入り禁止の屋上に来るのは初めてで、勝手がわからない。ぐるりと辺りを見回すと、遠くのフェンスにもたれて座る銀髪を見つけた。髪が小さな雲のようになびいていた。
「よォ」
妙が屋上に姿を現したときから銀八は気づいていた。彼女が目の前に立つと、男は煙草の火をもみ消す。妙は黙って銀八の隣に腰を下ろした。
「はい」
銀八が差し出したタッパーウェアを受け取って、妙は首をかしげた。
「お弁当箱は?」
「んなシャレたもんねーよ」
そうだろうとは思ったが、今日のために用意してくれているのではという期待が少しだけあった。
タッパーウェアの蓋に指をかけ、妙は息を吸った。
「開けます」
「ナニその意気込み」
「緊張しちゃって」
何でおまえが、といぶかしる銀八をよそに、妙はゆっくりと蓋を開けた。
国民的ネコ型ロボットが、妙を見てウインクしている。
「……」
「……」
「キャラ弁?!」
「ビックリした?」
「しかも上手いし!」
「俺はやればできる子なのー」
ほくほくと満面の笑みを浮かべる銀八の方がキャラ弁に喜ぶ子供のようだ。
もう少し他のことにその力を注いだら良いのに、と妙は銀八を見つめた。嬉しいけれど、好きな人に初めて作ってもらったお弁当がキャラ弁って、どうなんだろう。
そもそも、と妙は思案する。普通は女性が男性に作るものだ。自分たちはまずそこからして逆転しているので、もう何でもありなのかもしれない。彼が私のために作ってくれた、それだけで贅沢な贈り物だ。
妙はにっこりと微笑んだ。
「美味しそう」
「ん、食べろ食べろ」
銀八がラップに包んだ箸を差し出した。家で使っているものらしく、年季が入っている。
「いただきます」
手を合わせて、どこから食べようかしらと思っていると、横から男の手が伸びてきた。
「頭とヒゲと口は海苔で、目はチーズ。鼻が小梅で、首輪がカニカマ、鈴は玉子焼き。あ、おにぎりになってるから、中はシャケ」
顔を真っ二つに割ったら、しばらく口を聞いてくれそうにない勢いだ。吹き出しそうになるのを、ぐっと堪える。
玉子焼きから食べた。――美味しい。
「絶妙な甘さ加減ですね」
銀八の形相が崩れて、へらっと口元が緩んだ。締まりがなくて全然格好良くない表情なのに、それを引き出したのが自分の言葉だと思うと妙は嬉くなった。
「先生の分はないんですか?」
「俺はコレ」
ラップに包んだおにぎりを持ち上げて見せる。海苔が巻かれたごく普通のおにぎりだ。
それから銀八は、あーコレも、と小さなケトルを取り出した。国語科準備室に常備しているものだ。男が愛用しているマグカップに茶を注ぎ込み、はい、と妙に差し出した。
「デザートもあるから、かぼちゃプリン」
「…それも手作りですか?」
「こっちの方が得意だしな」
それにしても、まさかデザートまで。
妙が目を瞬かせていると、ん、ともう一度マグカップを差し出された。
「…本当に、やればできる子ですね」
受け取ると、玄米茶の深みある香りがした。普段のだらしない担任からは想像もつかない細やかさと気配りだ。――タッパーウェアだったり、ラップに包んだ箸だったり、薄汚れたマグカップだったりではあるけれど。
学校で、二人きりでお昼を食べるなんて絶対にないと思っていた。普通の男女のように、こんなに穏やかに。
胸が熱くなって込み上げてくるものを誤魔化すため、妙は黙々と箸を口に運んだ。
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