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□フユソウビ
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※銀八が生徒で、妙が教師の逆転3Zです。
苦手な方はブラウザバックお願いします。







 駅前の雑踏で呼ばれた気がして、志村妙は周囲を見回した。
「せんせー!」
 駅ビルに隣接する花屋の前で、緑色のエプロンをした少年が手を振っていた。暮れかけた陽に銀髪が光り、目立っている。担任をしているクラスの生徒だ。妙はため息を吐いた。
 彼女が気づいたことを見留めると、坂田銀八はおいでおいで、と手招きをする。妙は渋々、人混みを縫って彼に近づいた。
「妙先生、今帰り?」
 銀八は眼鏡の奥の気だるげな蒼眼を細めている。妙は本心を悟られまいとした。平静を装い、首を傾げる。
「坂田くん、ここで何してるの?」
 問われて、銀八は寒そうに肩をすくめた。エプロンの上にはダウンを着ているが、陽が落ちると気温は一気に下がる。両手をダウンのポケットに入れた。
「バイト」
「年末はピザ屋さんにいなかった?」
「サンタの服着てね。あれは去年まで。今はココ」
 銀八は花屋を振り返った。
 妙は記憶を辿る。確かその前はコンビニで、秋は葡萄農園で、夏には海の家にいて、本屋とたこ焼き屋と、春は運送会社で…。
「いろいろやってるのね」
「短期っつーか、便利な助っ人みたいなもんなの」
「そうなの」
 単に根気がないだけじゃないのかしら。
 教師をして二年、初めての担任は個性的な生徒が集まるクラスだった。問題児というわけではないが一癖も二癖もある生徒ばかりで、新人教師には荷が重いのではと教頭に言われた。しかし理事長の後押しもあり、受け持つことになったのは去年の春。
 あれから十一ヶ月、妙は生徒たちから慕われ上手くやっている。子供たちは可愛い。しかし教師といえども人間で、人生経験の浅い妙にはまだ至らないところもある。生徒全員を愛するべきだと頭では理解しているが、正直、苦手な生徒もいる。自分が高校生なら、絶対に友達にはならないだろうと思う生徒がいる。
 坂田銀八がその生徒だった。遅刻の常習犯で授業中は寝てばかり、行事もサボりがちで、決して真面目とは言えない。しかし3Zにはそんな生徒が大勢いる。特に彼だけが問題になることはない。
 授業態度は良くないのに、成績は悪くなかった。バイトばかりしていたのに大学への進学も決定している。進路指導のとき、もっと上を目指したらと進言したら、めんどくせーよ、と一蹴された。何事も真面目に努力を重ねる妙とは水と油で、そういうところも苦手だった。被害妄想だとわかっているが、教師として一生懸命で熱くなりがちな自分を冷ややかに見られている気がした。
 銀八は友人が多い。社交的でクラスの中心にいて、やけに頼られたりもする。だが、常に誰かとつるむようなことがない。集団の中にいても、ぽつんと一人でいることがある。達観しているのとも違う。本当の彼は孤独の中にある、そんな風に見えた。
 死んだ魚の目をしているのに、時々、物事を俯瞰で見ているように鋭くなることがあった。だらしがなくてやる気がなくていい加減なのに、底知れない光を放つときがある。
 ふと気づくと、じっと見られていることがある。目が合うと、いつも真顔で流された。何か話があるのかと思い声をかけても、見ていたことすらなかったこととして振る舞われる。次第に、妙からは話しかけなくなった。
 近寄りたくないタイプだった。怖いという思いさえあった。たった十八歳で、何があったらこんな男になるのだろう。
 妙はにっこりと微笑んだ。
「寒いのに大変ね。風邪引かないようにね」
 そのまま去ろうとした。だが、腕を掴まれた。妙は驚いて振り向く。
「先生」
 銀八は妙が持っている紙袋を指さす。
「それ、チョコ?」
 妙は息を吐いた。
「ああ…うん」
「いくつ貰ったの?」
 妙はえっと、と紙袋を覗いた。
「五…六個かな」
「モテモテだなァ、逆チョコってやつ?」
「一個だけね、近藤ゴリラ勲くんから。他は女子からよ」
「ゴリラはミドルネームかよ」
 苦笑する銀八を眺めながら、妙はこの会話はどこにいくのだろうと考えた。引き止められた理由がわからないし、バイト中の暇潰しならよそでやって欲しい。それでも、笑顔で当たり障りのないことを言うしかない。私は教師で、教え子を邪険に扱うことはできない。たとえそれが苦手な生徒でも。
 妙は花屋に視線を走らせた。
「戻らなくていいの?」
 銀八は店先を振り返る。
「客いねーし」
「駄目よサボっちゃ」
「先生待ってたんだ」
「え?」
 妙が瞠目すると、銀八はにやりと口角を上げた。
「ここにいて」
 くるりと踵を返し、銀八は花屋へ戻っていく。
 その背中をぼんやりと眺めて、それから妙は眉をひそめた。最寄駅がここだということは一部の生徒にも知られている。偶然知られたにしても、いつから見られていたのだろう。
 知らぬ間にあの深い蒼に見つめられていたと思うと、落ち着かなかった。

 花屋に背を向け立っていると、突然、胸元に花束が差し出される。見下ろして、妙は瞬きをした。
 ワインレッドのリボンで結ばれた、薄桃色の薔薇の蕾の花束だ。その美しさに、知らず、感嘆の息が漏れる。
「ハッピーバレンタイン」
 優しい声に、はっとして顔を上げた。銀八が目を細めて見つめている。妙は理解して、戸惑った。
「私に…?」
「俺、甘いもん人にやる習慣ないの」
 にやりと笑う顔が悪戯を誇る子供みたいで、つられて妙も笑顔になった。銀八が極度の甘党だということは有名な話だ。こんなふうに子供っぽい面を見ると安心する。
 妙は優しい気持ちになる自分を自覚した。
「外国じゃ、男から女に花贈んだろ?」
「…そうね」
 もう一度、妙は花束を見下ろす。スプレー薔薇だからだろう、大きな束ではないが幾つもの蕾がついていて華やかだ。妙は胸元で花束を受け取り、そっと抱えた。
「ありがとう…とっても可愛いわね」
「妙先生に似合うよ」
 口説き文句みたいだわ。そう思うと可笑しかった。
 教師の自分にとって高校生は子供だが、それでも社会的には十八歳は立派な男だ。子供だと思っている生徒からでも、異性から花を貰っただけで気分が向上する。妙は、我ながら単純だわ、と自嘲した。
 それに、誰から貰おうと綺麗なものは綺麗だ。
「何て薔薇?」
 尋ねると、銀八は一層にやりとした。
「サクラ」
「え?」
「サクラって品種の薔薇」
 へえ、と妙は目を見張る。そういえばサクラ色だ。
「面白いわね」
「薔薇の名前って結構面白いよ」
「あら、ちゃんと勉強してるのね」
 学校の勉強はしないのに、という揶揄を込めて言うと、しっかりと伝わったらしい。銀八は片眉を上げた。
「仕事はきっちりやりますよ」
「安心したわ」
 自然と微笑みがこぼれる。すべてにおいて不真面目ということではなさそうだ。アルバイト先を転々としているので変に勘ぐったが、杞憂だったかもしれない。
 今まで銀八とは、あまり二人きりで話したことがない。そのことを妙は反省した。苦手意識が先に立ち、教師として向き合っていなかった。
 こうしてちゃんと話せば、悪い子じゃないんだわ。
 もうすぐ卒業という今になって気づくなんて、何て愚かなのだろう。妙は申し訳なく思った。
「何かお返ししなくちゃね」
 首を傾げ、考える仕草をする。お返しといえばホワイトデーだが、その頃銀八は卒業している。神楽たちなら会ってお茶をするということもできるし、ストーカー紛いの男子なら向こうから勝手にやってくる。
 この子はやっぱり甘いものかしら、と考えていると、低い声が耳元で響いた。
「そんなもんいらねーからさ」
 反射でびくりと身が強ばった。銀八の顔がすぐ傍にある。普通に話すだけではありえない近さに、妙は息をのんだ。
 驚いて見つめていると、銀八がふと店先を振り向いた。客の姿がある。銀八が肩を落とすのがわかった。
 その隙に、妙は後ずさった。
「あの、それじゃあ行くわね。これどうもありがとう」
 早口で言って、また明日、と踵を返したときだった。後ろから声が降ってきた。
「志村妙さん」
 それはまるで上から、空から降ってきたように妙のところへ落ちてきた。大きな声ではないのに、直接鼓膜を刺激した。
 止まるべきではないと本能が警告している。だが足は勝手に緩んで止まった。恐る恐る後ろを振り向くと、駅ビルの明かりが真っ先に目に飛び込んだ。眩しさに目を細める。
 すっかり陽が暮れていることに気づいた。銀八の姿がシルエットになり、妙は目を凝らした。顔が見えにくい分、不安が増す。これでは本末転倒だ。

 いっそあのまま傍にいれば良かった。

 銀八の姿をした影は言った。
「俺の彼女にならねえ?」

 熱を帯びた声色に、妙の胸は疼く。離れているのにその声はよく響いた。妙の胸にすとんと落ちて、初めからそこにあったかのように沁みていた。
 目が慣れて、次第に男の顔が見えてくる。眼鏡の奥の色が見えた。妙は花束を強く握った。
 闇の中でも蒼海の色をした瞳を、妙は初めて綺麗だと思った。



20120216 miyako
20230214 一部修正
【花言葉】愛、君のみが知る、温かい心、一時の感銘。
銀八ver→『ミモザ

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