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□きつねの王子
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幼い頃、祖母から聞いた話ですけどね、と妙は前置きをした。
志村邸の台所で、二人でいなり寿司を作っているときだった。
銀時が大量の酢飯を混ぜ、それを妙がうちわで扇ぐ。二人の手つきは手慣れていた。
「母方の祖父が体験したことなんですけど」
「うん」
「母上の実家は陸前で、真夏でも夜は冷え込む土地で」
扇ぐ手を一旦止め、妙は銀時が刻んだ人参とゴボウを酢飯の特大ボウルに落とした。
「ひじきもなかったっけ?」
銀時が混ぜながら冷蔵庫を見る。妙はありますよ、と頷いた。
「残ってるの全部入れちゃいます?」
「ボリューム欲しいからなァ」
ひじきを酢飯に落としながら、妙はそれでね、と続けた。
二人は再び、自分の役割に徹する。
「夜に村の寄り合いがあって、祖父は参加して。お酒をいっぱい呑んで、お土産に油揚げをいただいて、その帰り道で」
「は?油揚げェ?」
「はい、油揚げ」
「手土産に油揚げって、おかしくね?」
「祖父はおいなりさんが好物だったそうですから、どなたかにいただいたんじゃありません?」
だったらいなり寿司くれんじゃね?と銀時は釈然としない様子で首を捻る。妙は苦笑した。
「私は聞いたままを話してるだけですから」
構わず続けた。
「真夜中だったそうです。一人で歩いていて、足元が覚束なかったことも祖父は覚えていて。田舎道なので街灯もなかったんですけど、川の上の橋にさしかかったとき若い女の人が立っていることに気づいたんです」
「え、何コレ怖い話?」
「真夜中に女の人が一人で橋の上にいるなんて、おかしいじゃないですか?それで祖父は」
「いやいやいやちょっと、」
「…やめます?」
横目でちらりと視線を送ると、銀時ははたと止まった。
怖いんならやめますけど?と笑みを浮かべると、こ、怖くなんかねーよ、と上擦った声が返る。
「スタンド使いなめんなよ」
「いつの話してるんですか」
「昔取った杵柄だろーが」
「川の上だし見投げでもするんじゃないかと思って、祖父は声をかけて」
「無視ですかコノヤロー」
「夜道の一人歩きは危ないですよ、送りましょうかって」
「ナンパじゃねェか、エロジジィが」
「誰がエロジジィだって?」
こめかみに怒りの印を浮かべた妙が、銀時の頬を思いきりつねる。男はホメンニャハイ、ホメンニャハイと繰り返した。
妙は笑顔でその手を離した。
「しばらく二人で歩いて、会話もしたんですって」
「ふぅん…」
銀時は赤く腫れた左頬を擦った。
「なのに、気がついたら祖父は川の中にいて」
「えっ?」
「水の冷たさで酔いも冷めて、びっくりして川から出たら、そこは最初の橋の上で」
「…女は消えてた」
「油揚げも消えてて、祖父は狐に化かされたんだと」
「いやいや違うでしょ?酔って川に落ちて、油揚げも川に流されたんでしょ」
「今思えばそうかもしれませんけど、当時は狐が人を化かすというのは普通に言われてた話で。特にその日は、夕暮れに新しい草履を履いて出かけたものだから」
その迷信は銀時も聞いたことがある。
新しい靴を日暮れに履くと、狐に化かされるらしい。靴は朝おろせと言われる理由は、そこからきている。
「そりゃ、そう信じたんなら怖いかもしんねーけど…」
「でも一番怖かったのは、帰ったときの祖母だったらしいです。いつまでも帰って来ないし、びしょ濡れだし、女の狐に化かされたとか騒いだものだから…」
「カァちゃんにしこたま怒られたわけね」
「でも真冬だったら命ないですからね。熱は出たそうですけど」
さてと、と妙は扇ぐ手を止めた。
「そろそろいいですか?」
それが合図のように、銀時はしゃもじで適量の酢飯をすくう。あーん、と差し出すと、彼女は迷いなく口をあけ、米をぱくりと食べた。
「…ん、いいお味」
「油揚げ足りっかなァ」
「50個作れますよ。あとはお肉もありますし」
「てかアレだろ、いなり寿司で思い出したんだろ今の話」
冷蔵庫から油揚げを取り出して、銀時はにやりとした。だが、妙はきょとんとしている。
「違いますよ、本題はこれから…」
そのとき、玄関の扉が開く音がした。
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