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□太陽のレプリカ
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二十五年ぶりに日本列島を横断する金環日食は、妙たち小学生にも影響を及ぼした。
朝の登校前に見られるため、学校全体のイベントにするという。観測して、レポートを提出することが義務付けられた。
金曜日、妙は担任から日食グラスを渡された。
生徒全員分の日食グラスを用意することができないという学校側からの説明を事前に受けていたため、家庭で購入している生徒も多い。
持っていない生徒はクラスでいくつかのグループを作り、当日は数人でひとつの日食グラスを使用することになっている。
江戸の金環継続時間は、およそ五分。ひとり一分としても、五人で見られる。その時間は充分に思われた。
昼休み、妙は職員室に向かった。委員長がクラス分を配ることになっている。
担任から提示された日食グラスは、二枚だった。
「みんな思ったより家で買ったみたいでなァ。おまえと坂田のだ」
絵柄は何が良い、と訊かれた。
日食グラスは眼鏡のような形をしており、目を当てる部分だけが遮光プレートに覆われている。それ以外のところには絵や模様が描かれている。
妙は二種類選んだ。
銀時の好みなど、わかるはずもない。無難なものを選ぶしかなかった。

銀時は、学校が終わっても真っ直ぐ家には帰らない。
まず校庭で遊んで、家への帰路でもふらふらと寄り道をする。大概は友人と一緒だったが、最後にはいつもひとりになる。ほとんどの友人が習い事をしていた。
その日は金曜日だったので、銀時は遅くまで学校に残っていた。いつものように最後のひとりになり、校庭の隅に置いていたランドセルに手を伸ばしたところで、忘れ物に気づいた。
金曜日に給食袋を持って帰らないのはまずい。
めんどくせーなァ、とボサボサの髪をかきながら靴箱に戻った。
校舎の中に、人の気配は少ない。もうすぐ十七時になろうとしている。
五年三組の教室は三階にある。階段を二段飛ばしで駆け上がり、明日からの二連休を思う。
朝からヅラんち行ってェ、とぼんやりと考えながら教室の扉を開けた。

バタバタと駆けてくる足音がして、やっと来た、と妙は顔を上げる。
前扉が勢いよく開き、待ち人が姿を現した。妙は読んでいた文庫本に栞を挟み、ぱたりと閉じた。
妙がいるとは思わなかったのだろう、銀時は呆然と立ち尽くしている。妙は立ち上がった。
「給食袋でしょう」
「あ?…ああ…ン」
曖昧に頷き、銀時はゆっくりと教室に入ってくる。
中央列の一番後ろの席まで行き、机にかけっぱなしの給食袋を手に取った。戸惑いながら、窓際の妙を見た。
「何してんの」
「渡そうと思ったのに、さっさと行っちゃうんだもん」
妙は銀時に歩み寄り、日食グラスを差し出した。黒い下絵に、いくつものオレンジの環が描かれている。
銀時は何かわからなかった。
「なにコレ」
「何じゃないわよ、もう」
妙は呆れたように瞳を細める。
「金環、これないと見れないわよ」
「……」
言葉を失う銀時に、妙は眉をひそめる。嫌な予感がした。
銀時はゆっくりと口を動かした。
「……はち「はちみつキンカンじゃないわよ」」
かぶらせ気味に声を重ねると、銀時はむぅ、と唇を尖らせる。
「わかってるよ」
「すっかり忘れてたんでしょ。宿題なんだからね、あとでレポート書くのよ」
「うっせーなァ」
「うっせえ?」
妙が眼光鋭く銀時を見据えると、銀時はヤベ、と一歩下がった。
「ふぅん?待っててくれた人に、その態度なんだ?」
胸を張る妙に、銀時は固まった。え、と目を見張る。
「待ってたのかよ」
「……ついでよ」
妙は唇を引き結び、真顔になる。
顔が熱かった。しかし、狼狽えはならないと平静を装った。
銀時に本音を見せるなど、妙には我慢がならない。
「とにかく、これ」
日食グラスを銀時の胸に押し付けると、息を吐く。
「じゃ」
踵を返し、早足で窓際の机に向かった。文庫本をランドセルにしまう。銀時の顔は見れなかった。
別に、待ってたわけじゃないもん。

待ってたのか、と言われたとき、どきりとした。
そんな意識はなかった。忘れられた給食袋に気づいたとき、銀時は取りに戻ってくるだろうと思った。
言われてみれば、彼の机上に日食グラスを置いて帰っても問題はなかったはずだ。だが妙はそうしなかった。
勝手に跳ねる心臓を無視して、妙は内心で言い訳をする。
読みたい本があったし、急いで帰る用事もない。直接本人に渡すことが委員長としての責任だ、と重ねて自分に言い訳をする。

顔が赤くなっている気がして、妙は瞳を伏せた。
銀時に背を向け、顔を見られないようにランドセルを背負う。
「なァ」
間延びした銀時の声がする。なに、と妙は小声で応じた。
「真っ暗でなんも見えねーんだけど」
は?と顔を上げると、銀時は日食グラスを覗いて天井を向いていた。蛍光灯を見ているらしい。
妙は息を吐いた。
胸の高鳴りは治まっている。
「紫外線と赤外線を遮断するフィルムが貼ってあるのよ。蛍光灯の光なんか見えたら、問題でしょ」
「なるほどー」
銀時はまた給食袋を机に置く。教室の後ろを歩いて、窓際に向かった。
太陽を探したが、教室は東向なので見えない。
「外で見てみようぜ」
銀時は妙を振り向いた。妙は肩をすくめる。
「見れば?」
顔の熱も去っていた。
ほっとして、彼女はいつもの調子を取り戻す。
「歩きながらバカみたいに空見上げて、車にひかれないようにね」
「おまえは見ないの?」
「だって普通の太陽じゃない」
妙は先に立って教室を出た。もう用はないと言わんばかりのその態度に、今度は銀時が慌てる。
急いで給食袋を掴んで、後を追った。

理由はわからないが、このまま帰ってしまうのは勿体ないと感じた。
妙とはいつも言い合いばかりしている。性格が真逆で、互いに気が合わないと思っている。破天荒な銀時には、目の上のたんこぶと言ってもよかった。銀時がやることすべてに、妙は反発してくる。
だが、銀時は妙を嫌いではない。
鬱陶しいとは思うが、妙がいないとどこか物足りなかった。彼女が不快に思うことをわざと言い、ちょっかいを出すときもある。妙が何を嫌がるか、手に取るようにわかった。
だが今は、喧嘩をしたくない。
構って欲しいという子供じみた気持ちはいつも通りだが、妙に負の感情を抱いて欲しくなかった。
待っていてくれた、と感じたせいかもしれない。
どうしようもなく嬉しいこの気持ちを、終わらせてしまうのは勿体ないと思った。

銀時はにやにやと笑った。
「ばっかだなァ」
口角を上げると、妙が不思議そうに銀時を見る。並んで歩きながら、銀時は給食袋をぶらぶらと振った。
「本番で慌てないように、練習しとくんじゃん」
「目に当てて見るだけでしょう」
「でも使いたくならね?コレ」
日食グラスを掲げると、妙はふっと笑みを漏らした。
「まぁいいけど」
テンションが上がっているらしい銀時が、妙には意外だった。こんなことには興味がないように見えるのに。
妙はこっそり苦笑する。まさか天文に目覚めたわけではあるまい。
並んで階段を降りながら、ふと銀時が訊いた。
「んで、本番っていつなの?」
「…月曜よ」
やっぱり、興味はなかったらしい。

校庭に出ると、西陽が眩しかった。
銀時はすぐに日食グラスを覗いた。
「おー……」
そう口にしたきり、黙っている。妙は首を傾げた。
「どうなの?」
「すげェ」
銀時は太陽から目を離し、妙を見た。にやりと笑う目線が同じ高さで、真正面から目が合う。
妙は思わず瞳を反らした。
「おまえも見ろよ」
「…うん」
妙はランドセルから日食グラスを取り出す。
パンダの絵柄を見て、銀時があれ、と声を出した。
「俺のと違う」
「何種類かあるから」
妙の日食グラスは遮光プレートの周りがパンダの顔になっていて、顔にかざすと目だけがパンダになる。
妙はふと思って銀時を見た。
「こっちが良かった?」
「やだよ」
顔をしかめて即答された。妙はいささかほっとする。
銀時にと選んだ絵柄は、間違っていなかったようだ。
妙は太陽の位置を確認してから、日食グラスをかざした。目に当て、慎重に眺める。
太陽は、夜空に浮かぶ満月のようだった。
妙は驚いた。
日食でもないのに、月が見える。
「すごいわね」
「だろォ」
銀時の誇らしげな声がする。なぜ誇るのか、わからない。まるで自分の手柄と言わんばかりだ。
妙は呆れて、それから笑った。
――ほんっと、バカね。
銀時は飽きもせずに太陽を見ていた。
日食グラス越しとはいえ、何分も見続けているのは目に良くない。妙が銀時に伝えようとしたとき、空を見上げたままの銀時が言った。
「月曜も一緒に見ようぜ」
夕暮れの中で、妙は少年の横顔を見つめた。
彼の顔がさっきよりも赤く見えるのは、夕陽のせいだろうか。
銀時の声はいつもより落ち着いて聴こえた。その声を何度も反芻しながら、確かめるように妙は頷いた。
頷いてから、黙っていては太陽を見つめている銀時にはわからないだろうと気づく。
ようやく絞り出した声は、上擦っていたかもしれない。

「待ち合わせに遅れたら、許さないから」

自分の顔も赤いに違いない。
銀時の反応を待たずに、妙は下を向いた。
地面に映る銀時の影が、妙の方に向き直るのが見えた。




20120517 miyako
想いの強さは、銀→→←妙。恋の自覚がない矢印。

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