main


□Wildflower
1ページ/2ページ

受信したメールの内容を確認すると、りょうは手早く返信をした。了解、の一言だけでは寂しいと、いつも彼から不満を言われるが構わない。
携帯をぱたりと閉じ、小さく息を吐く。
放課後の教室でひとり、りょうは妙を待っていた。自分のクラスでないことが居心地の悪さの要因だった。親友の席でも、落ち着かない。
妙は集計したアンケート用紙を持って担任の元へ行っている。すぐには帰ってこないことを承知で送り出した。
りょうは教室の時計を見て、おもむろに立ち上がる。窓際まで歩いた。
校庭からは野球部の声がしている。

HRが終わり次第、買い物をして帰ろうと妙と約束をしていた。しかし3Zの教室へ迎えにくると、親友は白衣の教師と話をしていた。紙束を机に乗せられ、何やら揉めているようにも見える。
りょうが傍に行くと、妙は困ったように彼女を見た。
「どうしても今日中に必要らしいの」
彼女は担任を見上げて、オラ!オマエのせいだろ何か言えよ、と恫喝している。
男はりょうに向かってジャンピング土下座をした。勢いで床に額をぶつけたらしい、ゴン!と鈍い音がした。
「スイッマセェェェンン!!」
もじゃもじゃの銀髪がわさわさと揺れ、床に額をこすりつけた。教室に残っている生徒たちが囃し立ててくる。
りょうは面食らい、いいのコレ、と妙を見たが、彼女は当然とばかりに仁王立ちしている。りょうは思わず吹き出した。
事情は飲み込めた。
いつものパターンじゃないの、と苦笑して肩をすくめる。
「これだけあるなら私も手伝おっか?」
「でも、今日はりょうの」
「選ぶだけよ。パッとやってサッと行こう」
りょうはあっけらかんとして笑む。妙の眉はみるみるうちに下がり、ありがとう、と口元が緩やかに笑んだ。
妙が担任からの頼まれ事を断れないことを、りょうは知っている。友人との約束を反故にできないことも。
友情よりも恋を、などとりょうは思わない。
けれど、家族も友人も、時間も夢も常識も、他の何を置いても恋を優先することがあってもいいと思っている。りょうはそうしてきた。
彼女には、親友にも明かしていない秘密がある。


りょうは社交的ではない。
中学のときに父を亡くした。病気の母と幼い弟妹たちを抱えているので面倒見は良い方だが、元々の気質が冷めている。
しかし、それでは世の中を上手く渡っていけないことはわかっている。愛想笑いが必要なときは惜しまず笑った。
家計のためにしているアルバイトは接客業を選んだ。
高校生ができるアルバイトは、職種が限られている。工場などの閉鎖的空間で煩わしい人間関係に巻き込まれるくらいなら、客に笑顔を振りまく方がよっぽどいい。
妙とはアルバイト先で知り合った。
妙は学校中の有名人だ。成績優秀で美人で、いろんな意味で破壊力抜群の笑顔だと評判だった。言葉を交わす前から、同窓生だと知っていた。
苦労知らずのお嬢さんだと思っていたので、アルバイトをしていることが意外だった。
店ではりょうが先輩だったので、彼女の教育係になった。正直、初めは面倒だと思っていた。学校の成績が良いからといって、仕事ができるとは限らない。
妙は頭の回転が早く、要領が良かった。計算高いところもあったが、りょうはそこが気に入った。
ほどなく、妙とは学校でも一緒にいることが多くなる。
深く付き合うようになると、妙は家のことや将来のこと、悩みも打ち明けてくれた。彼女との仲が急接近したのは、家族のことを話したときかもしれない。家庭環境が似ていた。
りょうはそれまで、独りでいることが多かった。
友人は少なく、その少ない友人ですら浅く付き合った。自分は普通の高校生とは違う、ただ遊んでいるわけにはいかないのだという責任感と諦めを抱いていた。自覚はなかったが、卑屈な想いも混じっていたかもしれない。
独りでいることは、苦痛ではなかった。
しかし妙を知ってしまった。

妙の周りには人が集まる。
濁りのない眼差しの留学生に姉御と慕われ、ゴリラだが間違いなく侠客であるストーカーに追われ、そのゴリラの一癖も二癖もある友人たちに一目置かれ、恋に一途な眼鏡っ娘に認められ、泣く子も黙る学内最強理事長に信頼されている。
妙には友人が多い。自分はその中のひとりだと思っている。りょうはそれで良かった。
私は天の邪鬼で、ひねくれている。
妙を唯一人の親友だと思っているくせに、彼女からの心は求めない。妙の負担になることはしたくなかった。
片想いのような友情が自分らしい、と自嘲した。


りょうは教室の窓から校庭を見下ろした。野球部が練習している。
自分とは無関係のものを見るように、眩しそうに目を細める。青春してるわねぇ、と窓枠に頬杖をついた。
アンケートの集計はりょうも手伝ったが、結果報告をしに一緒に行くかを迷った。できれば行かない方がいい。
アンケート用紙は学年分、量も多く紙は重い。りょうは半分持つつもりでいたが、妙はすべてを軽々と抱え上げた。その姿を見たときに、行かない理由ができた。
銀髪の教師は、これから職員会議があるから集計できないと言った。あれから一時間半経っている。会議は終わって、男は国語科準備室にいるだろう。
妙は淡い恋心を隠している。隠してはいるが、隠しきれていない。少なくともりょうには知れている。
りょうが知っていることを、妙は薄々気づいている様子だった。りょうもあえて口にしないので、妙としては探りを入れているつもりなのだろう。それが可愛かった。
銀八と妙が言い合っている姿を、たまに廊下で見かけることがある。
りょうは声をかけたりしない。いつもは素通りするが、ある日ふと足を止め、じっと見ていたことがあった。
前日、彼と言い合いになったばかりだった。同じ口喧嘩でも、妙たちとは違うと感じた。私にもあんなときがあったと懐かしく思った。
あの頃は目が合うだけで嬉しかった。傍にいるだけで緊張して、思うことと反対のことを口にした。あとになって後悔したり恥ずかしくなったり、彼の言葉ひとつで一喜一憂した。
彼を前にすると素直になれない。りょうの中では素直になることは甘えることと同一で、いつもプライドが邪魔をした。長女で、家族の世話をしてきた彼女は甘え方を知らない。
だが、知らないと思っているのは本人だけで、実は忘れているだけだった。教えてくれたのは、彼女を愛した男だった。
幼い頃、りょうは確かに両親に甘えていた。弟や妹が生まれてからも、たっぷりと愛情をもらった。だから今、こうして家族を支える長女でいられる。
彼だけが甘えられる人になった。
りょうの恋は叶った。
それでもいまだに口喧嘩はする。あの頃と違うのは、喧嘩も駆け引きの一部になったことだろうか。私たちは恋愛を楽しんでいる。
そんな思いで、言い合う二人を見つめていた。他意はない。
だが見られていることに気づいた妙が、はっとして頬を赤らめた。りょうは瞠目した。
強引に会話を打ち切り、逃げるようにしてこちらへ駆けてくる。りょうの元へ来ると、彼女はりょうの手を握った。
どうしたの、と訊くが妙は応えない。力強く手を引き、銀八とは反対方向へと歩き出す。りょうは大人しくついて行った。
階段の前まで行くと、妙はようやく口を開いた。
「ほんっとにムカつくマダオだわ」
耳まで赤かった。これで誤魔化しているつもりだろうか。あからさまで、可愛い。
――それでも、口喧嘩ですら嬉しいんでしょ。
微笑んで、りょうはその言葉を飲み込んだ。


思い出し笑いをするりょうを、妙は顔をしかめて見た。
「聞いてる?りょう」
「ん?んー、聞いてるよ」
妙が教室に戻ってくると、二人は早足で学校を後にした。
品揃えが豊富で安いと評判の小さな手芸店は、大江戸商店街の中にある。三代目だというお婆ちゃんが店番をしているため、十八時で閉店してしまう。二人はギリギリで駆け込んだ。
妙は誕生日プレゼントにサマーニットを編んでくれるという。料理に関しては暗黒物質創造主の名を欲しいままにしているが、手芸は自他共に認める優秀な腕前だ。
りょうは妙が差し出す二色の毛糸を見比べた。
「こっちがいい」
淡い黄色を選ぶと、妙はにやりと口角を上げる。あ、誰かさんみたい。
口にしたら殺されそうなことを思う。りょうは目線が同じ高さにある黒い瞳を見つめた。
妙とは身長がまったく一緒だった。体重は若干りょうの方が重いが、妙はそれが胸の大きさの差だと思っている。そんなところも可愛いと思えた。同い年だが、どこか守ってあげたくなるところがある。
妙はりょうが選んだ毛糸と、それに近い同系色をいくつか手に取った。狭い店内をぐるりと周り戻ってきたときには、うぐいす色と緋色の毛糸も手にしていた。初めからイメージはできていたらしい。
妙はすぐにレジへと向かった。

店の外に出ると、空はまだ明るい。早くも夏の気配がする。
紙袋を抱え、妙は瞳を細めて笑った。
「りょうは黄色が似合うわよね」
「…そう?」
「前に傘貸したことがあったでしょ」
「ああ、アンタのお気に入りの」
妙の家から帰るとき、急に雨に降られた。
あのときは黙って借りたが、うさぎ模様が自分には可愛すぎると思った。
「りょうはクールビューティを気どってるけど、可愛いものが似合うのよ。例えばタンポポ色のワンピとか」
「ちょっとォォ!さらっと毒吐いたわね!」
きどりって何よー、と口元を掴んで引っ張ると、白い頬が柔らかく伸びた。
痛い痛いと言いながらも、妙は笑っている。
ぐふぐふふー、と厭らしく笑い返す声にすら聴き惚れた。ころころと鳴る声は、鈴の音のように涼やかで凛としている。大好きだった。
りょうは手を放し、視線を絡めて笑い合った。
夏の香りがした。
次へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ