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□fragile
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浅蘇芳色の着物を身に纏う彼女は、美しい。
凛と真っ直ぐに伸びた背中と、白い首筋。後ろ姿でも志村妙だとわかった。繊細な細工のかんざしをさした漆黒の黒髪は、あの頃と同じポニーテールだった。
銀八は息をのむ。
妙がゆっくりと、こちらを振り向いた。


ずっと会っていなかった。
卒業した直後は、新八や神楽から彼女の話を聞いていた。
銀八から聞き出したことはない。彼らが勝手にしゃべっていく程度の情報だったが、彼女のことはよく話題に上ったので嫌でも耳に入った。
教え子たちは、卒業してからも度々銀八の元を訪れた。
しかし彼女は一度も来なかった。
次第に教え子たちの足も遠退き、彼女のことは風の噂でも聞かなくなる。思い返せば、最後に聞いたのは成人式のことだった。
卒業から五年の月日が流れた。銀八には最近に思える五年前でも、若い彼らにとっては昔のことだろう。
彼女の連絡先は知っていた。在学中は事あるごとにメールひとつで呼び出した。すべて自分がさぼるためだ。国語科準備室に閉じ込めて、手伝いと称して彼女の時間を奪った。
教師が持つ権力を、最大限に行使した。時には理不尽な理由で拘束した。彼女は口では不平を言いながら、いつも傍にいてくれた。それにつけこんだ。
教師としては強気だった。だが、男としては無関心だった。担任と教え子ではなくなったあの日から、銀八は恩師にすらなれていない気がする。
好意を寄せられてる、と感じることはあった。
しかし彼女は数多いる生徒の一人で、それ以上には思えなかった。
教師の領域を越えて接したことはない。頭がよく分別のある彼女は、最後まで一生徒を演じた。演じているように見えた。
連絡先を知っているはずのに、彼女からの連絡はない。当然、銀八からすることもない。
元気か、大学はどうだ。そんなメールを送ったところで、何の意味もない。元気ですけど、それが何か、という返信が来てもおかしくはないだろう。思春期の淡い恋心は、卒業と共に消えたはずだ。
最後に聞いた彼女の様子が成人式でのことだったので、銀八は不思議な想いにかられている。
大人になった彼女を夢に見た。想像して、焦燥にかられる。
忘れられない女になった。
彼女が在学中には、まさかこんな気持ちになるとは思いもしなかった。いずれ忘れる生徒だったはずだ。
何より辛いのは彼女からの音沙汰がないことだと、銀八は気づいている。
期待する自分がいたことは確かだ。彼女の恋心は本物で、いずれ会いに来てくれるのではと、心のどこかで思っていた。
担任でなくなったときに、きちんと彼女と向き合えばよかったと後悔する。すべて彼女次第だと、余裕ぶっていた五年前の自分を戒めたい。
本来の銀八は恋愛体質ではない。
彼女が入学する前も卒業した後も、男の気質は変わらない。いつでも無気力で、面倒くさがりで、理想の教師とはほど遠い。
恋愛も成り行きで、執着心などないように見える。
それが、誰もが知る坂田銀八だった。


大江戸ホテルのフロントロビーに入り、すぐに足を止める。銀八は高い天井を見上げた。吹き抜けになった天井は、三階分はある。
きらびやかな照明に目を細め、首もとを締めるネクタイのきつさに息をのんだ。指をかけて緩めたい衝動にかられるが、ぐっと堪えた。
そっと息を吐き、辺りを見回す。目的の店は八階だと聞いている。エレベーターを求めて歩き出した。

土曜ヒマ?と神楽からメールが来たのは今週始めのことだ。
メールには、どうせヒマだろ、と続き、お登勢サンの還暦祝いするから空けとくアル、ホテルでランチネ、サンダルで来んなヨ、と失礼かつ問答無用の内容だった。銀八の伺いを立てる前から決定されていた。
銀魂高校の理事長である登勢は、銀八や神楽にとってはただの理事長ではない。留学生である神楽の在学中、彼女の保護者は担任の銀八だった。その銀八の保護者ともいうべき存在が登勢で、銀八を学生時代から知っている。恩師だった。
家族がいない銀八は、実は登勢に恩師以上の感情を抱いている。決して口にすることはないが、時々母のように想うことがある。
その登勢の還暦祝いと言われ、渋るふりはするが断るつもりは毛頭ない。しゃーねーなァ、と言いつつ返信をした。
ホテル内の京懐石料理店で、三人で食事をするという。
銀八は久し振りに正装をした。春の入学式以来だった。

予約は神楽の名でしているはずだ。名を告げると、着物の店員は個室へと案内した。お連れ様はもうお待ちです、と上品な笑顔で振り向く。
登勢だな、と思った。絶対遅れんなヨ、と念を押した神楽自身が遅れてくる可能性は高い。昔から時間前に来たためしがない。
昼食と言えど、祝い事の席だ。案内された個室は上階だった。ホテルの九階に当たる。
食事の値段も、銀八には別世界に思えた。薄給の地方公務員の一週間分の食費に等しい金額だ。ありえない事態だが、特別な日に登勢が希望する店とあっては仕方がない。
階段のあとに、長い廊下が続く。中庭に位置する空中庭園は、敷地は狭いが建物の中とは思えない見事な日本庭園だった。
失礼します、と言って店員が襖の前に跪く。音もなくするすると開いた襖の向こうは、小さな個室だった。三人にしては狭いな、と思ったのが第一印象だった。
下座に座る女性がいた。銀八に背を向け、背筋を伸ばして正座している。着物を来ていた。
登勢だと思ったが、一瞬で違うと感じた。髪型が違う。肌の色が違う。
香りが違う。
銀八はすん、と鼻をすすった。
ポニーテールが小さく揺れる。ちりん、と控えめな鈴の音がした。
懐かしい黒曜の瞳が振り返り、ゆっくりと銀八を見上げた。
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